私は毎日、祝詞を上げたり、マントラを唱えたり、瞑想したりしています。
そんな中で、「怒り」の感情と向き合ってそれを超えた時、啓示を受けましたので、
そのままお伝えさせて頂きます。
『「怒り」という感情は、出すものではなく、抑圧するものでもなく、超えるものだ。
超えれば、そこには怒りはなく、喜怒哀楽のすべてがない世界がある。
その世界は「真剣」という状態の言葉がふさわしく、恐怖も無く、あるがままをそのままに観ることができる。
「怒り」は感情の中で、一番強烈なエネルギーを生み出す。
出せば争いの元となり、長い時間抑圧すれば、その毒が自身の心身を破壊する。
「喜び」「楽しみ」という感情には、留まりたいという想いが強く働き、享楽に耽りやすい。
飽きるか、怠惰に陥るかして、ちがう感情に移行しても、「超える」という感覚は起こらない感情だ。
怒りが混ざらない「悲しみ」は深く、長く留まることができる、どん底までたどり着いた時、悲しみという世界を「超える」ことができるが、ほとんどの場合は色々な理由をつけて、自己を慰めて悲しみの世界から脱出するか、時間によって忘却させられるか、悲しむエネルギーが無くなって自動的に脱出するかだけで、大悲の境地までたどり着いて、そこから「超える」ということは、めったにない。
「怒り」を上手くコントロール出来る人は、そのエネルギーを変容させる術を身につけている。発散という形で逃がしたり、活動するエネルギーとして活用したり出来る。
「怒り」を抑圧してしまうと、それはエネルギーの通りを悪くし、「うつ」という状態に陥ることになる。また、自分を攻撃して、身体に病という症状として表れる。
「怒りは」火、炎である。
炎の熱は上に上がる。感情の世界を「超えていく」エネルギーを持っている。
その強い純粋なエネルギーは本来、昇華に使われる為に備わっているものだ。
「怒り」は、出すものではなく、抑圧するものでもなく、超えるものだ。
超えた時、人は永久に「怒り」による苦しみ、その他の苦しみから解放される。
意識は自由自在になる。』