6ヶ月 | Re START from 仙台

Re START from 仙台

仙台在住、通信インフラ整備を生業としている人間の、東北人の生活、東日本震災に関するレポートです。


3.11地震より、半年以上が経過しました。


そして、このブログも、、。


B型の欠点、飽き性、ムラのある性格などなどを、もれなく備えている私(笑)にとって、

ここまで継続できたのは、かなり奇跡的な出来事です。


これまで、いろいろと応援してくださった方々に、心より感謝申し上げます。


このブログを立上げたのは、

以前レポートでも登場した、サイメン氏の発案によるものでしたが、

私にとっては、とにかく続けられるかどうかが、とても心配でした。


当初は、震災で大した被害をうけてもいない人間が、

このようなブログを立ち上げることについては、とても抵抗がありました。


・・・・・


震災から数日後、

自宅から歩いて数分のところにある、同業の社長宅を訪ね、いろいろと話をしました。


「俺たちはさ、通信のプロなんだから、通信の仕事で貢献しようよ!!!」


(て、言ったって、客先からは、まだ、何の話も、指示もないし、、)

(動くっていったって、ガソリン無きゃ、動くに動けないし、、)


本当は、家族を放置して、すぐにでも被災地に駆け付けたい気分でした。


私は、おそらく、あまり家庭的な男ではないのでしょう。


家族を守ることは、確かに、とても大切なことだと思っていますが、

自分たちよりも困っている人たちがいる中で、

自分たちだけを守ることに専念することが、とても嫌なのです。


そして、困っている人たちは、隣人です。知人です。


「俺さぁ、ちょっとボランティアに行きたいんだけどもさ、、」


と、言うと、妻は、


「えーっ!ちょっと待ってよ!!!」

「私らだって不安なんだし、仕事無いんなら一緒にいてよっっ!!!」


と、怒りました。


正直、悩みました。


(こういう時、わかった、行ってきなさいよって、そんな奥さんだったら良かった、、)


けれど、人はそんなに立派に、強くできてるわけじゃない。

女性の立場になって考えてみれば、妻の言うことも分からなくはない、、。


「わかった、じゃあ、あと一週間は一緒にいるよ」

「でも、その後は仕事に行くよ、仕事なかったらボランティアでも行くからね」


そういうことで、妻はしぶしぶ了解してくれたのでした。


・・・・・

震災直後の被災地は、本当に酷い様相を呈していました。


何かしたい。何とかしなくちゃ、、。

いったい、自分に何ができるんだろう、、。


ひたすら、自分の無力さを感じるばかりでした。

自分には家族だってあるし、会社だってある。

綺麗ごと言ったって、仙人みたいに、霞を食って生きていくわけにはいかない。

自分が、天涯孤独の身ならば、自己犠牲したって平気だけれど、、。


ブログっていっても、そんなの自己満足で終わっちゃうんじゃないのか?


「でもさ、少しでも情報拡散できるならば、それはそれで意味のあることだと思うよ」


そのサイメン君の一言で背中を押されました。


それから半年、、、


これからも、初心を忘れず、出来る範囲で、情報を発信していこうと思います。


本来の主旨から外れた記事もいろいろとありますが、

そこは、何卒、お目こぼしをいただいて、

今後とも、温かくお見守りいただきますようお願いいたします。


・・・・・


最後に、ブログ記事の紹介をさせてください。

あえて、コメントは控えます。

読まれた方、それぞれの立場で、感じていただければと思います。


3.11の記憶~After half a year
(umek@福祉系大学教授になったときのネタノートZより)


umekさんの震災当時の様子はコチラから。

津波に襲われた壮絶な様子が、ひしひしと伝わってきます。

はたして、アナタだったらどう行動しているでしょうか、、、?


3.11の記憶 ①


3.11の記憶 ②


3.11の記憶 ③


3.11の記憶 ④


3.11の記憶 ⑤