50年に及んで一教師として教育実践の場に立ち、退職後も新しいテーマを研究・発表し続けている。
そんな、大村はま先生(女性)の著書「教えるということ」を今日は紹介いたします。
以下は、私が感銘を受けた言葉や文になります。
① 「研究」をしない教師は、「先生」ではないと思います。まあ、今ではいくらか寛大になって、毎日ではなくてもいいかもしれないとも思ったりしますが・・・・。
とにかく、、「研究」ということから離れてしまった人というのは、私は、年が二十幾つであったとしても、もう年寄りだと思います。
② 子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うのです。
いくつであっても、伸びたくて伸びたくて・・・・、学力もなくて、頭も悪くてという人も、伸びたいという精神においては、皆同じだと思います。一歩でも前進したくてたまらないのです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている。その塊が子どもなのです。
③ 未来に対して建設できないのなら、私は、さっさとやめた方がいいと思います。
④ 私は、毎月の研究授業をだれのためにもやっていません。自分が教師として老いないためです。自分を苦しめ、少しでも未来のために建設したいからです。
⑤ 研究を失った教師というのは、子どもとは全然違った世界にいる人です。
⑥ 一人前というのは、自分で自分のテーマを決め、自分で自分を鍛え、自分で自分の若さを保つ。これを一人前の教師というのではないでしょうか。
⑦ 深い内省力といいますか、自分で自分をたたく気持ちが非常に強くないと勤まらないと思うのです。
⑧ 「先生」というのは敬語です。ですから、それに足るだけの人になっていかなくてはならない。
⑨ 私は中学にいて、子どもをじっとみていますと、非常にすぐれた惚れ惚れとするような力を持った子がいます。私はときどき子どもといっしょにいながら、「同じ年だったら、この人に友達になってもらえるかしら」と思うことがあります。多分なってもらえないと思うのです。
⑩ 教師はやはり子どもを尊敬することが大切です。さしあたり年齢が小さくて、先に生まれた私が「先生」になりましたが、子供の方が私より劣っているなんていうことはないのです。劣ってなんかいないで、年齢が小さいだけなのです。子どもたちを心から大切にするということはそういうことを考えることです。
⑪ 私は渡し守りのような者だから、向こうの岸に渡ったら、さっさと歩いて欲しいと思ています。後ろを向いて「先生、先生」と泣く子は困るのです。「どうか、自分の道を、先へ向かってどんどん歩いて行ってほしい。わたしはまたもとの岸に戻って、他のお客さんを乗せて出発しますから」。卒業した生徒が何か自分で言ってこない限りは、私はあとを追いません。「どうぞ新しい世界で、新しい友人を持って、新しい教師について、自分の道をどんどん開拓していきますように」そんな風に子どもを見送っております。
⑫ いい人などということは、つまり、人間だというのと同じ意味で、人間だれしも悪い人であってよいわけありません。それだけでは教師とは言わないのであって、やはり未来の建設に役立つ人間を確実に育て上げる人、育てようとしている人だけが教師なのです。
⑬ 教室の魅力というのは、簡単に言いますと、どの子にも確かな成長感があることではないかと思います。自分自身が何かしらの成長の実感がないときに、魅力を感じるということはないかと思います。
⑭ 教室はとにかく、一段一段と力がついていくのでないと、教室とは言わないのではないかと私は思います。
本の内容の一部分を抜き出した為に、伝わりにくい部分もあっかもしれません。
教育に対しての真摯な姿勢や厳しい態度、そしてその生き方について、自分自身のこれからを見つめ直す良い刺激になりました。
じゃあね 