ぬくもり | いい天気がいい。

いい天気がいい。

怖がりゴールデンの女の子サプリ(2014,6,27生)との日常や
アレルギー、股関節形成不全、若年性白内障などの治療記録
前十字靭帯手術記録や手作り食についてなど、
その他色んな事を気の向くままの気まぐれな記録です。
昔はゲームブログでしたが見ても得はしませんw

***************
追記デスショック すみません。。。
いつお返事できるかもわからないのに
うっかりコメント閉じるの忘れました^^;
遅くなるかもわかりませんが
必ずお返事しますのでお待ちくださいね。
メッセージ下さった方々へも
必ずお返事しますのでお待ちくださいね。

暖かいお気持ち、すごく嬉しいです
本当に本当に、ありがとうございます♡
***************

こんにちはニコ

肺癌で入院中の父の事で、
ご心配おかけしていますぐすん

励ましや祈りのメッセージやライン
本当にありがとうございますおねがい
お返事遅くなってごめんなさいでした。


そして大和くんまま♡
サプリにおもちゃをありがとうラブ
私がいなくても退屈しないようにと…
お気遣い本当にありがとうねえーん
大和くんのうちの子記念日おめでとうグリーンハート
これからもわんぱく兄たんでいてねラブ
大和くんのパピー時代、
サプリよりかわいいやんピンクハートくやしい笑い泣き



そしてみなさま、ブログやインスタに
あまりお邪魔出来ずにすみません。
当分この状態は続くと思われますが
どうぞお許しください。

父はお陰さまで今は持ち直し、
日々変わりますが落ち着いてはいます。

ですが、73歳だった約3年前に
肺炎治療から偶然肺癌が見つかった時から
いえ、正確には癌になる前からですが、
治療はしないと断固決めていた父なので
当然どんどん進行して、もう末期です。

認知症だと思われた症状は
肺癌の脳転移でした。
骨転移もしています。

状態や個人差も大きいため
症状の出方もそれぞれだし、
余命と言う形ではなかなか言えない
との事ではありますが

残された時間は
切ないものだと、認識しました。

脳梗塞や不整脈も出ており
それが急に悪化して、
いつなんどき…かはわからないので
すぐ出れる用意をしながら過ごしています。


これから、とても長くなりますが
父の事のありのままを ここに残します。

私らしく、うちの家族らしく。


書けるときに色々な事を残していきたい

先の事がわからないので…
今日はかなりの長文です。


それと、大切な人の死に直面しながらも
完全にハラをくくったオモシロ一家であるため(笑)、
多少 不適切な表現があるかと思いますが

変わり者オヤジの家なので
ご理解下さい(笑)


そして大切なことなのですが、

もう末期の事なので
気持ちがしんどくなる方は
この先読まない方がいいと思うので…
先にお知らせしますね。



クローバークローバー星クローバークローバー



左が私、右が父の手です。

そっくり大きな手のぬくもり


このぬくもりは、唯一無二。
そして、もうすぐ終わるんだね。




半分眠る父を見つめる、
母の優しい眼差し



生涯の伴侶を
もうすぐなくそうとしてる母の気持ち…

散々振り回された母だけどね(笑)



星星流れ星星星




父は9日に総合病院から
緩和ケア病院に転院しました。

約3年前に肺癌が見つかってから
定期的に検査に行ってました。

父の意思により何も治療はしないため、
70歳越えの老体でも少しずつ進行してましたが、
数ヶ月前までほとんど症状は出ていませんでした。

やがて食はだんだん細くなり、
好きだった趣味もしんどくなり、
お酒も煙草も自然に減り、飲まなくなり、
実家の犬を軽トラに乗せて畑に行く事もなくなりました。

ちなみにワンコは
弟と散歩に行くのが楽しみなようですが
ワンコは今も父を待っていて
父の姿を見なくなってから毎日、
きゅうんきゅうんと泣いていますえーん


父は今年の夏前には、
ほとんど食事を取らなくなり、
痩せ細りフラフラでトイレもままならない状態になりました。

次の診察予約日はまだ先だったけど
弟がもう連れていかなあかん!と、
引っ張って行ってくれたところ、
即入院しなさいと言われそのまま入院。

ですが当然、
治療はしないと決めていた父なので
総合病院でも癌の治療は何もできない。

けれど献身的なお世話をしていただき、
少しずつ食事を取るようになり、
看護師さんにも冗談を言ったりして
かわいらしいおじいちゃんねと褒めてもらったり(笑)

