4連休の最終日、茨城新聞の1面はご覧のような記事で飾られました。
そう中村喜四郎・衆議院議員です。
中村氏が「新立民」に合流したことが茨城では大きなニュースになりました。
この紙面ではその抱負をインタビューし、記事にしているわけですが、
私は中村氏が記事中、
「投票率の10ポイントアップを呼び掛ける署名活動を立案し、
野党共闘の在り方としても位置付ける。」と、語っていることに引き込まれたので、
今回は「投票率を上げるって!?」と題して私の考えをまとめようと思います。
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茨城県内の人、あるいは選挙や政治に思い入れのある人は、
説明するまでもなくこの人物の「凄み」を知っていると思いますが、
国会のレジェンドが長い間の沈黙を破って動き出しました。
「レジェンドだって? いや、もう過去の人だよ。」
そんな声もあるかと思いますので、簡単にその「凄さ」を説明しますが、
中村喜四郎氏は昭和24年生まれの71歳。
昭和51年に27歳で衆院議員に初当選し、
以来、当選回数14回(14勝0敗)を重ねる国会の重鎮です。
ただその政治家生命は実に波乱に満ちております。
今から遡ること26年前の平成6年、もし「あのこと」がなければ…。
このお方は間違いなく宰相にまで昇りつめていただろうと、
私は固く信じております。
私は仕事柄、いろいろな人の弁舌や政治手腕を間近で見てきているわけですが、
中村喜四郎氏の選挙手法と説法は日本一だと思います。
風貌も、選挙区での親しみやすさも秀逸ですが、
人並外れたカリスマ性をまとっている大人物。
それが私にとっての中村喜四郎です。
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中村氏の初出馬は昭和51年の第34回衆院総選挙。無所属での立候補でした。
元参院議員であり、父である、先代の中村喜四郎の後援会を引き継ぎ、
戸籍名を「伸(しん)」から「喜四郎」に改めたといういわゆる二世です。
しかし二世とは言っても先代は参院議員でしたし、
ブランクもありましたので、直の後継ではありません。
衆院旧茨城3区の定数は5で、
第34回総選挙を迎える前の議席は、4人が自民党、1名が日本社会党。
引退する者はいなかったので、
狭い隙間に割り込んでいく挑戦でした。
27歳の中村氏はその狭い隙間をくぐりぬけ、トップで当選しました。
そして当選後に自民党の追加公認を受けています。
この選挙ではまた、前回辛酸をなめていた公明党の元職が2位に入ったため、
自民党公認の前職・赤城宗徳氏(72歳)と、
同じく自民党公認の前職・北沢直吉氏(75歳)を
定数5の枠からはじき出し、落選に追い込んでいます。
その2年後、昭和53年の第35回衆院総選挙では、
トップの座を、前回次点で落選した74歳の元職・赤城宗徳氏に譲っていますが、
(この赤城氏のリベンジもメッチャ凄い展開だが…。)2位で当選。
以来、中選挙区で執行された第36回(昭和55)から第40回(平成5)総選挙は、
5回連続、トップで当選しています。
圧倒的に選挙に強い中村氏は、党内・国会でもメキメキ頭角を現します。
平成元年に若干40歳にて宇野内閣で初入閣(科学技術庁長官)を果たし、
平成4年の宮澤改造内閣では建設大臣に任命されるなど、
早い出世とその将来性に大いに期待を集めました。
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しかし平成6年に、暗転の期が訪れます。
「自民党独占禁止法に関する特別調査会会長代理」在任中の斡旋収賄罪容疑が浮上。
東京地検特捜部の任意捜査を拒否したため、
検察庁が逮捕許諾請求を衆議院に提出し「逮捕」という方針を示しました。
そして衆議院で逮捕許諾請求が可決され、中村氏は逮捕されました。
逮捕される2日前に中村氏は自民党を離党しましたが議員辞職はせず、
無所属で平成8年の第41回衆院総選挙に立候補しました。
逮捕後に140日間拘留されており、刑が確定する前のことですから、
世間一般からの視点では「疑惑の真只中」という状況だったはずですが、
