今回からブログを始めます!
記念すべき第一回目は、レマルシャンという方についてに調べていこうと思います。なぜ僕がレマルシャンさんを調べようと思ったか?それは最近靴に興味を持っていて日本の靴に凄い貢献した人がこの方だと聞いて調べようと思ったからです!
まずレマルシャンさんの簡単なプロフィール
名前 フォルディナンドゥス・ヨハネス・レ・マルシャン
(Fordinandus Johannes Le Marchand)
生年月日 1837年11月14日
没年月日 1884年2月1日(49歳没)
出身地 オランダゼーランド州ミデルブルフ
父親 Johannes Wilhelmus le Marchand
母親 Wilhelmina Antoinetta Meurs
配属者 磯村すて
フランスの叔父に少年の時靴作りを学んだそうです。
どうやら貴族だったらしいです詳しくは調べてもよく分からなかったです。
ある時パリで幕府派遣使節の1人と知り合った事を機に、当時23歳のレマルシャンは日本へ向かいましたが、乗った帆前船が波浪で遭難したために、長崎に到着したのは文久3(1863)年、レマルシャンは26歳になっていました。明治3(1870)年6月、レマルシャンは1年契約で高知藩に靴教師として雇われました。
契約終了後の明治4(1871)年5月に横浜に戻り、再び靴屋をしていましたが、翌明治5(1872)年3月、伊勢勝造靴場の西村勝三の必死の懇願により、レマルシャンは伊勢勝に靴教師として招かれました。明治8(1875)年、独立して芝田村町に靴店を開業します。この年に明治天皇のお靴を作っています。明治12(1879)年、神田淡路町の共立学校(後の開成中学)に42歳で入学しています。明治15(1882)年に銀座尾張町2丁目5番地に洋風店舗の「レマルシャン製靴所」を新築します。
横浜の舞田橋通りにも支店を出して、社交界の女性達や高級官吏の注文に追われていました。しかし明治19(1886)年2月1日、レマルシャンは49歳で亡くなりました。
その後明治39(1906)年6月、西村勝三らによって向島にレマルシャンの感謝碑が建てられました。
横浜の舞田橋通りにも支店を出して、社交界の女性達や高級官吏の注文に追われていました。しかし明治19(1886)年2月1日、レマルシャンは49歳で亡くなりました。
その後明治39(1906)年6月、西村勝三らによって向島にレマルシャンの感謝碑が建てられました。
引用
https://blog.goo.ne.jp/japan_vintage_shoes/e/e2ecf55410177daf5405a7651d5a90a2
https://www.openarchieven.nl/zar:61D3D566-0572-4BC9-AF6B-63407E982731
