実のところ、あんまり厄年というものを信じてはいない。
自分の過去を振り返ると、厄年だから悪いことばかりあったということもないし、
厄年でないから何事も平穏に過ぎていったということもない。

それよりはむしろ、おみくじの結果の方が気になってしまう。
タロットカードなんかと同じで、何かがシンクロニシティーに入ってる感じがするからである。
もっとも、私はあんまりおみくじを引かない。

知人が宝山寺というお寺で3回連続大凶を引いたことがあったけど、
その方はその年ご家族や恩師など、心の支えとなっている人と次々と死別することになり、
心療内科に通わねばならないほどに心のバランスを崩されてしまった。
その話を聞いてから、少しだけ、おみくじって馬鹿にならないと思っているのかもしれない。
あの方がその年に厄年であったかどうかは、私は知らない。

そんな訳で、厄年については、あるような、ないようなといった曖昧な印象しか持っていないのだけど、
いろいろ御縁があって、1月に岩清水八幡宮にお参りすることと相成った。
京都府八幡市にある、徒然草にも名前の出てくる名刹である。京阪八幡市駅から男山ケーブルに乗り換える。
さらに少し山を登る。そんなに距離はない。参拝途中、左手の方で厄払いが行われていた。

Compas-岩清水八幡宮の厄除け

鈴を振る音が鳴り響いている。それが直接お祓いを受けている訳ではない私の耳にもきこえてくる。
身体の内外から、オーラの中から、いらないものが取り除かれていくような感覚を感じた。
厄年というものが本当かどうかはわからないままだけど、ここの厄払いは本物だと直感した。
もしも人生の中で辛いこと、苦しいことが短くない間続いて、重たい気分になったら、
迷わずここに来てこのお祓いを受けようと思った。

そんなことを、私に考えさせるような神社は、そうそうないのだ。