私は堕落論と復帰原理は不要と考えるが、創造原理は真理であると思っている。ただその創造原理も大きく書き直さなければならない。
人間は皆、世界平和と安心安全な生活を望んでいながら、人類歴史は戦争の歴史であった。悲惨な殺人、性犯罪も後を絶たない。全知全能の神がいるなら、どうしてこのような地上の悲惨な出来事を放置しているのか。
創造原理はその疑問に明確に答えてくれる。それは神の創造理想を神お一人だけでなく、子である人間と共に成し遂げたかったからだという。これには私は納得できる。
神の創造理想は今も続いている。人間には誕生以来、それを成し遂げる能力を神様から与えられているのだ。私は人類始祖の堕落で、その能力を失ったとは思わない。
確かにアダムとエバは戒めを破り神様を悲しませたかもしれない。しかしそれで神様は我が子に罪を着せるような方ではないと思う。だから原罪など無いのだ。
人類は戦争や人種差別という失敗を繰り返しながらも少しずつ理想に近づいている。古代のペルシア戦争から現代の第一次世界大戦、第二次世界大戦までヨーロッパは戦争の歴史であった。
そのヨーロッパは過去の反省からヨーロッパ連合(EU)を作り、国境を自由に往来できるようにした。また通貨を共通にして一つの経済圏を作った。これで争いの種は減った。これは理想社会に向かう一つのモデルだと私は思う。いずれ東アジアもこうありたいものだ。
文鮮明氏においては、人種を超え、国境を越え、肌の色を超え、人類は一つになれるということを国際合同結婚式で見せてくれた。これは人類にとって大きな希望である。そこに集った男女は創造原理が説く、神と人間による理想社会実現を夢見たのである。
統一原理は、「創造原理」だけでいいと思う。堕落論はあってもいいが、そこに大きな意味を置く必要はない。ましてや「血統転換」という幻想は削除しなければならない。
血統転換などしなくても、我々には神様から与えられた理想社会実現の能力がある。
2. 私が思う理想社会
アメリカは、銃による大量殺人、人種差別、格差社会、などいろいろ問題を抱えた国であるが、一方では素晴らしい国であるとも思う。
2013年にアメリカ オハイオ州クリーブランで、三人の女性が10年に渡り監禁されレイプされ続けた痛ましい事件があった。世にいうクリーブランド監禁事件である。
三人の中には、子どもを5回妊娠し、妊娠すると食事を与えられずに流産するまでひどい暴力を振るわれたという女性もいた。まさに生き地獄である。(詳しくはこちら)
私が驚いたのは、その三人が解放後に顔出しでテレビに出ていることだった。日本では性被害者が自ら顔を出すことは考えられないことだ。
現に日本でも新潟や千葉で監禁事件があったが被害者の顔はおろか名前さえ出てこない。それはプライバシーを守るという建前はあるだろうが、日本社会では性被害者を尊厳ある人間として迎え入れないからだ。
どうしても汚された女性とか、あの人は一生心に傷を負って生きていくことになるだろうという偏見の目で見てしまう。
ところがアメリカは違った。アメリカ国民は三人を単なる被害者ではなく、地獄の中でも生き続けた勝利者として迎え入れたのだ。そこには全く偏見の目はない。
私はその映像を見ながら、「アメリカって、なんと素晴らしい国になんだろう」と思った。これがアメリカ社会に根付いたキリスト教精神なのかもしれない。
私はこれが理想社会には欠かせない精神だと思う。そう理想社会とは誰でも尊厳を持って生きられる社会なのだ。
神様は一つの国だけでなく、様々な国々にご自身の精神を宿らせていると思う。日本の「和を以て貴しとなす」という精神もその一つであろう。
その精神が世界に広まれば戦争のない世界が実現されるかもしれない。そう簡単ではないことは重々承知しているが。
フィンランドなどの北欧諸国は幸福度が高いとされるが、それは老後の生活を国が補償してくれることが大きな要因とされる。また仕事と生活をバランスよく行っているから人生にゆとりがあるという。
他の国を学び世界が一つになれば、きっと理想世界が近づくのではないだろうか。
その先駆けになったのは文鮮明氏が執り行った人種、国境、肌の色を超えた国際合同結婚式であると思う。そこに集った男女は神様の創造理想に共鳴したのだ。
その一方で、合同結婚式に血統転換を期待して参加した人はどれだけいるだろうか。少なくても私にとって重要なことではなかった。私は神の創造理想に共鳴して参加したのだ。
私が血統転嫁を意識するようになったのは、家庭を持つ前の家庭修練会からかもしれない。私はそれ以来、再臨のメシアに服従するようになった。
しかし、それには私はいつまでも納得はしなかった。私は自分が描く理想社会とはあまりにも違う統一教会の実態に耐えられなくなった。
