ソウルは、近年経済成長を果たし急速に都会化が進んでいるが、さらに新しい姿へと日々変化を続けている。
都市計画によって次々と現代的な建物が建てられ、幼いころから慣れ親しんだ路地裏も、気がつけば見慣れないマンションばかり。昔の面影はもう見当たらない。
早く早く!とばかりに、古いものをあっさりと捨て、生まれかわった新しい街の姿に沸き立ってしまうのは、なにもソウルに限ったことではないが、かわりゆく街にふと寂しさも感じるのも事実だ。
でも、そんなソウルで昔ながらの情景に出会える希少なエリアがここ、北村(プッチョン)だ。
北村の歴史。
かつて朝鮮時代の首都であった漢陽(ハンヤン:今のソウル)は、王の居住空間と行政機関を兼ねた王宮を中心に町が形成された。
両班(ヤンバン)と呼ばれる当時の官僚や勢力者たちは、2つの王宮:景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)の周辺に韓屋(ハノク:韓国の伝統的な家屋)を建てた。当時は建物の大きさと王宮からの距離で権力の大きさを伺い知ることができたようだ。
地理的象徴である鐘路(ジョンロ)通りと清渓川(チョンゲチョン)を中心に見て、北に位置する村だから「北村」と、地名の由来はシンプルだが、朝鮮時代には、政治に幅をきかせ権力をもった漢陽人たちが集まり暮らしていたエリアなのだ。

そんな北村も、日本統治時代に力を得ていた官僚や勢力者たちの再編、朝鮮戦争、急激な産業化、都会化という歴史の変化をたどった。大きな韓屋に暮らしていた権門や勢家たちもいつしか衰え、都市への人口集中によって小さく密集した現在の住居形態へと姿をかえた。
現代では、ソウルの人々が好むのは伝統的な韓屋よりも実は洋風の家。
平倉洞(ピョンチャドン)や付岩洞(ブアムドン)あたりのニュータウンに建つ、おしゃれで絵になる外国風の家や、漢江(ハンガン)の南側、江南地区の新築高級マンションが今や羨望の的だが、そういった住宅の流行の波に流されず、淡々とそして奇跡的に残ったのが北村だ。
でも、それは北村の人々が、この住居形態を維持し、発展させるよう努力を重ねてきたからこそ。
そして今、ソウルの人々も北村の価値を理解しつつある。
北村は変わることなく、村として、住まいとして、機能を維持しながらも、歴史やその文化を伝えるという使命を帯びて存在し続けている。
北村を楽しむには。
きれいな韓屋が立ち並ぶ北村を歩いてみると、最初は冷たい印象を受けるかもしれない。門はすべて固く閉ざされ、通りすがりの異邦人に、地元の人がとりたてて愛想良く振る舞うこともなく…。

そう、普通に考えれば、ここは一般の方が暮らしている住宅地。
だが、韓屋住宅が軒を連ねる狭い路地を歩けば、たくさんの観光客と出くわすことになる。
ここは、観光地としての姿を常に合わせもっていて、人びともその中で暮らしている。騒々しいだけの観光客にはさぞ閉口しているのではないだろうかという思いも浮かんでくる。訪れる際にはぜひ住民の気持ちを考えて行動したい。
門を開けよう。新しい発見が待っているから。

もうひとつ覚えておきたいのが、北村の景観を眺めているだけでは、北村の本当の魅力はわからないということ。
確かに、異国情緒ただよう路地を散策するだけでも楽しい場所だが、この町を知り、目的を持って歩いてみれば、あたたかく迎えてくれる開かれた空間が北村にはたくさんある。
門を開いてみよう。そして、その瞬間から本当の北村の旅がはじまる!
それまで閉ざされたエリアであった北村を変えていこうと、多くのギャラリーや体験工房が開かれた北村を目指して努力してきた今、北村は単に韓屋村というだけでなく、新しい文化を発信し成長している。
