平等な命 | 泉福寺ごえんさん日記

泉福寺ごえんさん日記

真宗大谷派の寺院こ住職をしております。
何気ないことや、思ったこと感じた事を書いてます。
普段のごえんさんでごじゃります。

昔々、インドにシビ王という

慈悲深い王がいました。

ある時、シビ王の元に

一羽の鳩が舞い込んできて

「鷹に追われています。

私のいのちを助けてください」と

シビ王に頼みました。

すると直ぐに鷹が飛んで来て

「その鳩は私の獲物です。

鳩を食べないと私は生きていけません。

その鳩を私に返して、私のいのちを

救って下さい」と

シビ王に頼みました。

シビ王は鷹に向かって

「森の中に行けば鳥の死骸は

いくらでもあるだろう。

その肉を食べれば良いではないか」と

言いました。

しかし、鷹は

「私は死んだ鳥の肉では、

いのちが保てません。

どうか、その鳩を私に与えて下さい」と

シビ王に再び頼みました。

鳩を渡せば鳩が死ぬ。

鳩を渡さなければ鷹が死ぬ。

シビ王は鷹に向かって

「わかった。私の肉を与えよう」と

返事をしました。

鷹は「その鳩と同じだけの肉を下さい」と

言うので

シビ王は自らのももの肉をえぐり取り

鳩と一緒に天秤に乗せました。

しかし、天秤は鳩の方が

重たいままなので

シビ王は次に片足全部を

切り取り天秤に乗せました。

それでも天秤は動きません。

シビ王は「はっ!」と気付き、

自らが天秤に乗りました。

すると秤はピタッと真ん中で止まり、

鳩とシビ王の重さが釣り合いました。

シビ王は自らの全てを鷹に与え、

鳩と鷹のふたつのいのちを救いました。


「鳩のいのちもシビ王(人間)の

いのちも、いのちの重さに

変わりはない」ということです。


その平等の命を奪わなければ

我々は自分自身の命を保てないと

いうことが大きな矛盾として

投げかけられてきます。

殺生をやめれば、今度は

自分自身の命を殺す事になるのです。

自分の命を保とうとすれば

他の尊い命を奪わなければならない。

命を奪わなければ生きられない存在で

あることを自覚しなければならない。

米にも野菜にも肉にも魚にも

みんな命がある。

奪った命を我々はいただく。

いただいた命を一生懸命

責任を持って生かさせて

いただきます。

いのちをいただかせていただきます。

食前のことばの

いただきますは

いのちをいただかせていただきます。