霞を食べて死ににいく. -35ページ目
>>祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。
借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでない
ぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望(たいもう)であるぞ。今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞
(のりと)あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主
宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るで
あろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむもので
はないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりで
ないぞ、皆心得ておけよ、神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。九月十九日、ひつ九の
。
借銭なし=阿羅漢果ですね。
悟りの階梯にもその記述がありました。
快方にむかっていると先日、書きましたが、
ただ、体が神に近付いていただけでした(語弊があるかもしれませんが…)。
神の定義は色々あると思います。
面倒なので書きませんが、阿羅漢果に近付いていた、ってことですかね。
現代人が食べるようなものを食べたら、体の不調が再発してきました。
治った訳じゃないのね…きついです…
このブログのタイトルのように生きるのはいつの事になるのやら…

