ピアノバーせんのつぼ
今年も
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こんにちは、ちえママです。
新刊 発見。
オペラ作品は奥が深く、鑑賞しようにもなかなか敷居が高いのではないでしょうか。
そこで今回は理系新書のブルーバックスとコラボし、様々な角度からオペラの楽しみ方をお届けします!
まずは現代新書の許光俊『オペラ入門』から、ロシアオペラの傑作の解説をご覧ください。
ロシアオペラ史上最高の傑作
ロシアの重要な作曲家はほとんどみなオペラを手掛けています。が、やはりムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」(1874年初演)を上回る傑作は存在しないというのが、現時点の音楽史上の常識です。
「ボリス」はきわめてユニークな、ムソルグスキーにしか書けなかったオペラです。
そして、ロシアでしか生まれなかったような物語です。
「ボリス・ゴドゥノフ」の主人公は誰か ?
その題名通り、ボリス・ゴドゥノフ(1552頃―1605)です。
歴史上実在した人物で、16世紀から17世紀にかけて、つまり日本では関ヶ原の戦いがあったり、江戸に幕府が開かれたりという時期のツァーリ、すなわちロシア皇帝です。
考えてみますと、
実在の皇帝が主人公のオペラは、ありそうでいてなかなかないものです。
とはいえ、実際に「ボリス」を見てみれば、このオペラが、皇帝の活躍や雅な宮廷を描こうとしたものではまったくないことにすぐに気づくでしょう。
なるほど、皇帝は他の誰よりも高い地位にいます。その権力は絶対的です。
にもかかわらず、彼の権力は、虫けらのような民衆ひとりひとりの支持がなければ崩れ去ってしまいます。
そして、人心が離れてしまった権力者は、ひたすら孤独で、不安に怯えるしかなくなります。
地味オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の異質さ
「フィガロ」しかり、「椿姫」しかり、すぐれたオペラとはえてしてそういうものですが、
「ボリス」は個々人の気持ちを表現するだけでは終わっていません。
社会構造、権力構造の微妙さをあぶり出しています。
この作品の真の主人公はロシアの民衆、それどころかロシアそのもの、ロシアの歴史なのです。
「ボリス」がどれほどユニークな作品として構想されたか。
それは、最初の楽譜がペテルブルクの帝室劇場に上演を断られたことからもわかります(この版を初稿とか1869年版と呼びます)。
それも無理はなかったかもしれません。
何しろ、女性が歌う甘美なアリアがひとつもなかったのです。
プリマドンナ(主役の女性歌手で、たいていはソプラノ)の華やかで美しい歌は、劇場にやってくる人々にとって最大の楽しみのひとつ。
それがまったくないなんて、最初にこの作品の楽譜をチェックした人々は目を疑ったのではないでしょうか。
同様に、
テノールが歌う抒情的な歌もありませんでした。
要するに、美男美女が出てきません。
男女の恋愛という、オペラにとって不可欠と考えられていた要素が完全に抜け落ちているのです。
また、舞踏会のような、目にも鮮やかなシーンもありません(逆に言えば、チャイコフスキーはそのあたりを抜け目なく考えてオペラを作ったということですが)。
色にたとえるなら、黒、茶、灰色など暗い色ばかりのようです。
こんな常識外れのオペラを仮に上演できたとしても、間違いなく失敗に終わったことでしょう。
当時、オペラハウスを訪れる客は、
偉大な芸術作品を勉強するという気持ちなど持っておらず、あくまで一晩の娯楽を求めていたのですから
。
ムソルグスキーが貫いた「ロシアらしさ」
楽譜を突き返されたムソルグスキーは、友人・知人の意見を取り入れ、大きな修正を加えました。
広く受け入れられるよう、常識的なオペラの姿に近づけようとしたのです。
ようやく全曲初演にこぎつけたのは、最初に完成させてから5年後、1874年のことでした。
とはいえ、
ムソルグスキーはあまりにも独特で、時代の常識を超えた作曲家でした。
彼が生きていた時代、音楽の中心はドイツでした。
だから、チャイコフスキーをはじめとするロシアの作曲家たちの多くは、ドイツ流の音楽を学び、そのような仕立て方で音楽を書こうとしました。
なるほど、ロシアらしい旋律やリズム、また民謡の引用などはあるにしても、あくまで大枠はドイツ風であろうとしたのです。
また、そのようにして作られた音楽は、ドイツや西ヨーロッパ諸国においても受け入れられやすかったのです。
ところが、
ムソルグスキーはそのようなやり方をよしとしませんでした。
もっともっと、本質においてロシア的でなければならないと考えたのです。
よく知られているように、当時のロシアでは、社会階層の上にいる人々は、フランス語で会話するのを好みました。
そんな状況の中で筋書きも音楽も荒々しいロシア風のオペラを作っても、田舎臭く、洗練が足りないと思われて当然でした。
ムソルグスキーの個性や方法は、ドイツやフランスの芸術に慣れた人にとっては、野蛮で稚拙と見なされました。
とはいえ、捨てるには惜しいことも明らかでした。
だから、ムソルグスキーが死んだあとで、ニコライ・リムスキー = コルサコフ(1844―1908)のような、常識的な意味でもっと上手な作曲家が楽譜に手を入れました。
暗い響き、素朴だが力強い響きは、華麗ではではでしいものに変わりました。
が、
本来、ムソルグスキーが書いたのは絹ではなく麻布のような感触で原始的な力が勝った音楽でした。
近年では、ムソルグスキーが書いた楽譜、それも最初の版で上演されることが増えました。
先日の午後
年に1度のクオーレ・ド・オペラに
行ってきた。
今年は、第7回。
演目は「ジャンニ・スキッキ」
の中で歌われるアリア「私の優しいお父さん」
はあまりにも有名。
すごくすご~く良かったです。
なので、
この本を知れたのは、
引き寄せ!かな。
いつか読んでみたい本です。
新橋では珍しい、
生ピアノで歌えるお店。
あの頃あの時代の昭和歌謡、
日本の心 演歌、
懐かしい童謡唱歌、
海外アーティストのポップス、
かっこいいジャズ、
こだわりのシャンソン、ラテン、
勇ましい軍歌から、平成最新ヒット曲 、、、
どんな曲でも、たとえ初めて聞く曲でも
ちえママが
生のピアノ伴奏で追いかけてきます。
どうぞ、お客様のお得意な歌を聞かせてください!。
ピアノバーせんのつぼ
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