そして静かに去った。
文氏には悪いが、理想社会実現には堕落論は不要である。堕落論が不要なら復帰原理も不要である。ただ創造原理だけあればいい。
統一原理では人間に姦淫の心がある限り理想世界は訪れないという。しかし私は姦淫の想いを完全に取り除くなど無理だと悟った。
ましてや誰かの救済で消滅することは絶対にない。仏教やイスラム教のようにこの悪しき心をコントロールするしかないのだ。
創造原理では我々人間は神の似姿だという。私達は生まれた時から栄光ある存在なのだ。自分を罪人(つみびと)だと思う必要は全くない。神から与えられた神性を自分の人生で思う存分発揮すればいいのだ。
それを創造原理は説いていると思う。ただ創造原理には問題が多い。
他の方も指摘していたが形状は性相の表れだというのは障害を持った人に失礼だ。健常者の中にも悪人はいくらでもいる。
また私は創造原理と終末論に書かれる以下の表現には違和感を持つ。
<第一章 創造原理 > 第三節 創造目的 > (一)被造世界を創造された目的>
「それゆえに、人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。」
<第三章 人間歴史の終末論 > 第一節 神の創造目的完成と人間の堕落 > (一)神の創造目的の完成>
既に創造原理において詳細に論述したように、神が人間を創造された目的は人間を見て喜ばれるためであった。したがって、人間が存在する目的はあくまでも神を喜ばせるところにある。
一言でいうと人間の存在目的は神を喜ばせるためだという。言い換えれば神の自己満足だ。
そう受けとめられかねない表現は改めるべきだ。神ご自身も、自分を喜ばせてほしいなどとは思っていないと思う。
子は親に尽くすものだという考えは文鮮明氏の根底にある儒教から来ているものだろう。これは今も儒教精神が根ずく韓国では通用するかもしれないが、日本やキリスト教社会では通用しない。
キリスト教では神を愛すると同時に隣人を愛することを教える。これに対し統一教会は神のみを愛することを強調する。しかもその神とは再臨のメシアとされる文鮮明氏のことだ。
統一教会では一般社会のことを非原理社会と呼ぶ。そこには自分は優越感に浸り、相手をさげしむ感覚がある。それは隣人愛に最も遠い感性である。
私は20代半ばで入教した時に抱いた理想世界のイメージは、悲しみのない世界であった。
そこから40年たち阪神・淡路大震災や東日本大震災など数多くの自然災害をみてきた。これは地球のメカニズムである以上、数百年に一度、数千年に一度は繰り返されるものだと知った。
そのたびに大きな悲しみが生まれる。しかし、これには神様も関与できない。
ある宗教ではハルマゲドンの後に楽園が訪れるという。そこには人間社会では争いがなく、動物世界でも肉食獣も草食獣も仲良く暮らすという。
確かにそういう世界になってほしい。しかし核戦争で地球が滅びることがあっても、その先にイエスキリストに導かれた楽園が訪れるとは私には思えない。
結局は人間が神様から与えられ創造力を発揮して理想世界に一歩ずつ近づいていくしかないのだ。
戦争は人間の愚かな行為でしかないのだ。(ただ母国を守るために捧げた命は尊い)。戦争は人間が始めることなので、人間の英知を結集すればいつか無くすことができると思う。
ただ争いが無くなればいいというものではない。そこには、どんな背景があろうとも一人一人に優劣がなく、誰でも尊厳を持ち暮らせる社会が訪れることを私は願う。
3. 創造原理の再創造
私は文鮮明氏に否定的な見解を持つが、人種、国籍、肌の色を超えた、国際合同結婚式を実現させた功績は認める。
ただ今以上に広がらないのは、儒教や韓国人尊重という枠があるからだと思う。
創造原理にある、「人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。」という見解はあまりにも儒教的な見方である。
いつまでも韓国第一主義では、ユダヤ教がユダヤ民族の宗教であるように、統一教(統一教会の教えを便宜上、統一教と表現する)も韓民族の宗教で終わってしまう。
統一教が日本で信者の獲得に成功したのは、日本古来からある忠義の精神と滅私奉公がアベル・カインの精神に近かったからだと思う。
統一教が世界宗教になるには韓国第一主義から脱しなければならない。
しかし、一度甘い汁を味わった韓国人は、それを自ら手放すとは私には思えない。
結局は創造原理を作り直した、新しい宗教が起こるのを待つしかないというのが私の結論だ。
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