転院前には、うなぎ食いたい♪と言い、
弟の嫁と父母3人で外出して
鰻重を一人前ぺろりと食べたそうです。
そのくらい、戻ってたんです。

オムツは外せませんがゆっくりながらも
ひとりでトイレに歩くようにもなれてました。
ほとんど出なかったり漏らしたりですが
そのトイレを訴える回数がとても多く
しかも母や看護師さんにしか世話をさせない事が
一番のネックではありました。

緩和ケア病院に移ってから知った事なのですが
認知症と思っていた症状は脳転移でした。
その脳への影響でトイレしたくなくても
したいような感覚になったりしてるかもと
言われました。



総合病院での入院は3ヶ月までと言われていました。
当初は状態が良ければ、
3ヶ月経ったら一度自宅に戻り、
しばらくしたらまた戻ってきてもいいよと
主治医にも言っていただいてましたが

認知症の症状もあり、要介護3、
いつ寝ていつ起きて…もバラバラ、
24時間看護が必要だと言うことになり

この状態では持病をいくつも抱える母に
父を看ることは無理だからと止められ、
次の病院を紹介していただきました。

その中から今の
緩和ケアの病院に決めました。


転院から数日経った12日に
呼吸困難になり、血圧も体温も下がり
酸素濃度も図れないほどで
ご家族も来られた方がいいかもと
病院から母に連絡がありました。

さぷ家はちょうどサプリのトリミングで
いつもの病院に3時間預けてる最中だったんだけど
母から緊急だとオロオロした声で連絡がありました。

私はとにかく落ち着けと母に言い、
私を待ってると間に合わないかも知れないから
先にタクシーを呼んででも行けと言いました。

普段は弟と嫁もいてくれるんだけど
昼間で弟も仕事、嫁は里帰りに出た日で
運悪く母がひとりだったんです。

幸い、実家の向かいには
父の妹が住んでいるので
ちょうど仕事も休みで居てくれた。
けど病院までは車で40分ほどかかるのに
しかも二人とも運転できないので
本家の父の兄に電話すると
兄の長男(私の従兄弟)に送ってもらえることになりました。

父方の叔父叔母家族とは仲良しなので
普段から結束が固く、
本当に頼りになります。
ありがたいですぐすん

そしてさぷ家の方は
そのままサプリは病院のホテルに泊めてもらえるか聞くと
お盆期間ですごく混んでたけど、
小型犬さんに移動してもらって場所は作れそうなので
今夜だけなら開けられますとのことで
無理を言って急遽一晩預かってもらい、
とーちゃんと父の病院に走りました。

けど一旦、サプリのゴハンやお泊まりグッズを
取りに帰らなければいけなかったりして
あちこちバタバタ走ってる途中でも
覚悟はしていたものの心臓はバクバク。
なかなか頭も回らない(笑)

けど とーちゃんはいつも冷静で
サプリの泊まりの用意は後でもいいし
かーちゃんひとりで急いで病院行って
自分は後からでもいいし
電車の方が早いかもとか
色々考えてくれました。

けど、私はとーちゃんも
父と会えるのは最後かも知れないから
会ってほしかったのもあって
一緒に行く事にしました。
それだと間に合わない可能性はあったけど、
そんなに思いがけず早く父が逝くとは
どうしても思えなかったんです。

そうこうしながら走ってると
もう落ち着いたから大丈夫!と
弟からも母からも連絡来たんやけど、
会えるまではドキドキでした。

酸素吸入器を付けられて寝てる父を見て
また痩せたな…と思ったのを覚えてます。

とーちゃんは、私が実家に行く時、
家でサプリを見ててくれたから
父に会うのも久しぶりです。
そして、威厳があって怖い(笑)と
いつも言ってた父が
細くなり小さくなり、弱って死にかけで
ベッドに横たわるのを見て
あまりの変わりように言葉が見つからず…

