こんにちは~
陽だまりメンバーのビビです![]()
毎日、暑い日が続いていますが 皆さんはお元気でお過ごしですか![]()
今日ここでお話させてもらうことは 私の幼なじみの男性Mのお話しです。
少し長文になりますが最後まで読んでいただけると嬉しく思います。
<幼なじみの人生>
先週の終わりに私の
に1件の連絡が入りました。
出てみると、幼なじみMの母親からの電話で「Mの手が動いたんよ・・・」との言葉でした。
これでは、読んでくださる皆さんには理解できませんよね
(すみません・・・)
私のこの幼なじみは、一年二ヶ月の間ずっと病院のベットで眠り続けています。
お医者さんには、「このまま、意識が戻るかどうかは期待は出来ない・・・」とまで言われた事を私はMの身内の方と一緒に聞かされたことを覚えています。
Mは、去年の5月に自ら命を絶とうとし自宅の自分の部屋で自殺をはかりました。
幸い母親が発見して命は助かりましたが、その時からMの意識が戻らなくなりました。
この時も、私はMの母親から直ぐに連絡をもらい運ばれた病院に駆けつける事が出来ましたが何度彼の名前を呼んでも目を開けることはなかった。
この自殺をはかるまでのMの人生は、壮絶なものがありました。
Mは、母親と歳の離れたお兄さんの3人家族で父親はMが小学1年生の時に亡くなったそうです。
Mは、私たち仲間の中でも頭が良く優しくて女の子からも男の子からも人気のあるそんな子供でした。
中学・高校・大学・大手会社就職と何事も順調に進んでいました。
そのMが仲間で集まって飲み会をしている時に
「近い内に結婚が決まりそうだ
」と照れくさそうに私たちに話してくれていたのを鮮明に覚えています。
この時、私たちは30歳という歳でした。
早くに結婚して子供が居たりする中でもMは急がず慌てずの自分のペースで地道に自分の人生計画をしっかり持っていたんでしょうね。
そんな中、31歳の春にMは交通事故に遭いました。
結婚式を控えた3ヶ月前の出来事でした。
私たち仲間の方にも連絡が入り病院に駆けつけた時には、手術室に入ったままで7時間にも及ぶ大手術の後 面会謝絶で長い月日が経ちました。
面会謝絶が取れた時には、Mは下半身不随という状態でした。
その時を境にMの心は閉ざしてしまい よく見せていた笑顔も全く消えてしまい。
婚約者の彼女やたくさんの友達まで遠避けるようになり。
いつしか婚約者である彼女の姿も見えなくなりました。
友達たちも何度も病院を訪れ、Mを励ましてきましが言葉まで忘れたのかと思うほど
Mは誰に対しても反応することなく長期の入院生活を過ごし自宅へ帰ることになりました。
仲間の間では、Mに対して腹立ち怒る人も出てきました・・・
私も、仲間たちと同じ気持ちを抱かなかったか?と言われれば同じように抱いていたと思います。
でも、どうしてもMをほっとく事は出来ませんでした。
仲間には、ことごとく言われました。
「お前が疲れるだけや
」とそれでもMを今、独りにはしたらアカンのだという気持ちの方が強く。
私は、Mが自宅に戻った3日目から、毎日Mの自宅を訪れました。
もちろん、Mは部屋に私を入れてくれようとはしてくれませんでした。
この日から根気比べのような日が続きました・・・・
私も、子育てと仕事があるのでMの家に訪れる時間はその日その日で違いましたがそれでも、毎日毎日通いました。
Mのお母さんにも「ありがとう、もういいよ。毎日つかれるやろう
」と悲しい表情で言われたことがあります。
でも、私は「Mと話がしたい
」とおばさんに話をするとまた快く承諾してくれました。
おばさんにも何度か協力もお願いMへの手紙などを彼に渡してもらったりと毎日が試行錯誤でした。
そんな、ある日仕事中に
が鳴り出ると男性の声で「聴きたい曲があるんやけど・・・」との言葉に一瞬?(。'(ェ)'。)ん?となった私がいたんですが直ぐに状況を
飲み込めた私は慌てて「Mなん
」と聞き返すと
「おう
」との返事が返ってきました。
驚きと嬉しさを抑えながらも「なんて・・・
聴きたい曲
」と聞き返すと「うん
」
「CD買って来てくれへんかな・・・」とのことでした。
私はその
を切った後に直ぐに早退して帰ることを決意し早速頼まれたCD
と手土産を持ってMの自宅へと急ぎました。
この日にやっとMが私を自分の部屋へ招き入れてくれました。
私の日記を見るとMの家へ訪問するようになってから7ヶ月と6日目のことでした。
