御室仁和寺 御室桜まつり 「年年歳歳花相似歳歳年年人不同」
いつもは、見頃を過ぎた頃で、満開の御室桜の様子と五重塔を撮ることができました。他にも行きたいところがあってのですが、京都の桜巡りは終わりました。見頃の時期は、あっという間に過ぎ去っていきます。
「年年歳歳花相似歳歳年年人不同」という形でよく引用される表現で、前半は「毎年毎年、花の姿は変わらない」後半は「でも、その花を見る人は毎年同じではない」という意味になります。もともとは中国の古い詩に由来する表現で、繰り返す自然と、変わっていく人の時間や人生のはかなさを同時に語っています。
- 作者:劉廷芝(劉希夷とも記されます)
- 時代:唐(7世紀ごろ)
- 題名:代悲白頭翁
- 内容のテーマ:若さや美しさのはかなさ、人の世の無常を嘆きつつも、自然は変わらず巡るという対比
洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家 洛陽女兒好顔色 行逢落花長嘆息 今年花落顔色改 明年花開復誰在 已見松柏催爲薪 更聞桑田變成海 古人無復洛城東 今人還對落花風 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顔子 應憐半死白頭翁 此翁白頭眞可憐 伊昔紅顔美少年 公子王孫芳樹下 清歌妙舞落花前 光祿池臺開錦繍 將軍樓閣畫神仙 一朝臥病無相識 三春行樂在誰邊 宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲 但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲
漢文の全文 詩全体は、次のような流れで進みます。
- 洛陽の東で桃李が咲き誇り、花びらが舞い落ちていく。
- 美しい洛陽の娘が、散る花を見てため息をつく。
- 今年は花が散るうちに自分の顔の色も衰え、来年花がまた咲くとき、自分はここにいないかもしれない。
- 松柏も薪にされ、田畑は海に変わるという話も聞く。世も人も移ろう。
- 昔ここにいた人はもうおらず、今いる人たちがまた落花の風に向き合っている。
- 毎年同じように咲く花と、毎年変わっていく人間を対比する「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」がここで出てくる。
- そのうえで、今をときめく若い美男美女たちに、「やがてあなたたちも白髪の老人になるのだよ」と語りかける。
- 白頭翁も、昔は紅顔の美少年で、華やかな宴や歌舞の中心にいた。
- しかし病に伏すと人は離れ、春の遊びも自分から遠ざかった。
- うつくしい眉も長くは続かず、あっという間に白髪が乱れる年齢になってしまう。
- かつて歌舞でにぎわった場所も、今は黄昏の鳥が鳴くだけの寂しいところになってしまった。
仁和寺の御室桜は、背丈が2〜3メートルほどと低く、花が目の高さで咲くのが大きな特徴です。大正時代に国の名勝にも指定された約200本の桜林で、「古都の桜の見納め」としても知られています。
御室仁和寺 御室桜まつり
宇多天皇が仁和4年、西暦でいうと888年に創建した格式の高い寺院で、かつては皇族が住職を務めたため「御室御所」と呼ばれてきました。世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つにもなっています。
宇多天皇は第59代天皇で、在位は887年から897年です。897年に譲位したあと、899年に出家し、真言宗の僧・益信から戒を受けて仁和寺の第一世門跡となりました。仁和寺の伽藍内に自らの僧坊となる「室」を営み、ここに居住したことから、この僧坊が敬意を込めて「御室」と呼ばれるようになり、寺は「御室御所」とも称されました。周辺一帯の地名「御室」も、この宇多法皇の居所に由来します。
御室仁和寺 御室桜まつり
宇多天皇が出家して仁和寺の第一世となって以降、皇子・皇孫が住持を務める門跡寺院としての歴史が始まります。宇多天皇の「御入室」以降、明治期の純仁法親王に至るまで、およそ千年間にわたり皇族が門跡を務めたとされ、仁和寺は「御室御所」として特に高い格式を保ちました。
境内北側一帯には、背丈が低くて間近で花を楽しめる「御室桜」が広がり、五重塔を背景にした景色は京都でも特に有名なお花見スポットです。ソメイヨシノなど早咲きの後に咲く遅咲きの桜なので、長く花見を楽しめることでも知られています。
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺の南側には、庭園と建物の雰囲気がすてきな「旧邸御室」があり、特別公開の時期には内部と庭園を楽しめます。嵐電「御室仁和寺」駅から数分と近く、あわせての拝観もしやすい場所です。
御室仁和寺 御室桜まつり 皆がカメラマン
御室仁和寺 御室桜まつり
境内南側に広がる低い背丈の桜「御室桜」でも知られますが、「御室桜」の「御室」も、もともとは宇多法皇の御室に由来する寺号・地名から来ています。御室桜は京都の桜の中では開花が遅く、春の花見の締めくくりとして親しまれています。
