-縁ありて会津-
○ 芦ノ牧温泉 フロント梅花大屏風
○ 露天の内風呂から 朝 紅葉の渓谷は絶景
○ 善龍寺境内 なよ竹の碑
○ 会津鉄道 塔のへつり駅
○ 塔のへつり 対岸に渡った人たちが見える
○ 両側溝の道を散策する
○ ネギそばを食べる裏手の山から(望遠)
縁ありて会津
◇ 縁(えん)
縁ありて会津を訪ねる。
私事でしかも親子で会津を訪ねるのは、何の“縁”なのかわからないがなつかしくもうれしい。“縁”は不思議と つくづく思う。
一方“縁”は偶然に見えていて実は必然で“縁”の種(ネタ)は、
当事者が気付こうが気付くまいが自ら発しているようだ。
グローバルな世界全てが“縁”で動いて“縁”で納まっているように思える。
しかし計り知れないところに人生の醍醐味が存在する。
◇◇ 想い
30年前、40代前半の僕は家庭を顧みない企業戦士であった。そのころラジオ、テレビから流れる「愛しき日々」のもの悲しい旋律が耳に入ってくる。それがTVドラマ「白虎隊」の主題歌であることを知り、会津と戊辰戦争を調べてその悲壮さに心が病んでいた。
そのころ仕事上では民営分割・転勤・激務・脱線事故等張りつめた日々が続き、母の死に追い打ちをかけるように父の死と極めてブルーな時期であった。
当該現場の激務は尋常ではなく、事実上信号と通信の2人の助役で回していた。
2歳年下のS助役は気骨ある会津出身で、不誠実な上司の指示に息を切って頑張っている。僕も夜の10時11時はざらでかつ土日はほとんど休めない。
それでも「忙中閑」8月初、S助役に招かれて会津本郷焼「せと市」へ、それは家内と会津若松駅近にある宿泊所「会津荘」に泊まり、早朝2時S助役の迎えで出かける。出店は吊り下げられた裸電球の下、木箱から取り出した「せと」が並べられていく、東の空が白々となる中にぎわう素朴な風物詩を思い出す。
<何か狂っている>二人で話し合うが行動には至らない。
そうこうしている内に起こるべきして起きたと言えるマスコミをにぎわす大事故が起きた。
疑似信号切替装置が原因で列車「ゆうずる号」が脱線転覆した。
大事故は職場の歪みを修正していったが、S助役は責任を取らされる一方、上司は逃げに入ったのである。幸か不幸か通信助役の僕は出張を命じられ現場にはいなかった。故人となって4年になるがS助役は、名誉を回復し20年前会津若松の現場長を最後に退職した。数々の会津への思いは尽きない。
◇ 芦ノ牧温泉
会津若松市から車で数十分南側に位置する山と渓谷に囲まれた温泉地、部屋付に満々と流れる露天風呂に入り、豪華に眺める景観に料理は素晴らしい。金婚に当たり良い思い出をありがとう。
ご縁の御用を終えて、ゆっくりと足順に沿って想いを巡らして行こう。
◇ 善龍寺
遅い朝食後くつろいだホテルを後にまず善龍寺の「なよ竹の碑」へ案内してもらった。会津藩家老の妻 西郷千重子さんの辞世の句をこの目で確かめたかった。
“なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそきけ”
<句碑は千重子の甥、白虎隊で自刃し後 蘇生した飯沼定吉書となっている>
その石碑を目の前に 手を合わせ 遠い昔を想い偲ぶ。
◇ 塔のへつり
初めて知り訪れるところで、運よく会津鉄道は「塔のへつり駅」に2両編成の車両が入線して来たところで、駅周りの駐車場は秋晴れの紅葉と相まって訪れる人の目を楽しませてくれる。そして深い渓谷に現れる奇岩は圧巻である。
◇ 大内宿
「塔のへつり」から30分ぐらいで着き、駐車場は日曜日のせいか大型バスも多く混んでいる。子供のころ田舎でも多少残っていた茅葺の家だが、道路両脇の側溝を隔てて整然と並ぶ様、すばらしくも日本の郷愁そのもの。側溝を流れる勢いのある清流が何とも印象的だった。一番奥の家に上がって名物のネギそばを食べる。1本の生ネギを箸代わりにすくって食べそれ自体も少しずつかじって食べるのである。ネギを刻む手間は省け、妙味の新鮮な長ネギとは自然でしゃれている。
◇ エピローグ
帰路、会津若松駅に寄ってもらう。周辺を見渡すがかっての面影を探すことはできなかった。
“縁ありて会津”を離れるころには すでに日は陰り始めていた。
あふれる躍動感が薄れ忘れ物の一つ二つは発生する父と母は、老齢を自覚しているようで自覚していない。その親をよく目線を下げて案内してくれたと思う。






