霞を食べて死ににいく. -7ページ目

霞を食べて死ににいく.

全ての存在にまつはる(調和)ことができるように、

身魂を磨いていきたいと思います。

自分以外の存在のために命ある限り、

力を尽くしていこうと思います。

>> 善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。

>>
総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。

日月神示を読む前に、仏教とか学んだ方が理解しやすいでしょうね。

>>
神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、また霊人として霊界に生命する。

長南 年恵
、スウェデンボルグがそうでしょうかね。お釈迦さまやキリストもそうだと思いますが。


>>
神の歓喜を内的にうけ入れる霊人の群は無数にあ り、これを日の霊人と云う。神の歓喜を外的にうけ入れる霊人の群も無数にあ り、これを月の霊人と云う。月の霊人の喜びが、地上人として地上に生れてくる場合が多い。

月の霊人はアーティストとか芸術家に多いんじゃないかって思う。
中島みゆきの時代……

>>
一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。

真理だな。

>>
生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。即ち、死後は生前の形式による。形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。

愛、真、善、美、その人が考える行為として生まれるのでしょうね。
良くも悪くも……

>>
人間に偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。

>>
霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。


第三帖

>>
世をすて、外分的、肉体的諸欲をすてた生活でなければ、天国に通じ得ぬと考えるのは誤りである。

神様が言っていたとしても、これは誤解を与える。
確かに、世をすて、外分的、肉体的諸欲をすてた生活でなければならない訳ではないでしょう。
それもわかります。ただ、必要以上の欲は獣になり下がります。
それほど、人は愚かな存在だと思います。


>>何故ならば、地上人に於ける肉体は、逆に霊の守護をなす重大な役目をもっているからである。地上人が、その時の社会的、物質的生活をはなれて、霊的生活にのみ入ると云うのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みであることを知らねばならない。


自殺して、こっちくんなよって言ってますよね、これ?


第四帖
>>
故に同時に、善と悪との両面に通じ、両面に生活することとなるのである。其処に、地上人としての尊きかなしさが生じてくる。霊人に於ては、善悪の両面に住することは、原則として許されない。一時的には仮面をかむり得るが、それは長くつづかず、自分自身 耐え得ぬこととなる。地上人と雖(いえど)も、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。


疲れたので、ここで一旦切ります。