結果は当選です。
この第41回衆院総選挙から小選挙区比例代表並立制ですが、
中村氏は無所属なので比例重複の選択肢がありません。
にもかかわらず中村氏は新茨城7区で他の政党公認候補を下して当選しています。
平成12年の第42回衆院総選挙も、刑の確定前ですが無所属で立候補して当選。
一方で裁判の経緯は、
平成9年10月に東京地裁で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受け、控訴。
平成13年4月に東京高裁が控訴を棄却。
平成15年1月。最高裁が上告を棄却し、実刑が確定判決となったため、
直ちに衆議院議員を失職し、その後塀の中の人となってしまいます。
いつのまにか騒ぎが収まっていた平成16年2月。
中村氏は栃木県の黒羽刑務所から仮釈放され、そのまま刑期を満了しました。
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さて、中村喜四郎という人物が破格の大物ぶりを見せるのはここからです。
平成17年の第44回衆院総選挙に、再び無所属で茨城県第7区から出馬。
小泉純一郎首相が推進する構造改革や郵政民営化を全面的に支持し、
約2年半ぶりの返り咲きとなりました。
なお、中村氏の失職による補欠選挙で初当選し、
自民党茨城7区の総支部長を担い、現職であった永岡洋治氏は、
この選挙直前の8月1日に自殺。
永岡氏の妻・桂子氏が代わって自民党公認で出馬し、
選挙区では中村氏に敗れましたが、比例北関東ブロックで復活当選しました。
この第44回衆院総選挙以降、直近の平成29年・第48回衆院総選挙まで、
中村氏はいずれも無所属で出馬し、5回連続で勝ち続けています。
中選挙区で7勝、小選挙区で7勝、都合14勝。負けは一切なし…。
なぜ中村喜四郎はこんなにも選挙に強いのか。
その詳細は、昨年末に出版された「無敗の男 中村喜四郎 全告白」という、
常井健一氏の著作を一読いただければ知ることができますが、
この書は単なる政治本や、一人物の伝記とは異なり、
平成の政治史が一気に見えてしまうほど緻密な取材をもとに書かれております。
同時に、脚色はしないという著者の信念が貫かれており、
礼賛でない、しかし、感心せざるを得ない中村氏の政治姿勢、
選挙への取り組み、支持者との信頼関係の構築のプロセスと手法が、
実に巧みに描かれております。
選挙に出る人には必読の書と言えるでしょう。
話を本題に戻しますが、
立憲民主党と国民民主党の合流がなされる前の6月30日に、
毎日新聞が以下のような記事を上げています。
立憲民主、国民民主、共産、社民など野党の有志議員が、
国政選挙の投票率向上を呼びかける署名運動を始めている。
野党共闘に奔走する当選14回の中村喜四郎元建設相(無所属)が仕掛け人で、
次期衆院選に向けて無党派層の取り込みを狙う。
街頭などで、2019年の自民党の党員数を上回る「108万人」の署名を目指す。
署名運動は「投票率10%アップを目指す108万人国民運動」と名付け、
6月29日から始めた。中村氏が事務総長、立憲の枝野幸男代表が本部長、
共産の志位和夫委員長と社民の福島瑞穂党首が副本部長に就き、
野党の衆参議員140人が参加する。
国民の玉木雄一郎代表は
「署名よりも党員、サポーターをしっかり集めたい」として参加していない。
6月のこの記事、そして昨日の茨城新聞の記事を読むと、
中村氏はどうやら、野党共闘の事実上の選対本部長を率先して引き受ける。
そんな並々ならぬ覚悟が見えてくるわけです。
「投票率10%アップを目指す108万人国民運動」なんて、
いかにもリベラル受けしそうなスローガンです。
言い出しっぺが仮に枝野さんとか、福山さんとか、小沢さんだったら…、
私にはいつものたわ言か、犬の遠吠えにしか聞こえないはずですが、
率先しているのが日本一選挙に強いと臆される中村喜四郎氏となると、
言葉の重みが俄然増してきます。
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中村氏はどうやって投票率を上げようとしているのか…。
