野口英世の母親からの手紙 | 泉福寺ごえんさん日記

泉福寺ごえんさん日記

真宗大谷派の寺院こ住職をしております。
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普段のごえんさんでごじゃります。

黄熱病の治療のために

献身した野口英世さんは

1876年(明治9年)11月9日

福島県猪苗代町に、

父・野口佐代助と母・シカの

長男として生まれ、

清作(せいさく)と名付けられました。





1877年(明治10年)4月1歳の時に

囲炉裏に落ち、左手を大火傷し

親指が手首に、

中指は手のひらについて

離れないなどの障害が

残りました。

母シカは不憫な息子の将来を案じて

自分を責めました。

自分がもっと注意をしていれば

こんなことにはならなかったのにと

幼い息子に泣きながらわびて

決意します。

シカは百姓になれない清作を

学問で身を立てさせようと

考えます。

しかし、父親は大酒飲みで、

家は貧乏でした。

当時は、小学校といっても

裕福な家庭の子供でなければ

通うことができず

これまで以上の収入が必要です。

シカは、昼は畑仕事をし

夜は二人の子供たちを寝かしつけた後

近くの川でエビを採り

翌朝それを売りに歩いていきました。

重い荷物を背負い

20㎞の山道を運ぶ

男勝りの仕事もしました。


清作は1883年(明治16年)

三ッ和小学校に入学しましたが

手のことで、いじめられました。

学校に行かなくなった清作は

母に怒られると思っていましたが

違いました。

「ゆるしておくれ。

やけどをさせてしまったのは

お母ちゃんのせいだ。

つらいだろうが、勉強をやめて

しまったらせっかくの

苦労も何もならない。

おまえの勉強の姿を見る事だけが

楽しみなんだ。

がまんしておくれ」と

シカは涙ながらに詫びるのでした。

幼い清作の心は激しく動かされ

このことがあってから清作は

学校に行くだけでなく

家に帰ってきても猛勉強を

始めるのです。


1889年(明治22年)

猪苗代高等小学校の教頭であった

小林栄に優秀な成績を認められ、

小林の計らいで猪苗代高等小学校に入学する。


1891年(明治24年)

左手の障害を嘆く彼の作文が、

小林を始めとする教師や

同級生らの同情を誘い、

彼の左手を治すための

手術費用を集める募金が行われ、

会津若松で開業していたアメリカ帰りの

医師・渡部鼎の下で左手の手術を受ける。

その結果、不自由ながらも

左手の指が使えるようになる。

この手術の成功に

感激した事がきっかけで医師を目指す。

わずか20歳の若さで

医師免許を取得します。

ペスト菌の発見するなど功績をあげ、

1904年にニューヨークの

ロックフェラー研究所に迎えられ

英世と改名した清作は

黄熱病や梅毒の研究に没頭します。

熱中ぶりは猛烈で同僚から

「日本人はいつ寝るのだろう?」と

言われていたそうです。

渡米後12年のころ

研究で世界的に認められ始めた

息子 清作に母から1通の

お手紙が届いたのです。

シカは貧しさのため学校に

行ったことはありません。

しかし、息子に一目会いたくて

囲炉裏の灰に指で字を書く練習をし

この手紙を書いたのです。


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おまイの。しせ(出世)には。

みなたまけ(驚き)ました。

わたくしもよろこんでをりまする。

はるになると。

みなほかいド(北海道)に。

いて(行って)しまいます。

わたしも。こころぼそくありまする。

ドカ(どうか)はやく。

きてくだされ。

はやくきてくたされ。

はやくきてくたされ。

はやくきてくたされ。

はやくきてくたされ。

いしよ(一生)のたのみて。

ありまする。

にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)

ひかし(東)さむいてわおかみ。

しております。

きた(北)さむいてわおかみおります。

みなみ(南)さむいてわおかんておりまする。

ついたち(一日)にわ

しをたち(塩絶ち)をしております。

なにおわすれても。

これわすれません。

はやくきてくたされ。

いつくるトおせて(教えて)くたされ。

これのへんちち(返事を)

まちてをりまする。

ねてもねむられません。

(1912年 シカが英世に宛てた手紙の抜粋)


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たどたどしい言葉から

息子への愛情が痛いほど

伝わってきます。


一時帰国し、万感の想いで

待っていた母シカと会い

せめてもの親孝行として

東京や関西などを一緒に

旅行したのでした。




立派になった英世を見てシカは

「立派なおまえの姿を見られたし

竜宮城に行った浦島太郎の

ようで大変幸せだよ。

心残すことはねぇー」と。

シカのその3年後に66歳で

病のために亡くなりました。


アメリカのニューヨークで

英世はシカの死を知らされました。

悲しみのあまりホームに

ひざまずいた英世は、シカから

「世のため、人のために尽くしなさい」と

言われた言葉をじっと

かみしめていました。


あなたを産んで

あなたを育て

あなたを守り

あなたをずっと愛してます。

ただただあなたの幸せを

願いながら・・・。