ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

 

私たちはコロナ禍を経て、

それ以前とは違う世界を生きています。

 

 

(※コロナ禍だった頃のイメージです)

 

 

以前と違うことを受け入れている方と、

以前と同じ生活を取り戻そうとしている方が

両方いらっしゃる世の中になってきました。

 

 

 

 

中でも学校というのは、

例年と同じものを尊ぶ習慣がどの学校にもあるのか、

以前修学旅行をしていたなら、

同じようにしようとしがちです。

 

 

 

 

円安や増税、その他にも様々な要因がありますが、

同じように修学旅行をするには、

保護者の負担も大きく、

そこまでやって旅行することを

子どもたちも本当に望むのか?って思います。

 

 

 

 

 

旅行したいなら、好きなメンツで

好きなところへ、好きな時間配分で

出掛けたいと思うのが自然ではないでしょうか?

 

 

 

 

とはいえ、ついこの間まで私も

自分がしてきた経験と同じような経験を

子どももするのが子どもの幸せと

洗脳されてしまっていました。

 

 

 

 

 

だけど、本当に毎年運動会をするのが

子どもの経験に必要なことでしょうか?

 

 

 

子どもたちがやりたいものを

種目なり演目なりを

自分たちで拾いあげて開く大会なら

大いに結構だと私は思います。

 

 

 

 

 

しかし、昨年と同じものを

極力同じように経験させることが、

本当に子どもたちを育てるのに

必要なことなんでしょうか?

 

 

 

 

 

親世代がやってきたことと

同じことを経験させることは

時には親世代が「しんどい」「つらい」

と思ってきたことを

同じように経験させることになります。

 

 

 

 

しかし、そこには

私たち親世代の反省が何もない、

何の進歩もしてこなかった

ことの証明でもあります。

 

 

 

 

 

親世代がそこを自覚しないからか、

親と同じものを、という希望を

学校は受け入れ続けていることが多いと思います。

 

 

 

 

親世代が「こうやって達成すると気持ちいいよ」的な

押しつけは、本当に今の子どもたちが

そう思うのでしょうか?

思い出補正入ってません?

 

 

 

 

コロナ禍があったことは

もう現実が変わることはありません。

だけど、コロナ禍の中で見えた

私たちの平凡、当たり前ということへの違和感を

ちゃんと向き合ってきたでしょうか。

 

 

 

 

コロナ禍と全く同じ日々に戻ることは

反省も改善もないわけですから、

私は違和感を感じています。

ま、だからといって

私は他人様に「変われ」と強制する気はありませんが。

 

 

 

 

「当たり前」だったけど、

次の世代に渡さなくてもいいものは、

子どもたちの世代に渡さないようにするのが、

私たちがちゃんと生きた証になるのと、

私は感じているのです。

 

 

 

 

 

 

本日もここまで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

 

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