イワトビのブログ

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あれは2000年の6月だった。初めて憧れのヨーロッパ、それもあまり観光客が訪れないであろうルーマニアに降り立った。

ブカストのオトペニ国際空港には、ルーマニアの知人が迎えに来てくれていた。

初日は旅の疲れもあり、泊めてもらうことにした。酒盛りをし、早めに就寝した。翌日、本拠地となるブラショフ(ドラキュラ城で有名)まで車で送ってくれるという。電車が異様に安い国なので悪いと思ったが、彼がやけにフレンドリーなのでお願いすることにした。一路ブラショフまで6時間くらいのドライブだった気がする。ところが宿なんてまったく準備してなかったが、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言うので、よくわからないまま身を任せることにした。

夜が更けてからブラショフ駅に到着。ここには「旅の歩き方」にも載っている有名なゲストハウスの案内人がいて、若干日本語も話せるらしいので、聞けばすぐに案内してくれるとのことだった。案の定、外国人と見るやすぐに声をかけてきて、1泊20ドルほどの民家を紹介してくれた。見て気に入れば使ってくれとのことだったので、案内をしてもらった。

庭に二棟あり、小さいほうの家におばあさん一人が住んでいて、2Kバス付きの家で1部屋を使わせてくれるとのこと。おばあさんと同居する形だった。そこがミーチィおばあさんの家だった。その日は疲れていたこともあり、送ってくれた知人と雑魚寝し、しっかりガソリン代と手間賃で200ドルを要求された。(後で分かったのだが、これは恐ろしく高い。平均月収6000円くらいの国なのに)

おばあさんは昔習ったフランス語とルーマニア語しか話せないが、毎朝「コーヒルーツァ?」とコーヒーを飲むかと聞いてくれ、起きたころに煎れてくれていた。とても美味しかった。向こうは豆が違うのだろう。言葉がわからないままテレビを見ながら、お互いに英語とルーマニア語で好きなことを喋っていた。ゼスチャーのみでなんとか理解した。そんなこんなで2ヶ月お世話になっていた。

ある日、街中にある観光客用のレストランで、民族舞踊を見ながら食事をするスタイルの店に行きたいと思い、おばあさんを誘ってみた。当然、1人8000円位するらしく、ルーマニア人にとってはとんでもない金額だ。おばあさんは『レストランなんてもう何年も行ってないから、恥ずかしいし、高いし悪い』と断られた。何度か誘ってみたが、答えは変わらなかった。

そして、帰国の時期が来て、涙の別れをした。日本に帰ったら手紙を書くからと約束し、日本に戻った。


ブラショフの朝は冷たい霧に包まれ、石畳の道がしっとりと濡れていた。ボーティの家に泊まり、一晩中昔話に花を咲かせた僕は、久しぶりに心地よい眠りについた。友達との再会は心の重荷を少し軽くしてくれたが、まだやるべきことがあった。

ボーティの家の居間に降りると、彼はすでにコーヒーを淹れて待っていた。『起きたか?今日はいよいよミーチィおばあさんをビビらせに行く日だな』とボーティはニヤリと笑った。

『そうだな、驚かせる準備は万端だよ』と答えながら、僕も笑みを浮かべた。昨夜、ボーティと語り合ううちに、僕たちの友情は再び強く結びついたように感じた。彼は昔からの親友であり、今もその関係は変わらない。

朝食を終え、僕たちはミーチィおばあさんの家に向かう準備を始めた。前回の滞在で約束したルーマニア民族舞踊レストランに一緒に行く計画を果たすためだ。あの時、ミーチィおばあさんは『そんな高いところに行く服がない』と言って遠慮していたが、今回は僕たちがすべてを手配した。

ミーチィおばあさんの家に着くと、台所の小窓から覗いていた彼女の姿が見えた。僕がドアをノックすると、ミーチィおばあさんがびっくりして目を大きく見開いた。『こんな早くにどうしたの?』と、驚きと喜びが混じった声で叫んだ。

『サプライズ!』と僕は笑いながら答えた。『おばあちゃん、今日は本当に特別な日なんだ。』

彼女は一瞬困惑した表情を浮かべたが、すぐに微笑みを返した。『何のことかしら?』

『覚えてる?前回言ってた高級レストラン、今日こそ行こうよ。僕が全部払うから心配しないで。服も、ボーティと僕が手配したから。』

ミーチィおばあさんは一瞬ためらったが、僕とボーティの真剣な顔を見て、ついに頷いた。『そんなに言うなら、行きましょうか。』


夕方、僕たちは町の外れにある高級レストラン「Roata Norocului」に到着した。ルーマニア民族舞踊とワイン貯蔵庫の見学ツアーがセットになっている、外国人観光客に人気の場所だ。入り口の大きな木製の扉を開けると、重厚な内装とともに温かな照明が僕たちを迎えてくれた。ホールには古い世界の香りが漂い、上品な家具が並んでいる。

ウェイターが僕たちをテーブルへ案内し、席に着くと、まずはワインのリストが差し出された。ミーチィおばあさんは『こんな高級な場所に本当に来ていいのかしら?』とまだ不安そうだったが、僕とボーティが『今日はおばあちゃんのための日なんだよ』と励まし、ようやくリラックスした様子を見せてくれた。

前菜には、新鮮な野菜と地元の特産品がふんだんに使われたサラダが運ばれてきた。続いて、ルーマニアの伝統料理である sărmăluțe(ロールキャベツ)や mici(グリルソーセージ)が登場した。これらの料理は、ミーチィおばあさんが昔作ってくれたものとはまた違った洗練された味わいで、僕たちは感動しながら食事を楽しんだ。

やがて、ワイン貯蔵庫の見学ツアーが始まった。レストランの地下にある広大な貯蔵庫には、年代物のワインがずらりと並んでいた。ガイドの説明を聞きながら、僕たちは各地のワインを試飲した。特に、地元のワイナリーが作る赤ワインは深い味わいがあり、ミーチィおばあさんも『こんなに美味しいワインは初めて』と感激していた。

ツアーが終わる頃、ホールに戻ると生演奏が始まっていた。伝統的なルーマニア音楽が流れ、雰囲気は一層ロマンチックになった。僕たちはワインでほろ酔い気分になりながら、音楽に合わせて踊る準備をした。

『おばあちゃん、一緒に踊りましょう』と手を差し出すと、彼女は少し照れながらも手を取って立ち上がった。僕たちはダンスフロアに移動し、チークダンスのリズムに乗ってゆっくりと踊り始めた。ボーティも隣で踊りながら、僕たちを見守っていた。

『本当にありがとう。こんな素敵な夜を過ごせるなんて思ってもみなかったわ』とミーチィおばあさんが涙を浮かべながら言った。

『僕も感謝してるよ。あなたのおかげで、今日という日が本当に特別なものになった』と僕も感動しながら答えた。

音楽に包まれながら、僕はこの瞬間が永遠に続けばいいと思った。友情と日常の中での約束が、こうして再び繋がる瞬間を大切に感じた。僕、ボーティ、そしてミーチィおばあさん、この特別な夜が、僕たちの心に深く刻まれた。

夜が更け、レストランを出ると、ブラショフの街は静寂に包まれていた。僕たちは肩を並べて歩きながら、これからも続くであろう友情を胸に誓った。ミーチィおばあさんとのダンスも、ボーティとの再会も、この旅の中で特別な思い出として心に刻まれた。