たちました。
震災当初はこれからどうなってしまうのかという不安だらけでした
そしてあっという間に1年がたち
そしてさらにあっという間に2年がたちました
いまでも、今の現状でよかったんだろうか
これで良かったんだろうかと考えます
うちの町は、会津若松市に拠点を起き
学校も会津、仮設も会津という現状でした
だがしかし、会津に住んでいたのでは旦那さんも父親も仕事の都合上不便な上
そしてなにより雪国に住んだことのない母親は絶対耐えられないだろうということになり
母親の生まれ故郷である栃木県に避難することに決めました
そしてその際、その後どうするかという話で子供に栃木の残るか、会津に移動するかを聞きました
もし子供が会津に行きたいと言ったら私と子供は会津に行こうと思ってましたが
子供は「ここに残る」と言いました
ウチは父親も旦那さんもずっと原子力発電所に勤めており
地震当初は父親は女川で働いてましたが旦那さんは福島の第一にいました
「いままでやってきた仕事、途中でやめるわけにはいかない。俺らがやらずに誰がやる」
といい、うちの旦那さんは地震が起きて5日後には福島の第一に戻っていきました
もちろん私も子供も本心は行って欲しくなんかなかったです
でも止めることもできませんでした
最初は大変でした
旦那さんが福島に行ってしまうと5日間は連絡が取れない状況になります
第一の中に一回入ると5日間そこに入りっぱなしとなるからです
寝袋を持って
もちろん携帯なんぞもっていけないので宿においてくわけです
5日はいって2日休み、その繰り返しでした
そして線量の関係でずっと入りっぱなしということもできないので
今現在旦那さんは会社の本社がある神奈川県で働いております
なので今のうちの状況は
父親は女川
旦那は神奈川
母親は栃木の自分の実家
私と子供はその実家に近い借り上げ住宅に住んでおります
本当ならその借り上げに母親もと思うところなんですが
狭くて、旦那が帰ってくるときっつきつになるため母親は実家にいてもらっています
テレビでいろいろ震災のことを報道するたびに
子供が「いいなぁ」といいます
なんで?ときくと
子「会津にいれば なんでも支援してくれて 芸能人も会いに来てくれるじゃん テレビもでれるじゃん」と
子供だなぁwwwwwと素直に思いました
母「ここでだって いろいろ支援してくれてるよ?それに感謝しなきゃね」
子「わかってる ここに残るか会津に移動するか聞かれたときここに残るって決めたの俺だし」
母「会津には 友達いっぱいいるもんね 本当は会津に行きたかった?」
子「いや、ここに残ったことは後悔してないけど」
母「まぁ、お前まだ中学生だもんなぁ、嵐にはあいたいよなぁw」
子「そうなんだよ・・・AKBとかどうでもいいけど櫻井くんとかまじうらやましい・・・・・・・」
母「じゃあ櫻井くんに会えるかもしれないという一筋の希望とともに会津に引っ越す?w」
子「いまさらそれはちょっとってか、多分もうこねーし・・・・・」
うちのように
町で指定されたところじゃない場所に避難していますと
町からの支援とか援助とかほぼ皆無になります
町で指定してる避難場所は会津といわき
ここに住む人には町から支援物資がいろいろ届くそうです
仮設住宅には一週間に一度衣類や食料などが届けられると聞きました
それを聞いた母親が「他県に逃げた人にそういうのはないのか?」と町役場に電話したら
即、風邪薬3箱と韓国の缶詰2缶が届いたそうです
2年間でそれ一度きりでしたがw
ってか韓国の缶詰とかどうしろと・・・・・
うちのとなりの町に住んでた友達ももちろん帰宅困難地域に指定されていますが
やはり最初個人で逃げたそうです
そしてやはり町からなんの支援もないので役場に電話したところ
「個人的に逃げる人はお金がある人なんだから 町からの支援とか必要ないでしょ?」
「支援して欲しいなら 町指定の仮設か借り上げにはいってください」
と、言われたそうです!!!
ビックリです!!!!
お金があるから個人的に逃げる、って発想はなかったです!!!
うちは、これから生活していく上で働かないといけない現実を考えて
会津やいわきでは不便だと判断したので個人的に逃げたのです
お金があるから個人的に逃げたわけじゃないわ!!と
ってか、普通の家庭って何かあった時のためにっていう貯金があるもんなんじゃないの?
今がその貯金を使う時なんじゃないの?と
うちは父親はもちろん
母親も 旦那も もちろん私も働いています
それが当たり前だと思っているからです
でも周りはそうは見てくれません
被災者だからお金もらえるし働かなくてもいいなんてうらやましい とか
どうせなんでもかんでも東電に買ってもらってる とか
車だっていわきナンバーというだけで
後ろから煽られて難癖つけられてお金を取られそうになったこともあります
うちは全員パチンコ好きで、もちろん全員自分で働いたお金で遊びにいってるんですが
それでさえ 東電の金でパチンコしてる、といわれます
信じてもらえないかもしれないですが
うちは精神的慰謝料は5人分、全く手つかずで口座に残っています
もらえるはずのないお金 あぶく銭だと思ってます
それに
こんなお金いらないから ウチに帰りたいんですよ
でもウチは@4年は帰宅困難地域指定
あるべき所に帰れないということがどんなに苦痛か
実際体験するまで想像できませんでした
そして一時帰宅するたびにウチはボロボロになっていき 住めなくなっていく
たった2年なのに
ほかの人たちにとって「もう2年」かもしれないですが
私たちにとってまだ「たった2年」なんだなと 実感しました
これからどうなっていうのだろうか という不安とともに
あと何年、こうやって生きていくのだろうか
そしてまた次の3月11日は
どういう心境になっているのだろうか