もう5年ほど経つけど、2014年12月30日夜にクモ膜下出血で緊急搬送された。開頭手術をし、約1ヶ月入院3ヶ月自宅療養のあと社会復帰した。僕はラッキーでした。幸い見た目には後遺症もなく(その分しんどい事もあるが)会社にも恵まれ、会社の協力の下早期社会復帰も叶った。今ではタバコだけは辞めたが毎日お酒は飲むし。なんと恵まれた人生だろう。
復職後半年ぐらいは軽めの仕事を担当していたが復職した年の年末あたりから新設ラインの手伝いにまわされる。これがよろしくなかった。
倒れた時期は事業所の中で2番目の役職で残業も正直にすれば80時間なんてざらにオーバーしてたし家には仮眠する程度にしか帰れない時もあ少なくなかった。血管の病気ではあったが血管に悪いと言われる数値など全く悪くなかった。職責についてはイヤではなかったし、部下が楽になるなら寝る間を惜しむ事もなかった。
まぁ原因は不明であったが結果はクモ膜下出血に変わりない。厄年って怖いねと言うことにしといた。頑張ってたつもりだったけど誰が疎ましくおもってたのかもしれないしバチが当たったことにしとくしかなかった(笑)
新設ラインの手伝いは残業が深夜に及ぶ事もあった。
まずは嫁が心配しだす。当然な流れ。さらには両親が・・・。上司と相談して遅くなる残業は外してもらったがこれが後々自分の足かせとなった。
見た目にはわからない後遺症とは?
上手く説明出来ないんだなコレが。それは気持ち・感情に近いものだからだと思う。自分が気になる症状は人との会話の中で普通なら気にならない小さな言葉が頭から離れなくなり気にしてしまう。これは大きなストレスだった。当然今もあるけど今は「また始まった」と思えるようにはなった。ストレス0ではないが。
それから1年後、会社に移動願いを提出した。役職も無くして欲しいとお願いした。後遺症がある人間が人の上に立つことなど不可能である。だがそれは叶わなかった。何故かは解らない。カミングアウトをした僕に何を期待するんだろう(笑)
今は元々担当していた部署の現場でオペレーターをしている。同僚になってしまった部下には迷惑をかけていると思うが体は順調だ(笑)。外れなかった役職は要らないけど労災の代わりと考えることにした。
身体は順調だけど交代勤務だから残業もあるし繁忙期は定休制ではなくなるし、せめて家族には安心して欲しいとの想いから同居の選択をした。近くで生活しなければ身体の状態は分かりにくいし、特に心の状態なんて離れてたら分かるはずもないし。
嫁に相談したら二つ返事で「エエで」と。両親にはたまにはメシ食わしたるわと食事に誘い「家ちょーだい」、「好きにせぇ」で二世帯住宅の建設が始まるのでした。