それからも私はMの家へ行き、他愛無い会話を2人でしたりしMにもどんどん笑顔が出てくるようになってきました。![]()
だんだん時間が経つに連れMも落ち着きMの方から
「もう、俺は大丈夫やからお前の生活に戻って
」と言ってくれ「でも、時々はこうして遊びに来てくれや
」と言ってくれたのもあり私もそうすることにしました。
Mとの約束どおり定期的には家を訪れ天気のいい日
にはMを連れ出し車椅子を押し散歩へ出かけたりとしました。
そんな中、Mの体調が良くないこともしばしば出てくるようになり以前の様に人を遠避けるような事にはならなかったけど欝のような症状が出るようにもなっていました。
車椅子の自分、この先の自分の人生を不安に思ってたのでしょう。
よく私にその話をして聞かせてくれました。
そんな、自分に本人も自覚していたのか病院にも通うようにもなりました。
私は前のようにMの家へ頻繁に行くようにもし、その都度Mが抱える不安の話を時間をかけながらでも話し合いながら過ごしてきました。
そして、去年の5月に事件は起こりました・・・・
Mが自殺をはかり病院に運ばれた、次の日におばさんから病院で私の名前宛の手紙を手渡されました。
Mからかの手紙でした。
その内容は私に申し訳ないという事と、その中いろいろな事が綴られていました。
「独りになるとふっと自殺を考えてしまう、やっぱり自分はアカン!!」のだとそう書かれていました。
Mからの手紙は6枚もの便箋にぎっしりと書かれていました。
今でも、その手紙を大事に保管してあります。
自ら命を絶とうとしたMは一命は取り止めたものの昏睡状態になり歳の離れたお兄さんの住む場所の病院へ母親と移り一年二ヶ月眠り続けていました。
そのMの手が動き軽く拳を握ったんだと連絡を受けた私は居ても立っても落ち着かず連絡が入った夜中に家を出てMの居る病院へ車を走らせました。
病院までは、かなりの距離がありましたが 車を走らせながら「奇跡は必ず起きる
」「奇跡が起こりますように
」とずっと口にしていました。
病院前に着いたときには夜も明けていました。
面会にはまだ早い・・・ でも、早くMの姿を見たいと思いMのお母さんに連絡を入れました。
Mのお母さんと、お兄さん夫婦が急いで駆けつけてくれました。
病院側には、お兄さんが状況を説明してくれ許可をもらい病室へ入れてもらうことが出来ました。
以前この病院に来た時は、呼吸をさせる為の装置が付けられてたのに今回は何も付いていない状態で驚きました。
M自身が自分で呼吸をしている事を私は知らなかったからです。
涙が溢れ出しました。
ハンカチで拭っても拭ってもしばらく涙が止まらず
目がパンパンに腫れあがりました・・・・
その日、時間が許される限り私はMの横でずっと話しかけました。
「おい
いつまで眠ってるねん・・・」
「聞こえてるんやろ
起きるの待ってるんやで」
こんな事があってな。あんな事にな。と返事は返ってこないのは分っているけどたくさん話しかけました。
話しかけると、時々指先が軽く動くこともこの目でハッキリ確認しました![]()
Mは自分の置かれた状況に苦しみ、自ら命を絶とうとしましたが向こうの世界にも逝けず昏睡状態で一年経ってからの今、生きようとしている![]()
暗闇の中迷いながら自分の力で出てこようしている![]()
奇跡は必ず起きる
そう私はMの横で思い感じました。
「M、逝こうとして逝けなかった。これが宿命であり アンタやからこそ乗り越えれるだろうと次から次へと重みのある人生を与えられたのかもよ・・・」「そこには、アンタに与えられた何かの使命があるのかもよ
」そう最後にいい残し病院を後にしました。
まだ、目覚めてはいませんが、生きようとしているならば今度は今度こそは
その命を大切にして欲しい
私たち周りの人間も命の尊さをもっと考え大切にして行かなくてはいけないことをさらに考えさせられ教えられました。
長々と書かせてもらいましたが、このブログを最後まで読んでくださり少しでも命の重みを感じて下さった方がいたとしたら 逝くことを考える前に自分には使命があるのかも!!とゆっくり時間をかけて考えてみてください。
お願いです! 家族や恋人そして友達を悲しませないで下さい。
あなたの存在を大事に思ってくれてる人は必ず近くに居るはずです。
命を亡くす勇気があるなら、生きる勇気を持ってください。
最後まで読んでくださった方 本当にありがとうございました。 心より感謝いたします![]()