ずっと前から体調が良くなかった母方の祖父。


先日骨折をしたのでその手術のために入院して身体の検査をしたところ、骨折箇所以外にも悪い箇所が多々見つかり、すぐに手術ができずに保留となり、入院していた。


今日のお昼、叔母から母に電話が。

祖父の容態が良くない、とのことだった。


その後の連絡で、祖父は一命を取り留め、容態もひとまずは安定したと叔母から連絡があったと母から聞き、安心した私はいつものように自室に篭り、夕飯の支度の時間になったので再び母に会いに行くと母の目が腫れていた。泣いていたのだとすぐに分かった。


それまでの母は「手術までもつかな」「やばい気がする」と結構グレーなことを喋っていてむしろ私がそれを止める側で、何より母はこれまであまり祖父母の家に寄りつこうとしなかったから、それほど悲しみを受けていないのかもと思ったがそれは間違いだった。私があまりにも浅はかすぎた。


親の死というどうしたって避けられないことは、悲しくないわけがない。


なんだかんだ言ったって家族で、恩もあって。辛くないわけがない。

そう思ったらそれまでの私の考えがあまりに軽薄すぎて申し訳なくて仕方がなくなってきた。



かくいう私は、未だに祖父の死に対して何も思えないのが現状。現実のものと思えない。自分のことだと思えないのだ。


だって、生まれてからずっと生きてくれていることが当たり前で。明日も明後日もこれからもずっと生きてくれていることが私にとっては当たり前で。当たり前なんかじゃないのに、当たり前と思ってしまっていて。



信じられない。受け止めきれない。実際に起こっている出来事だと理解ができない。


変わらない明日を願うというのは、私には過ぎた願いなのだろうか。


あまりにも痛々しい母を見ていられず、上手く言葉もかけられないし何の手伝いもできない私は1人自室に篭りこうして思いを書き殴っている。何とも情けない。


ちなみにそんな時でも我が家の男どもは何一つ変わらず遊びに出かけるし母に仕事をやらせまくっているし。使えなすぎて会いた口が塞がらない。母からすれば私もほぼ変わらないのか。泣けてくる。


とりあえず、今は祖父が元気になることを願うばかりだ。母には笑っていてほしい。もちろん、祖父にも祖母にも。


みんなが笑っていられる時間が一分でも1秒でも長く続きますように