メンバーに困れど心は折れず!
此処から一区切り迄(終わったつもりは無いので)苦難は続く
やっとリーダーがB.にパートチェンジして参加する事でGt.兼コンポーザーの人物と自分3人でDr.以外は固定する。
普通先の見えないバンド活動などで札幌から東京まで練習的な事しに行くだけでも「はぁ?」と思われたりですが台湾から(まぁ帰省兼ねてだけど)ってのは狂ってるという事になるのかな?
そこでDr.のあては無く唯一過去自分の東京在住期の友人がそーいえばDr.叩いてたなと思い出し正直まずSTREET PUNK的な音楽等聞かない事知っていたので無理に依頼して....そう恐らく友人関係でなければ確実に断られていただろう(笑)
1番長き間付き合ってくれたのですがレコーディング間近で身内の不幸があり無理に付き合って貰った部分を含めて向こうから連絡が無ければ諦めようと思い来なかったので諦めました。
結構経過してからアンチノックで元気に再会して嬉しかった事覚えてる!
ありがとう岡崎くん(Crucial Section,Firthy Hate)
Gt.兼コンポーザーを担う人物も音楽的にはやはりSTREET PUNK的なものは自分が布教しなければまず聞く事無かったりしますが才能が違うんですよ今迄登場した全ての人物とは!
彼一人で完璧なDEMOを作り自分だけ札幌でスタジオ入ってそのデモ聴きながら歌った音源合体させてくれて
それで手分けしてDr.をギャラ取る人でもいいから探しましょうと....凄い感謝・感動しました。
ちょいとストーリーそらしますが音楽性の部分
1989年始めた当初ですが土台がスタークラブでその時に各々の好きなアーティストの表現を真似たりで混ぜこぜになって個性に繋げて
ありきたりですネ
始めた当初は実は4人暫し固定していて
リーダー、ギタリストでありその1989年頃当初のコンポーザーの小川和克
クラッシュやアナーキー、ストレイキャッツなんかがフェーバリットでしたね今ならその直系のインフルエンサーRANCIDとかスムーズに入るみたいです。他はやはりGRIFFINやANGER FLARES、中期以降のPOISON ARTSにはくるモノがあったようなのでやはり理解してますヨ!
どちらかと言えば陽の要素を表現できるギタリスト!
突然50枚とかCDやDVD渡して「まぁこんな感じで!」とか無茶な事してますがアイドルの布教だけは伝わってないかもしれません(笑)
B.は現在行方不明で中学校の同級生の高橋聡
自分がパンクを布教してB.も布教して仲間だったからそれも可能だったのかな?でもスターリンのtrash買ったの自分より早かった!よく中学生時代ARBとかのLIVE同行して前座のスマ・ロ子に感動して一緒にmilk行って音源買いに行ったよなぁ
女の影響でルーツロックに移行してからよく居がちな偏屈な屁理屈講釈垂れになったまではいいケド仕事で精神病んで躁鬱が酷くて辞めて貰ったんだ
って末期頃にはまた戻って貰ったケド
Dr.は探せばきっと何処かにいると思う?
B.のサトルが連れて来た谷口清
今思うと1番真面目で取り組み姿勢とかも良かった!ただ音楽性が合わなくてこっちは講釈垂れないルーツロック畑で布教も効かなかったなぁ(笑)
此奴も抜けたり入ったりでただB.に合わせてじゃ無く自分の意思だったので遠征で旭川や小樽でLIVEした時の事思い出したら必ず思い出す顔。
自分は、当時からパンクマニアでマニアックな音楽しか聞かない反面、対バンがパンクシーンと殆ど違う処からこの当時は見せ方はメジャー志向で音(歌い方)はパンク意識してたのかな?
自分を知ってる人は意外に思うかもですが歌は全力で咆哮するスタイル(ハードコアとは異なる)で見せ方は別途リスペクトしていた支離滅裂なショーケンこと萩原健一、ストレートで格好つけまくるTH eROCKERSの陣内孝則やイッちゃてる美学を持ったUP-BEATの広石武彦.....って文字だけみたらなんなんだですね
色気付いてみたかったのかな?でも個性にはなってました。
で、最終的に目指していたのが2,000年頃から5-6年住んでた大阪で見たUNITED WE STAND(現在のANGER FLARES)そして大御所ですがLIVE見た事無かったGRIFFINで見た時に「うわぁやられた!」ってあっというまに常連客化して
大阪から札幌に戻った時真っ先にリーダーに「自分達ってこうなりたかったんじゃないかな?」って
続く