霞を食べて死ににいく. -14ページ目

霞を食べて死ににいく.

全ての存在にまつはる(調和)ことができるように、

身魂を磨いていきたいと思います。

自分以外の存在のために命ある限り、

力を尽くしていこうと思います。

同期に会いに行った魚沼経由東京行きの旅(帰りに柿田川に寄りました)は

神様の加護があったなって思います。

会う人との不思議な縁もそうですが、

体調が大きく崩れなかった点が一番の理由です。

本来、食べちゃいけないものを食べてましたから…


何の話かって?

ここ最近の話をしようと思いまして。

ひふみ神示にある礼拝を

毎日、神社でのっています。

のりのりです。

私には朝早く、5時ぐらいが一番いいですね。

やろうとしてやってる感じじゃないんですよ。

やらないと体がしんどくなるのでやってるんですよ。

朝が一番のりやすい。

一回、朝じゃなくて夜に礼拝したんですが、

その日の日中はずっと体調がしんどかった。


“のる”って日々の生活ができていないと

“読む”になると思います。

“のる”という行為は神様の受け皿になるためのものだと思います。

訓練のような意味合いだと思います。

祝詞を読むだけなら、たぶん、誰にでも出来ます。

ただ、“のる”っていうのは中々できないです。

この“のる”っていう状態は、“瞑想”に近いと思います。

“瞑想”しながら神前で“のる”感覚だと思います。


神様の受け皿になるために心の洗濯、身魂の洗濯をする、

それが結局、肉体の洗濯につながる。


ふと思いましたが、“のる”っていうのは短時間の憑依なのかもしれませんね。

だから、心、身魂の洗濯が必要(神様がのる訳だから)。

洗濯せずに“のる”と変な霊が憑依する(場所も大事な気がします)。

だから、因縁の身魂にだけ、なんでしょうね。


結論として何が大事かは、心、身魂の洗濯なんでしょうね。

結局、そこになるんですね。