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺の建立を最初に発願し、造営を始めたのは光孝天皇です。京都市考古資料館の年表などでは、仁和2年、西暦886年に光孝天皇が大内山の南麓に寺院の建立を発願したとされています。
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺は宇多天皇が創建して以来、代々皇族である法親王が住持をつとめ、「御室御所」と呼ばれてきました。皇室ゆかりの門跡寺院として、長く政治と朝廷文化に近い場であったことが大きな特徴です。
御室仁和寺 御室桜まつり
真言宗御室派の総本山として教団を統括しつつ、多くの仏像・絵画・文書などを守り伝えてきました。伽藍や庭園、宝物は、日本の宗教建築や伝統文化を知るうえで重要な資料とされており、寺側も「文化を伝える空間」としての役割を意識して発信しています。
御室仁和寺 御室桜まつり
1994年には「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されました。京都を代表する寺院の一つとして、国内外の参拝者に日本の宗教・建築・庭園文化を体感してもらう重要な拠点になっています。
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺の五重塔は、創建当初からあるものではなく、江戸時代前期に建てられた塔です。
- 建立年は寛永21年(1644年)とされています。京都市がまとめた世界遺産の構成資産資料でも、仁和寺五重塔について「1644年」と明記されており、現在の塔はこの時期の再建であることが分かります。
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺の五重塔は、一般に江戸時代前期の和様・禅宗様を折衷した様式と説明されることが多いです。柱や組物などの基本は日本的な「和様」 屋根の反りや細部意匠に、禅宗寺院に由来する「禅宗様」の要素 を合わせた、江戸初期の寺院建築に典型的なスタイルと考えるとイメージしやすいです。仁和寺の五重塔は重要文化財に指定されており、高さは約三十六メートル。過度な装飾を抑えた、どっしりとした安定感のある姿が特徴です。春には御室桜の上に塔の上部だけが浮かび上がるように見え、そのコントラストが「絵になる塔」として多くの写真に収められています。
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺の伽藍は、平安王朝時代の形式をよく残している点が大きな特徴とされます。京都府の紹介では、南から北へ一直線に、二王門、中門、金堂、五重塔が並ぶ古式の伽藍配置が特徴として挙げられています。
御室仁和寺 御室桜まつり
御室流華道は、京都の世界遺産・仁和寺にゆかりのある華道の流派で、仁和寺を創建した第59代宇多天皇を流祖として仰ぐ「寺院を家元とする流派」です。宇多天皇が御所のような住まいを仁和寺に構えたことから、この一帯は「御室御所」と呼ばれ、「御室流」という名もそこに由来するとされています。
御室仁和寺 御室桜まつり
御室流は、古典的ないけばなの技法や形を大切に受け継ぎながらも、自由な表現も重んじる流派と説明されています。花の理論や技術だけでなく、「花を素直に愛する心」や「人としての在り方」を学ぶことを大切にしており、いけばなを通じて感性や心を育てることを目指しています。
御室仁和寺 御室桜まつり しゃくなげ
しゃくなげは、株ごとに丸くこんもり咲いていて「ここにしゃくなげの株がある」と分かりやすい
御室仁和寺 御室桜まつり しゃくなげとミツバツツジ
ミツバツツジは、細い枝の先に花が散るように咲き、株全体が薄いベールをまとったように見える
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺は「弘法大師空海を宗祖とする真言宗の寺」として、空海の教えを継ぐ道場になっています。宗祖が空海、開山法皇が宇多天皇という位置づけです。空海本人が仁和寺を創建したわけではありません。創建は空海より後の時代の宇多天皇です。
唐での修学時代に空海が密教経典や儀軌などを写させた「三十帖冊子」と呼ばれる写本群の一部が、仁和寺の寺宝として伝来しています。これには空海自筆部分も含まれるとされています。仁和寺には弘法大師空海の書や、空海ゆかりの密教美術も多く、展覧会などでは「空海ゆかりの秘宝」として紹介されることがあります。宇多天皇は空海の開いた真言密教を深く信仰し、自ら出家した後も仁和寺を拠点として真言密教を護持しました。そのため、仁和寺は「空海の教えを受け継ぐ皇室ゆかりの門跡寺院」という性格が強く、真言宗御室派の中心として発展しました。
御室仁和寺 御室桜まつり
境内の一角に「水かけ不動」と呼ばれる不動明王像が安置されています。柄杓で水をかけながら一つだけ願い事を祈ると叶うとされ、「一願不動」として信仰されています。水をかけて祈る形は、仏に清らかな水を供えて自分の心身も浄めるという意味が込められています。仁和寺では湧き水を柄杓ですくい、不動明王に静かにかけながら願い事を一つだけ念じると、その一願が叶うとされ、「一願不動」として信仰されています。水をかける行為そのものが「穢れを洗い流し、道を切り開いてもらう」という不動明王の役割と結びつけられてきたと考えられています。
