発症から1回目、2回目の手術に至った過去経緯については、過去に投稿した「緑内障手術体験記」と「緑内障手術体験記トラベクロトミーフック編」をご覧下さい。



転院

フックの術後、ほぼ東京暮らしになったので、都内の眼科医を紹介してもらった。

教授は助手の学生に向かって「大森だけん東京の下の方に良さげなとこあーかいなー?」とネットで調べさせる。学生も師匠譲りで辛口「緑内障となるとで聞いた名前はないですね〜」

23区内ならどこも遠く感じないと伝えると「ほんなら御茶ノ水の井上賢治先生!」緑内障の権威である教授が躊躇なくスパッと言い切るこのドクター宛に紹介状を作成していただいた。




見たことも聞いたこともない巨塔

眼科単科の病院として、このスケールには圧倒される。現院長が11代目。皇室御用達。何より島大医学部谷戸教授の太鼓判だったので全幅の信頼。

予約制なのだが、初診者は面食らう。待ち時間は毎回6時間前後。16時に予約していても20時終了だったりする。診察は毎回ほぼ3分。しかし入院してみるとなるほど院長の医術のみならず、人徳と経営手腕からして納得の盛況ぶりとしか言いようがない。

人生3度目の緑内障手術

3ヶ月おきに約1年半通院。右目の視野検査の結果が右肩上がり。自覚症状は相変わらず無し。眼圧はさほど高くない15〜22の間なのだが、点眼薬もMAXなので、眼圧を低く保つため、過去2回のトラベクロトミーよりも水道管を広く工事するトラベクレクトミーにした。
虹彩にメスを入れ、縫い糸を抜いたり追加したりの調整があるため、10日間入院する。

術中

事前にAIDS検査。入院初日にオペ。「笑気麻酔」も楽しみにしてた割に麻薬っぽい多幸感もなく、15分ぐらい明晰な精神状態で受けた外科手術はちっとも怖くなかった。「ちょっと冷たいですよ」「左下見てて下さいね。そうそう!」みたいに最低限で的確な声がけがお見事。糸の数を複数人で声に出して確認していただいたのが印象的だった。



術後

直々執刀して頂いた井上院長はその夜、術後の患者ベッドを廻らる。「妹尾さん、手術上手くいきましたからね!お疲れ様でした。おかげんどうですか?」と。
偉大だなぁ!



辛いのは禁酒禁煙🥵

heavy smokerより俺みたいに二、三本の喫煙家の方が禁煙キツイらしいと娘が言ったが、その通りだった。起床時や食後の精神的禁断症状がずーっと続く。退院してすぐにしたい事は喫煙🚬🚬

禁酒はアルコール消毒液をシンナーみたいに吸って凌ごうかと思っていたが、意外に大丈夫だった。

むしろ禁煙にねを上げて6日目にはついにニコチンパッチの使用許可を相談したところ、院長である主治医から「何か問題ある?」との回答でずっこけた。

院外外出禁止でコンビニに用があればナースにおつかいを頼まないといけないほどの徹底ぶり。ニコチンパッチとニコチンガムをドラッグストアで買ってきてもらった。
パッチ使ったら思ったより落ち着いた。ガツンとくる喫煙感覚とは程遠いのに、ニコチン1mg摂取した状態になるらしい。パッチ一枚貼ったらそれ以上のあらゆるニコチン摂取が禁じられている等、ナースから詳しく教えてもらった。

10日も入院してたら脂肪肝も完治して、肺もピカピカになっているはずだ。
もとより緑内障手術より依存症治療の意識高めで入院したのであったw


超絶美味飯🍴

そんな中、唯一の楽しみはお食事で〜す♪
外注でない病院食はオソロシク美味しい。減塩低カロリーだが、ご飯が進むしっかりした味付けで料亭のお膳に乗っていそうな程、手間暇かけていて食材品目や食器の数が多い。3時のおやつも手作りワッフルとか、全く手抜かりがない。コーヒー専門店より美味いコーヒーも謎だ。ドリップとしか教えてくれない。更に一日分の食費(大盛)が脅威の1,500円なのだ。栄養士と厨房の料理人、只者では無い。食事のためだけに通いたいぐらいだ。

日々、スタッフの接遇がピカイチなのはもちろん。掃除のおばちゃんもすごい。隅々まで全く清潔で、高いところに触っても埃すらない。診察を終えて病室に戻ると「お帰りなさいませ」と言ってくださる。

「嫌な顔ひとつしない」という言葉があるが、スタッフ全員(1人のやんちゃそうなナースを除く)にこの言葉がピッタリ。民営病院での入院は初めてだが、想像するに、トップクラスの経営手腕だと思う。



眼圧降下成功

術後充血するが、耐えられない痛みではない。翌日眼帯パッチを剥がした。もうちゃんと見える!
一週間でゴロゴロ感もなくなる。
日々の診療ルーティンとして朝晩2回眼圧測定と傷口の診察。
毎日医師が違うがみんな20代ぐらいに見える若いDR。男女比半々。一体何人雇ってるんだろう?
それに加えて、休日も含めて毎日院長の診察もあるのだ。ある日、20時過ぎにスーツ姿で帰って来られるやいなや診察していただいた。正に新総理の「働いて働いて」。学会等もあるというのに院長のバイタリティーには敬服の極みである。凄い!
初日と二日目は診察室で瞼を指圧して11が5になるという古典的な荒技を医師から受けた。過去眼科で経験したことのない治療行為にいたく感動🥺
初代院長がシーボルトに習った伝家の秘術じゃないかなー?なんて勝手に想像していた。

