谷村新司さん 逝く | 草センリのブログ

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おはようございます。

10月も早や半ばを過ぎ、金曜の雨の後は、どっと寒気が入り込んで、「初霜」の予報も出ています。

例年7月、8月は水やりを控えています。今年は暑さがつのり、9月も…ってことで…10月になって水やりを開始したところでしたのに!
もう、水やりを控える時期が間近かだとは!

遅ればせながら、今月もお元気によろしくお願いいたします。


いやぁ~、驚きましたネ

谷村新司さん、急逝
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ほぼ、同時期を生きて来ましたからねぇ……

6月からの全国ツアーを前にして、3月に急性腸炎で手術。
気持ちを切り替えて、来年からの音楽活動復帰を目指していたのに…、10月8日帰らぬ人になった。
「チンペイさん」の愛称で、年代を問わず親しまれていた。享年74歳

バンド「アリス」
・谷村新司/74、大阪
・矢沢透/74、東京
・堀内孝雄/73、大阪
 (べーやん)

=活動=
・1971~1981年
74年まで年間300ほどのステージをこなすも、なかなか売れず、75年からブレイクする。78年、日本初の武道館公演。

 ¨ ¨ ¨
代表的な曲は、
『今はもうだれも』75
『帰らざる日々』76
『遠くで汽笛を聞きながら』76
『冬の稲妻』77
『チャンピョン』78
『終止符』79

『君の瞳は1万ボルト』/堀内孝雄

『陽はまた昇る』
『三都物語』
『昴(すばる)』
『群青』
『いい日旅立ち』
『サライ』
などなど

アリスのリーダーとして、ソロ活動時代は世界を飛び回って歌った。

術後の療養生活があったんだから、亡くなる直前まで意識もあっただろうに、「もっと生きたい(歌いたい)」と願ったんだろうか、それとも「いい人生だったなぁ」と旅立ったんだろうか?
ふと思いました。

明るく、ジョークの好きなダンディな歌い手さんでしたネ。

お疲れさまでした。
心から、ご冥福を祈り申し上げます。
 
~ ~ ~ ~

とここまで書いてみて一晩、考えてみました。


その後、
邦楽のシンガーソングライターさんを以下のように区分けして、谷村新司さんの位置付けをしながら、懐かしんでみようかなぁ~ってやってみた処、まぁ難しくて難しくて……:

 a┃b
 ━╋━
 c┃d

縦軸は、上に「カリスマ度」下に「庶民性」を
横軸は、右に「明るく」左に「暗く」っていうか抒情的っていうか…

a:吉田拓郎 さん
 (孤高の…って感じ)
b:長渕剛 さん
 (身近、でも近寄れず)
c:河村隆一 さん
 (知る人ぞ知る…)
d:さだまさし さん
 (受け狙い、過ぎかな)
って感じかな?

「えっ!?」
 「ほらほら、そうやって異論が出そうだから、止めた」
「で、谷村新司さんはどこに入るの?」
 「b、かな」

小田和正、山下達郎、平井堅とか井上陽水、玉置浩二、奥田民生、佐野元春あたりならばいいけど…、

米津玄帥、浜田省吾、星野源、久保田利伸…ってなると、さっぱり!

 ~ ~ ~

谷村新司
1948.12.11~2023.10.8

実家は大阪の河内長野の親戚旅館に寄宿、母親は長唄の三味線弾き、姉も6歳から地唄舞い…小さい頃から「歌」の環境下にあった。
高校ではPPM(ピーター・ポール&マリー)を真似てバンドを組む。
万博(1970)で矢沢と知り合い、新バンドの構想が湧く。

米国に行き、レッド・ツエッペリンの公演、ジャニス・ジョプリンのライブに感銘を受ける。
帰国後、堀内を勧誘してグループを結成(1971)、桑田正博の実家の蔵で練習を重ねる。
1972年、シングル『走っておいで恋人よ』でデビュー…、矢沢が合流するも、75年の『今はもうだれも』『冬の稲妻』がヒットするまでは、どさ回りが続く。

 ¨ ¨ ¨
ステージで歌う、コンサートを開く他、幅広い活動(社会貢献)をする。

《日本友好》
1981年、北京、正常化から10年コンサート

そうだったんだ!
1982年だったか、桂林の油田に行った時、宴会の席で『昴』を歌わされた

2004年、上海音楽院の教授を
2017年、日本国交正常化45年記念コンサートを

年輩の中国人が中国語で歌えるのは『昴』か『北国の春』(千昌夫)

日本には辛口の毛外交官が、会見で異例とも思える、哀悼の意を表した。

これが普通に感じられるくらいの日本政治家ばかりならば、ここまで日中関係は悪化しなかったのかも?

《甲子園球児応援》
1993年、応援歌『今ありて』
2008年、80回記念大会では地元高校生と熱唱
2018年、90回記念大会の入場行進曲で流れる

《地域復興》
阪神淡路大震災、東日本大震災には、チャリティを、数年後には復興コンサートを。

また、2005年の「愛・地球博」(愛知)では、音楽プロデューサーを務めた。

 ¨ ¨
谷村さんの人生観(死生観)

『遠くで汽笛を聞きながら』
悩みつづけた日々が
まるで嘘のように
忘れられる時が
来るまで心を閉じたまま
暮らしてゆこう

『陽はまた昇る』
陽はまた昇る
どんな人の心にも
あ~生きてるとは
燃えながら暮らすこと

『チャンピョン』
(リングに上がり、若い挑戦者に打ちのめされる)

立ち上がれ もう一度
 その足で立ち上がれ
命の炎を燃やせ

(敗れたならば)

帰れるんだ
これでただの男に帰れるんだ
これで帰れるんだ

『いい日旅立ち』
あぁ 日本のどこかに
私を待ってる人がいる
いい日旅立ち 幸福をさがしに
子供の頃に歌った歌を
 道連れに

『群青』
野辺に咲たる 一輪の
花に似て儚き人の命か
せめて海に散れ
 想いが届かば
せめて海に咲け
 心の冬薔薇(そうび)

『昴』
荒野に向かう道より
 他に見えるものはなし

されど我が胸は熱く
 夢を追い続けるなり

我もゆく 
心の命ずるままに
我もゆく
さらば昴よ

『帰らざる日々』
酒びたりの日も今日限り
 私は一人で死んでゆく
バイバイバイ 私の心
バイバイバイ 私の命
バイバイバイ マイラブ


コンサートの最後の曲は『この世が終る時』で、締めくくりは、

最後の手紙に、宛名もかかず、“サヨナラ”と一言書いて、いつもの夜のように酒をのみながら、静かに過ごしていたい…

お前の肩を抱きながら、想い出のあの街角…静かにその時を迎える…静かに命を終る……

 ¨ ¨
夢に向かっては、挫けず何度も立ち向かい…、座を得てからは、後進に追い付かれることには恬淡として…、その時が訪れたら取り乱さず…静かな終りを迎えられたのかな 黙祷