東日本大震災から10年の日。
この日に犠牲になられたたくさんの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そして残された方々の心の傷が一日でも早く癒えますように。

今朝、仙台では、地元のとても大切な新聞「河北新報」の朝刊に、
10年前の震災翌日、3月12日という速さで新潟の新聞社の助けで出した、
朝刊紙面が再び、見開きで再掲載されています。

 
200人の遺体を発見、村が壊滅した模様など、
凄まじい事実の数々に、改めてその日を思いました。

 


先日、仙台のひかりの輪の友人と、市内の神社仏閣や自然を巡りながら、
震災の教訓を学びました。

その中で、印象的だった一つは、満天の星空のお話でした。
 
仙台天文台が無料で提供する「星よりも、遠くへ」という
東日本大震災の特別番組・ドキュメンタリーを観ました。
 
プラネタリウムに行ったのは30年ぶりくらいだったかもしれません。
 
被災された方が、あの日、満天の星空を見ていたというのです。
 
あの日、満天の星がきれいだった。
 
がれきの隙間から眠れぬ夜に見えていた光は
停電の中光る星の光だったと後で知った。
 
夜には、満天の星空だけが広がり、人間の小ささに立ち戻った。
 
少し前の時代まで、人はこの満天の星空を見て暮らしていたはずなのに、
ほんの数十年、満天の星空を失って、
電気を見ながら暮らすようになっただけなのに、
何かとてつもなく大きなものを失っているのではないかと思えた。
 
あの日に出ていた満天の星空は、死者を天国へ導く
道しるべだったのではと感じて救われるような気持になった。
 
もう一つ、とても印象に残ったのは、津波や地震は、
「災害」ではなく、「地球の自然現象なのです」というお話。
 
地球は、プレートを変動させながら動いていて、
その上に、いろいろな生き物や人も生きている。
 
地球は、地震も、津波も、火山の爆発も起こる星。
 
そんな星に、わたしたち人間が、表面の少しのところに、
住んでいて、勝手に「災害」だと言っているけれど、
地球はもともとそういうものだというお話でした。
 
だから古代の人たちは、大自然への畏怖畏敬の念を忘れず、
感謝して、大切にしながら暮らしてきたのだと改めて思いました。