菅公腰掛け石:道真が大宰府左遷を命じられたとき すでに出家していた宇多法皇に別れを告げるため、仁和寺を訪れた その際、宇多法皇は勤行中だったため、道真は勤行が終わるのをこの岩に腰掛けて待った この出来事が「菅公腰掛石」という名前の由来とされています。
御室仁和寺 御室桜まつり
境内の成就山御室八十八ヶ所霊場では、四国八十八ヶ所を模した巡礼ができるよう整備されており、日常の信仰や巡礼の場としても機能してきました。
御室仁和寺 御室桜まつり
現在見られる堂塔の多くは、江戸時代に徳川家光の援助で再建されたもので、鐘楼もその一連の伽藍を構成する歴史的建造物として位置づけられています。登録資料では、鐘を吊るす建物として1644年頃の建築とされており、世界遺産「古都京都の文化財」を構成する要素の一つです。
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり 九所明神
- 仁和寺の境内にある鎮守社で、「九所明神社」「九所明神本殿」と呼ばれます。文字どおり九柱の神をお祀りする社で、仁和寺を守護する神社として位置づけられています。本殿は中殿・右殿・左殿の三棟からなり、重要文化財に指定されています。「御室相承記」によると、建暦2年(1212年)に境内南側から現在地に遷座したとされ、少なくとも鎌倉時代には存在していたことがわかります。
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
「泣き桜」という正式な名称の品種やスポットは確認できませんでしたが、御室桜のように低い位置で一面に咲き、散り際もはらはらと花びらが落ちる様子から、感情を重ねて「泣き桜」と表現されることがあります。
また、しだれ桜や、雨に濡れて花びらがしたたる姿を「泣いているようだ」と形容することもあり、文学的・詩的な呼び名として使われていると考えられます。
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御室仁和寺 御室桜まつり
もともと「御室」は、天皇や法皇が寺院内に構えた住まいを丁重に呼んだ言葉で、「皇室の住む部屋」「僧房」を指します。宇多天皇が仁和寺に御所のような住居を構えたことから、仁和寺は「御室御所」と呼ばれるようになり、その周辺一帯の地名も「御室」となりました。
御室仁和寺 御室桜まつり 書道家 佐々木香粋氏
テレビ東京「生きるを伝える」では、書道教室を開いていた二十代半ばに難病と向き合うことになった人生と、書を通じて「生きること」を伝えようとする姿が取り上げられています。書道家・アート書家として国内外で活動 日本書道藝術専門学校 師範科を卒業 命名書、ロゴ・筆文字デザイン、アート書作品制作 テレビ東京「生きるを伝える」に書道家として出演 テレビ東京「生きるを伝える」に書道家として出演
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺の御所庭園は、御殿と一体になった庭園で、国の名勝に指定されています。京都市観光の案内では、「仁和寺御所庭園」を、池泉や白砂、築山などを組み合わせた日本庭園として紹介しており、建物内から眺める座観式の要素が強いことが特徴です。
この直線的な構成は、平安期の国家寺院の雰囲気を現在まで伝える貴重な例とされています。
御室仁和寺 御室桜まつり
応仁の乱などで焼失したのち、現在の主要伽藍は江戸前期に徳川家光の寄進などで再建されたものです。金堂は京都御所の紫宸殿を移築したと伝えられ、格式高い宮廷建築の意匠を色濃く残しています。
御室仁和寺 御室桜まつり
仁和寺の「書院」は、一般には「御殿」「黒書院」などと呼ばれるエリアの一部で、門跡寺院としての格式ある居所・応接の空間です。宸殿や黒書院などが連なり、障子と襖絵、日本庭園を一体で楽しめる造りになっています。
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
宇多天皇は、政治面だけでなく文化的な面でも知られ、出家後は法皇として仏教や文芸に親しみました。現存最古の天皇の日記とされる『寛平御記』の作者としても知られ、近年は愛猫家としての一面が話題になることもあります。
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり
御室仁和寺 御室桜まつり 仁王像
二王門の正面左右に阿形・吽形の二体の金剛力士像、つまり仁王像が安置されています。
背面側には唐獅子像が二体置かれており、合わせて四体で門を守る構成になっています。
御室仁和寺 御室桜まつり 仁王像
仁和寺の二王門は、江戸時代前期の「寛永十四年から正保元年ごろ」にかけて建立されたとされています。
仁和寺公式サイトの文化財一覧では、二王門について「江戸 寛永十四〜正保元年」と明記されています。

















































