今日、堺の大漁夜市に行って来た。


堺市での夏の一大イベントだと思う。



ふと何気なく思い出したのが小西行長。


この武将。まぁ私としては好きでも嫌いでも何でもない。

ドラマに出ても大して重要な役割は演じないしw


熱烈なファンもいるのでしょうけど、この人はなんで関ヶ原で西軍に

ついたのでしょう?ただ単に関所で、同じく止められて

長曾我部等と同じように、成り行きで西軍に着いたのだと思う。






とかとか






ないない。



まぁどちらかと言えば、東軍よりも西軍の方が居心地が良い?

仲が良い人間が居ると言う事くらいだと思う。



有る程度計算の出来る人間だと思うから、西軍で勝機があると

見こんだんだと思う。


毛利輝元は本気だと思っていただろうし、宇喜多なんかやる気満々。


これなら勝てる?そう踏んで西軍についた。




で、関ヶ原。




小早川の突然のFA宣言で狼狽し、西軍の戦闘部隊の中で真っ先に

壊滅?敗走してしまった・・・・・


本によれば、一番「ひよわな部隊」だとか「もろい部隊等」と書かれている。


かなり自分の計算とは違ったんだろうな。


肥後半国で会計事務所を経営して、静かにアーメンと言いながら暮らした

かったんだと思うが。





それで、小西行長は堺市にゆかりのある武将なんですね。


今日思い出したのは、夏祭りに行ってましたから、堺や泉州方面は


秋に奉納祭をけっこうするんですね。練物が結構出ます。


泉州方面では岸和田の「だんじり」が有名ですが堺市内では

だんじり曳航が明治時代に禁止になり、かわりにふとん太鼓が

各神社へ奉納されるようになりました。



ふとん太鼓には御稚児さんのように化粧をして着物を着せた

子供が「太鼓叩き」として乗るわけなんです。




私も子供の頃乗ってました。

化粧したら恥ずかしいし、着物はキツク締めあげられて苦しいしw



また、私の子供も小学生の間は乗ってました。


奉納祭で毎年行っていた神社が菅原神社なんです。






その菅原神社に、第二時世界大戦で燃えてしまったのですが

小西行長の手植えの松が保存されているんですね。



思えば私が子供のころからあったなぁと。



全然気がつかなかったのですが、本か何かで


菅原神社の松の木の存在を知りました。



ちょっと感動したな。




親子二代で祭り上げてもらった神社の奉納祭。

身近に時間の壁を越えて、戦国大名と間接的にかかわった

ような気がしました。



佐吉の独り言




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