幸い術後4日目以降、眼圧7〜8で安定している。大した事ではないが、最終日だけ9だったのは低気圧のせいだと思う。視力検査も度々するのだが、一桁の眼圧でも視力は落ちていない。
同じ歳で同じ日に手術した同室の方は二日目に糸抜きの再手術しても下がり切らなくて意気消沈気味だったが、6日目あたりから13ぐらいで安定したそうだ。





術後の感染がハイリスク


名医なので、手術で失明する事はまずないが、患部が化膿したらアウト。ロトミーよりレクトミーの方が執刀侵食が深いので、感染症のリスクも高いというわけだ。



入院中の薬

一日4回点眼
モキシフロキサチン(抗菌)
サンベタゾン(ステロイド)

一日2回点眼
アトロピン(散瞳)

術後3日間一日3回服用
クラビット(抗生剤)

眼圧降下剤は使用中止。
散瞳薬は一回で2週間効くやつらしいが、レクトミーに特化した使用法で、ピント調節筋肉を休ませる効果がある。外来の時の散瞳薬は凄く眩しいが、アトロピンはあまり眩しさを感じない。




熟練のナース陣

入院中洗顔シャンプーが出来ない。清拭タオル、シャワー、腰湯、洗髪をローテで可能。ナースの専門性が高く、洗髪も上手。
普段の会話も過不足なく、いわゆる「非認知能力」もすこぶる高い。






退院後当面の生活

温泉等は危険。
眼圧に影響するので旅行、特に飛行機禁止。
見え方が不安定なので車輌運転禁止。
寝る時にプラスチック眼帯着用。
術後2週間禁酒。
術後20日で洗顔可能。それまでは目に入らないよう気をつけて入浴は可能。当分一番風呂を勧められた。
スポーツは医師の許可を待って開始。
力むと眼圧上昇して傷口が開かないよう注意。
同室のサックス吹きさんは先に退院されたが、医師の許可が出るまで演奏禁止だそうだ。そりゃそうだわ。





名残惜しい退院

予定通り9泊10日の入院は予定の最小限のオペだけで完了したのであった。
お会計は高額医療費対象で98,101円でした。
医療保険には入ってないが、共済組合に加入しているのでさらに8万円ぐらい給付される予定。

予後が順調であれば退院後、外来で、3日、1週間、2週間と間隔がだんだん長くなり術前のように3ヶ月おきになるそうだ。
退院したくないなぁ〜と感じる素敵な入院生活だった。

めでたしめでたし。

ありがたやありがたや。

発症から1回目の手術に至った過去経緯については、12年前に投稿した「緑内障手術体験記」をご覧下さい。


ロトミー術後8年点眼薬で凌いでいましたが、所詮虹彩を切って水道を作ったわけで、人工的な傷口は治癒し塞がってきます。眼圧が20~22あたりで下がらず、視野障害も微妙に進行しているため、再び2016年に執刀していただいた緑内障の権威に紹介状を書いてもらいました。前回は日赤でしたがこのたびは大学病院です。つまり教授。タバコをやめられた事以外は以前とお変わりなく出雲弁丸出しの親分肌。「アトピー性皮膚炎で大量に服用しているステロイド剤が原因で眼圧上昇。てか、同時期に併発した鬱秒も肥満による睡眠時無呼吸症候群どれも悪の根源はプレドニン。10mgやなんか、ほんにけー出し過ぎだわや」と医学生を横にばっさり言ってて、やっぱり小生は好きだなぁ。こういうキレッキレ感のあるDR。

因みにアトピー性皮膚炎の治療は一本9万円の自己注射デュピクセントの継続で覿面治りました。


片目あたり、一泊のロトミー手術とのことで驚きましたが、「10年一昔って言うぐらい技術革新は進んじょますわね」

但し左右の手術が月を跨いでしまったため、高額医療費制度を2回利用する事になってしまいました。ひと月内なら半額で済んだというわけです。

因みに確定申告したら医療費控除で60,000円以上還付されました

(΄◉`)


手術当日


教授が発明して販売され始めたばかりのモリア谷戸式トラベクロトミーマイクロフック🪝による術式でした。

医学生だけでなく、海外から視察に来ていた医師も覗き込んでいて教授は英語で「ステロイド剤の副作用でこうなってああなって」とレクしながら執刀しておられました。教授カッケー。



 

 

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プロフ更新しました

パスワードを忘れて

メアドの変更ができんドラッグストアのクーポン

 大森駅北口にはココカラファインが5軒もある

自立支援の指定薬局にしてたココカラファインが閉店するので道路向かいのココカラファインに登録しなおした

 

 

 

 

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 L Dということばを初めて知ったのは平成元年国立特別支援教育研究所で研修していた時だった。

その5年後、今やディスレクシアの教祖小枝達也先生がLDを講演された時の教員のトンチンカンな質問には辟易しました。

私は事例のVTRを見た後「このLDの中学生は今どうしているんですか?」と小枝先生に公開質問したら「いい質問!」と言われた。大工になったそうな。

 

過去四半世紀以上、医学界主導で研究されてきたLDは令和元年どれほど具体的あ合理的配慮がなされるようになっただろうか。この「社会的」幼稚さに対して一太刀振り上げたところ我が社の900人の生徒が味方になってくれた。

残念ながら教職員、教育行政は冷ややかだが、900対100で私の弟子たちの味方は圧倒的に多い。

iPadを教室に持って入って教科書をイヤホンで読み、ローマ字入力でノートテイクをする小生の愛弟子N生徒がくんがパイオニアである。

周囲の生徒たちは小生の野望を楽しみにしてくれている。

インターネットを毛嫌いしているこの学校にインターネットの最先端教育をと言うのが私の野望である。

 

我が社の生徒はいい子たちです、あいつらをボロカスに言うような大人がポンコツなんじゃないですか?

それ以前に関わろうとしない人もいて溜息ができますけどね