ポルコロッソ 音と光に囲まれて

ポルコロッソ 音と光に囲まれて

お気に入りの音楽や映画 映像・写真・舞踏等々 何でも有れの雑記帳


仙台市若林区 慰霊式典準備を伝えるTV-NEWS KHB東日本放送(テレ朝系)

あの日から15年目の朝を迎えました

2011年3月11日(金) 14時46分発生 最大震度7 マグニチュード 9.0

非常に長い間 震れていました

カーラジオから聴こえて来る津波警報 波高10mとか20mとか.....
想像すら出来ない数字

携帯やカーナビゲーションのTVを観れば臨時ニュース番組の映像も観る事は可能でしたが 怖くて観る事が出来ませんでした

当家の子どもたちは全員学校で被災し 中学2年生の二女が小学5年生の三女を小学校まで迎えに行き帰宅して来ました(流石 女子剣道部の部長 肝が据わっている!)

市内青葉区の高校に通っていた長女とは奇跡的に電話が繫がり 通常 車で35分位程の道を2時間半掛けて迎えに行きました

帰路の途中 連れ合いとも何とか電話(メール)が繫がり 勤務先の太白区役所から徒歩で帰宅すると連絡がありました

21時頃 全員が帰宅して第一夜を迎えるのですが 余震(それも震度4とか5位の)が続き 暖房も照明も無い部屋では眠れないので マンション駐車場の車の中に4人が車中泊

遠く 北東方面の空は石油基地の火災により赤黒く光っていました

マンション周辺は照明も無く 冷えきった空には悲しいくらい満天の星が輝いています
カーラジオからは次々と余震の震度や被害状況が伝えられて来ます

時間が経過する毎に 亡くなられた方々の数が増えていき 更には 沿岸付近では霊安所に運ばれていない方々が数十とか数百といった単位で横たわっているとの情報も伝えられ胸が締め付けられる状態でした

こうやって電気・ガス・水道と言ったライフラインが遮断された被災生活 第一夜が始まりました

最低3日分の食料や水 と言う数字では全く足りません

行政や自衛隊等の救護等が始まっても 末端まで物資が届くまでには時間が掛かります

地域や季節にもよりますが 最低一週間分位の備蓄は必要と感じました(あくまでも個人的感想です)

それと 避難所と自宅避難では配給物資の有無も大きな問題となります

幸い 私たちの地区では町内会活動が盛んで 自宅避難の方々にも炊き出しが振舞わられたり町内会に加入していなかった方々にも同様なサービスが提供されました

当時の町内会会長さんや加入していた方々の皆さんの英断が大きかった様に想えます

慰霊の日 追悼の日 鎮魂の祈りの日でもありますが 改めて 今後起り得るであろう大災害に向けた準備や心構えを家族の皆さんや周囲の方々と話し合う切っ掛けになれば幸いかと存じます

避難所になった近所の集会所で配布された「温かい塩🍙(一人1個でしたが大きかった!)」とバナナ1本が本当に嬉しかった 翌3月12日の朝でした
(👆の町内会の皆様が炊飯を担当され 地区の小・中学生を中心とした子ども会の有志が配布等を担当 今 その子ども等は25~31歳になって社会人として頑張っています)