茨城新聞1面のインタビュー記事は、
地域総合面に「一問一答」という形でその続きが記されていました。
― 衆院の小選挙区比例代表並立に否定的だ。
「二大政党が見通せない現状に問題を抱えている。
投票率は下がり、この制度に問題があると言わざるを得ない。
選挙制度をテーマに党派を超えた政治改革をしたい。」(原文ママ)
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小選挙区制が取り入れられて以降、
ほとんどの選挙区が、【与党の公認候補VS野党の公認候補】の図式で、
まれに第三党か無所属、あるいは諸派が名乗りを上げても、
この人たちが善戦することすら難しい状況になっていると思います。
有権者からすれば選択肢が減り、
投票以前に結果が読めるようになってしまった。
衆院の総選挙は極端につまらなくなりました。
実際、中選挙区制で執行されていた衆院総選挙の投票率というのは、
7割前後で推移していました。
小選挙区比例代表並立制に変わってから概ね10ポイント下げており、
7割に戻したことはありません。
6割前後で推移していたものの、
平成26年の前々回が52.66%、平成29年の前回が53.68%。
次回は5割を下るかもしれない危険水域に達しています。
私が住む茨城6区では前回、自民党公認候補が選挙区で選ばれ、
野党の公認候補が比例代表で復活当選しています。
当時二人とも38歳の新人ですから、
今後、どうかしたら20年~30年、
この二人がライバル同士で競い合うのではないでしょうか。
そう簡単に予想できるということは、
他の候補者が割って入るスキがないということでもあります。
一度、大政党で公認をとって、例え比例復活でも当選できれば、
よほどのことがない限り公認を外されることはない。
つまり連続当選への切符を手にしたということでもあります。
党が勝手に候補者をよそから連れてきて、
上からの一声で「明日からこいつを頼む」って、
そしてそのほかの選択肢はない…。
こんなつまらない選挙制度って本当にどうなんだろう。
投票率を上げるって、
ここから手を付けなければどうやったって埒があかないと思います。
逆に面白い選挙と言えば、
冒頭に紹介した中村喜四郎氏の初出馬がそのものです。
定数5に無所属新人が殴り込み、トップで当選。
しかも72歳と75歳の自民古参をはじき出す。
そして次点で落選した72歳の爺さんが、
その次の選挙をトップで当選して返り咲く…。
こういうドラマが実際に起こる。起こりうる。
誰にでもチャンスがある反面、
大臣経験者と言えども、いつ寝首を掻かれるかわからない。
選挙がそういう制度・催事でなければ、
有権者は熱狂しないし、
政治活動や選挙運動に率先して加わることがバカバカしくなってしまうでしょう。
国会議員であれば、誰でもこんなこと百も承知なのかもしれません。
しかし、大政党と現職代議士にとって小選挙区比例代表並立制というのは、
安住の地を約束された制度でもあります。
それこそ制度がどうであれ、
選挙には絶対に負けない自信と根拠がある、中村喜四郎氏以外に、
小選挙区比例代表並立制を否定できる現職代議士は出てこないと思います。
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今回は中村喜四郎先生の新聞記事から、
主に衆院選の投票率について考えてみましたが、
参院選挙でも、地方の首長選挙でも議員選挙でも
軒並み投票率を下げています。
そしてその原因は今回の例のように、
制度やルールの不具合によるところが大きく、
決して有権者が政治音痴になっているのではないというのが私の実感です。
制度には狙いが必ずあるはずですが、
その狙いに添わなくなった制度は変えていかなければなりません。
制度には前提がありますが、時代の変化と共にその前提の形が変わったら、
やはり制度を変えなければなりません。
17年間で100人以上の選挙を手伝ってきた私も、
投票率を上げるための提案はいくつか披露できますので、
今後、(更新は頻繁ではありませんが)
「投票率を上げるって!?」の続きを書いていきたいと思います。