そろそろ一年 | Re START from 仙台

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仙台在住、通信インフラ整備を生業としている人間の、東北人の生活、東日本震災に関するレポートです。


そろそろ、あの震災から一年。

節目の日を迎えます。


サンテンイチイチ以降、、って、

なんか、最近、耳障りに聞こえてきて、

さんがつじゅういちにちで、いいやん、と思ったりします。


なんでだろう?


・・・・・


ところで、以前紹介していた、スコップ団が活動を休止するそうで、

その最後の仕事が、鎮魂花火大会なのだそうです。


そのいきさつ、


以下、スコップ団オフィシャルHP より抜粋。


避難所から初老の女性を車に乗せて、私たちの倉庫にお連れした時の話です。
「主人とはケンカなんてしたことなかったの。」
「そうなんですか~。仲良しですね。」
「うん。本当の意味でのケンカはありますよ?議論みたいな」

「ちょっとした。」

「それがなくなったら人はお終いでしょ?」
「はぁ。」
「でも、その日は、本当にくだらないことで意味のない感情上のケンカをしてしまったの。初めて。」
「はぁ。」
「彼は車で、すごいスピードで出て行っちゃって「行ってらっしゃい」も言わなかったし、」

「行ってきますもなかった。そのままぶつかって死んじまえ!って思っちゃったの。」
「・・・。」
「そのまま、あの人は、津波で死んでしまったの。」

「だからね、私の一番の後悔は、食料や水を蓄えておかなかったことじゃないの。」

「懐中電灯もなにもいらない。」

「もし運命で彼が死んでしまう事が避けられないにしても、愛していたって伝えたかったってことなのよ。」
「・・・。」
「あなたは、何でもしてくれる。本当にありがとう。」
「とんでもないです。」
「でもね、モノじゃないのよ?」
「分かります。分かってやってます。俺もそうだ。」
「私の想いを、いつか天国に届ける企画を立ててくれないかしら?」
「分かった。考えます。チカラもつけます。」
「その時は、私は元気だよって彼に伝えたい・・・。」

これが【天国へぶっ放せ】の始まりです。
お墓へのお菓子やお花。
お供えは、合理的に考えれば無駄な事かもしれません。
でも、人間だからやるのです。
感情があるから、そうするのです。

私達もいつか死ぬ。
その時、感情が残っているのであれば、私はお供えは嬉しいと感じるだろう。

今回の花火は、お供えです。
雲が邪魔をしても、雲の上まで飛ばせば花火は見える。
スッと生まれて、ドンとキレイな大輪を咲かせて、散る。
まるで人生のようです。

咲ききることが出来なかった方が大半です。
だから、ドンと咲かせよう。

人生のような花火を、一番感謝すべき日だった3月10日に。

・・・・・


いろいろ思うところはありますが、、


まぁ、ヒトそれぞれで、いいやん、と思います。


前向きに。


最近、幸せってなんだろう?と、

ふと考えることが多くなりました。


なんとなく。


点、と、ベクトルと、

二種類あるんじゃないかなぁ。


「点」的な幸せ。


「ベクトル」的な幸せ。


3月11日が近づくたびに、

なんとなく、泣きたくなる気分に襲われる。

悲しいからじゃなく、嬉しいからじゃなく。


なんでだろう?


やっぱ、歳のせいか。


で、片づける(笑)