私から色々話は聞いてはいたけど
だいぶショックを受けたようでした。
ごめんね。



父は今も脳梗塞も起こしてるし、
心房細動で不整脈もあるそうで
余談を許さない状態ではあります。

そっちの治療だけでもと思いますが
それには血をサラサラにする薬が必要で
けどそれをするとその分、
癌が全身に早く回ってしまうんです。

だから結局何もできない。

父のたっての願いは
苦しくなく、痛くなく…
悪いけどそれだけ頼むぞ~
と、先生によくお願いしています。

ほんと、それだけしかできません。

けど、それで十分で、
もうそれしか望みません。

献身的なお世話のお陰で
ほとんど苦しまず、痛くなく過ごしてます

ただ、咳やタンがよく出るものの、
肺活量がなくて自力ではなかなか出せず
気持ち悪そうだし
時々苦しそうにむせています。

一度危なくなってからは飲み込む力も弱く、
ほとんどうつらうつらとしてるのですが
口を開けて呼吸するため、
余計に喉が乾くのに、
すぐむせるからお水も自由に飲めません。

起きる度に、みず~ おちゃ~と訴えますが
看護師さんの元でなければ飲めないし
それでも少し口を濡らす程度です。

しっかり目が開いて起きてれば
喉の様子を見ながら飲ませてくれます。

そんな状態なのに
おやつ食おう♪なんかないのかー
と、ねだります。

とてもじゃないけど固形物は無理。
けど、危なくなってからは何も食べてないから
お腹減ってるもんね…

小さな願いばかりなのに
叶えてあげたいけれど
どれをとっても命取りになる可能性があるから
涙を飲んで我慢してもらう…

最期まで我慢しなきゃならないなんて

と、心が傷みますえーん



容態が悪くなって持ち直した日は
母と病院に泊まりました。

翌日は親戚も来てくれて
遠方の妹家族も帰ってきて
父は嬉しくて泣き真似しました。
本当は泣いてたと思うけど
いつものおちゃらけでの泣き真似です。

孫が来るともっと元気になります

いつもと違っても
大好きなじぃちゃんのぬくもり




小さい手と老いた手のぬくもり



この日は
孫パワーでどんどん元気も出てきて
父は人を笑わせるのが好きなので
いつものように冗談を言ったりも。

タンが絡んで、喉の奥でゴロゴロ鳴り、
肺活量もなく声もほとんど出ずなのと
入れ歯もなしなのでパカパカしちゃって(笑)、
あまり聞き取れないけれど
その日はよくしゃべりました。

聞き取りにくくて何度も???になり
ボケてるから話題も安定せず
話が合わんなぁ~ムカムカと怒ったり(笑)


そしてその日は、
大好きなお酒もかなり久しぶりに
盃1杯半、飲めたんですよ♪

この緩和ケア病院では
もちろん体調によりますが
煙草もお酒もOKで
届ければペットも入れます。
さすがにサプリはうるさいので
連れていくのはやめてます(笑)


お酒を飲んで
『ええ塩梅やのう♪』とゴキゲン。
『よう回るわ~♪』と嬉しそうでした。


お酒を飲んで♪



アイスクリーム食べて♪



一生懸命、鼻をかむ(笑)




けどその翌日は、
1日のほとんどを寝てました。
疲れたのもあるだろうけどね。

起きてても目をなかなか開けられず
自力で歩くことはもうできないと思う。

小さい頃の高熱で左耳は元々聞こえないし
右耳も鼓膜が少し破れてるので
大きな声じゃないと聞こえてません。

目も悪いので
はっきりとは見えてないと思う。

そんな父との意思疏通は難しいけど
なんとかお互いに努力の毎日(笑)



これからは週毎に、あるいは日毎に
状態が変わり、段々眠る時間が増え
そして最期を迎える…とのことです。

もしくは、
脳梗塞や不整脈も起こしてるので
いつなんどき酷い脳梗塞や心筋梗塞で
逝ってしまうかも知れません。

そんな状態ではありますが、
緩和ケア病院のみなさんの
献身的なお世話を受け、
取り合えず落ち着いています。


ちょうどお盆休みでとーちゃんがいてくれたから
何度も病院に行けたし泊まれた。
お盆休みが残念な事になったけど(笑)、
お陰でありがたいです、本当に。
高速混んでたのがムカついたけど(笑)

