
光武帝(前6年 - 57年)は後漢王朝の初代皇帝。
王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。
劉秀は景帝の子で長沙王となった劉発の末裔である。
郭聖通(光武皇后)陰麗華(光烈皇后)許美人を娶っている。
光武帝は洛陽を最初に都城と定め、長安を陥落させた後も、荒廃した長安に遷都することなく洛陽をそのまま都城とした。
また光武帝は中国統一と前後して奴卑の解放や租税の軽減、軍士の帰農といった政策により王朝の基礎となる人民の生活の安定を図る一方、統治機構を整備して支配を確立した。
光武帝の事業を助けた功臣団として「雲台三十二将」がある。
鄧禹、呉漢、賈復、耿弇、寇恂、岑彭、馮異、朱祜、祭遵、景丹、蓋延、銚期、耿純、臧宮、馬武、劉隆、馬成、王梁、陳俊、杜茂、傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植、李通、竇融、王常、卓茂、計32人が顕彰された。
なお、功臣の一人である馬援は、その娘が明帝の皇后となったため(明徳馬皇后)外された。
子
劉彊(母は郭皇后)長子
劉輔(母は郭皇后)次子
劉英(母は許美人)三子
劉荘(母は陰皇后)四子
劉康(母は郭皇后)五子
劉蒼(母は陰皇后)六子
劉延(母は郭皇后)七子
劉荊(母は陰皇后)八子
劉衡(母は陰皇后)九子
劉焉(母は郭皇后)十子
劉京(母は陰皇后)十一子
娘
舞陰公主 義王 梁松に嫁す。
涅陽公主 中礼 竇固に嫁す。
館陶公主 紅夫 韓光に嫁す。
淯陽公主 礼劉 郭潢に嫁す。
酈邑公主 綬 陰豊に嫁す。