自分自身の母親がどんな思いで、
自分を育ててくれていたのか、
ということである。
毎日の成長をまるで自分のことのように喜び、
少し風邪をひいただけで、不憫な気持ちでいっぱいになり、
自分の子供が世界で一番可愛いのでは、
と思ったり、と。
こんな思いで見守られていたのは、
小さな子供の時だけだったのかどうか、
それはわからないものの、
少なくともこんな風に愛されていたんだろう、
ということは確信できる。
思春期になれば、
てめー
おまえ
くそばばぁ
うるせぇ
と、数多くの酷い言葉を浴びせていた自分を、
母親、あるいは父親はどう見つめていたのか。
娘と息子のケースで、それは違うかもしれないが、
少なからず、こんな風になるように育てたはずではなかった、
そんな風な思いを抱かせてしまっていたとは思う。
大学まで、すねをかじるだけかじり、
社会人になり、名古屋へ1人で出て、
まるで、一人前になったかのように、
家族への連絡もあえて途絶えがちにし、
挙げ句の果てにジャカルタへ移り、
娘が産まれれば、さらに距離を置き、
あとは自分で人生を歩んでいける、
かのような感覚になることもあった。
しかし、ふと立ち止まった時に、
なんとも言えない懐かしさに苛まれ、
フラッシュバックとも似たように、
様々な思い出が呼び起こされる。
ふと思い立って開いたアルバムの中の、
父母に抱かれた写真を見れば、
今この瞬間の自分が、曲がりなりにも、
一社会人として、
一父親として、
あれることに感謝の思いがこみ上げてくる。
父母には少しでも長生きしてもらい、
時間の許す限り、あるいは意識的に、
どんな形であれ、
一つ一つ…。
