ゼロからわかる『歎異抄』 | 東北発!ゼロからわかる仏教教室

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「なんのために生きるのか?」
東日本大震災後、もっとも多く寄せられたこの問いにハッキリ答えられているのが、仏教です。

仙台を中心に、東北各地で、初めての方にも分かる仏教教室を開催。
誰でも気軽に学べる場として好評です。

「作家を目指す人で、『歎異抄』を知らない人はいない」

日本三大美文、鎌倉三大古文。
それくらい有名な『歎異抄』


文化国家としての日本をつくる思想、平和の基礎を築く思想が、『歎異抄』に書かれています。


実はこの『歎異抄』、全十八章は第一章に、第一章は以下の冒頭に要約されています。この部分がよく分かれば、『歎異抄』はすべて理解したことになります。


【弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて「往生をば遂ぐるなり」と信じて、念仏申さんと思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり。】

そして最重要ワードは「摂取不捨の利益」。

これ一つ分かれば、仏教全部わかるといっても、過言ではありません。

では
摂取不捨の利益とは何か。



摂取とは、逃げて逃げて逃げまわっている者を、追いかけて追い詰めて救い取る。じっと静かに待っている者ではないのです。仏法を聞き、自己の姿を知らされると、「逃げ回っている」の意味がわかります。


不捨とは、捨てない。仏教で教えられる幸福には2つあります。その一つは相対の幸福。

相対の幸福は捨てられるもの。崩れるもの。失うもの。続かない幸せ。震災で家を失う、失恋で相手に捨てられる、事故で妻子を失う。友達に裏切られる、親子間での虐待。もっと言えば、死ぬときには持っていけない幸せです。

利益とは、幸福のこと。世間でもご利益と言えば幸福のこと。すべての人は、幸福を求めて生きているんです。

だけれども、手に入れやすい、日常求めている幸せは相対の幸福ばかり。本心で求めているのは、捨てられない幸せなのに。

相対の幸福でない、もう一つの幸福が「摂取不捨の利益」です。言葉を知らない人でも、無意識でも、本心はみな摂取不捨の利益を求めているんです。


この摂取不捨の利益になるまでの道程を伝えているのが、仏教です。それを勉強会で話しています。


勉強会にぜひ一度きてみてください。
日程はこちら。
http://japan-buddhism.com/tohoku/

東北以外でも開催しています。お気軽にお尋ねください。

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