滋賀に帰ってきて家事をしたり
サプリのご飯のストックをしたり
またあっちに泊まったりで
バタバタしてるし続きますが、

今のこのひとときは、
サプリとゆったり過ごしてます音符

サプリにも寂しい思いをさせてるので
滋賀にいる間は沢山甘えてほしいのですが
用事に追われるのもあるので
なかなかじっとできず、ごめんねショボーン


クローバークローバーキラキラクローバークローバー



父の肺癌が見つかって3年目。
現在76歳と3ヶ月。

『俺は肺癌で死ぬど。
手術も治療もしやへん。
最期まで煙草吸うて酒飲んで死ぬ。
好きなようにさせてくれよ。

若い頃から、そう言い張って来た父。
そのとおりになりました

とことん頑固で我が道を行く父です。
家族を振り回すのも得意です。

けれど、自分の生まれ育った町が好きで
そこに暮らす人が好きで
戦争や争い事や自然破壊が大嫌いで
とても、犬が好きです。

命を粗末にすることを許さず
『お前らが生まれたのは奇跡やから。』
『作ったからやない。奇跡で神秘や。』
いつもそう、言われました。

そんな父の色々な教えが
私のこれまでの人生に起こった、
数々の辛い出来事から守り、
私を強くしてくれたと思えます。

家族を守るために
家族を強くするために
いつもいつも父は真剣でした。

そんな父の意思を尊重し、
治療はせず、延命措置もせず、
そして亡くなったあと、
使える臓器はすべて提供すること。

その気持ちを応援して、
フォローしていくと決めた我が家です。


正直最初、治療はしないと言った時に
またそんなこと言って…
命を粗末にするなって言うたやん…
きっと治療してくれる…
いつものあまのじゃくなだけ。
治したくても治せない人や動物達がいるのに…
お父さんは早期発見で
治せる可能性があるのになぜ?

と、腹立たしくも思ったけど
若い頃から呪文のように言ってた事は
すべて本気だった。

そう、命を粗末にすることと
治療せずありのままを受け入れる事は
まるで意味が違うんです。

それに気付き、
自分の人生の終わり方を決めていた父を
応援していくと決めたんです。

なので家族もとうに、
ハラはくくっています。

私も含め、離れて暮らす家族は
最期の時を一緒に過ごせないかも知れない事にも
とうに ハラをくくっています。

できる限りそばにいたいしそうする。
離れる時は次は生きてる父に
会えない事も常に考えてるから
いっぱいいっぱいぬくもりを感じて
触って抱き締めてから帰る。


けどね、

うちの父の事だから、
いつものようにお酒を飲みに行く感じで
黙ってフッといなくなりそうな気もする(笑)

で、お母さんも

『お父さんまた何も言わんと
どっか飲みに行かはったんやろかえー

って、言って

いつものことやなぁ
しゃーないなぁ~ って笑う。

そんな最期かも知れないなって。


我が家らしく、私らしく、

父を送りたいと思います。



流れ星流れ星星流れ星流れ星



緩和ケア病院は、
いわばお見送りのプロですが
それゆえに、いざと言う時のために

現在はどんな状態なのか、
これからどうなるのか、
こんな時どうすればいいのか、

ありとあらゆる事に
すべて親切に心を込めて笑顔で
そしてはっきりと教えてくださいます。

総合病院と緩和ケア病院では
病院としての役割も違うものですが、
どちらにも心から感謝しています。


これからは最期のその時まで
血圧、体温、酸素濃度や飲み込む力や
その他の症状などをよくみて
苦しさや痛さから解放されるように
安らげるように色んなお薬を使って
ひとつひとつ丁寧に対処してくれます。


実家に泊まった時には、
長男である弟と母と
葬儀などの話もしました。

まだ生きてるのに…と
思われるかも知れないけど
それが現実なんですよね。

その、いざと言う時が
来てから慌ててバタバタするようでは
穏やかに過ごす事を何より望んだ父に
申し訳ないからです。

最期の最後はゆったりと一緒に居て
静かに送り出してあげたいからと
弟がそう、言ってくれました。


先日はアイバンクの話をしました。
医大から担当の方が来られて
母と一緒に話をして
父の亡き後、角膜を提供する事に
サインをしてきました。

これも父の固い意思です。
わが家も実家も全員、
全身の臓器提供を希望しています。

自分は死んでいくから体はイランねん。
使えるものは使って役立てて欲しい。
ただそう思うだけです。
細かく考えてません。

父は癌なので
内蔵はたぶん無理だとの事で
角膜だけでも使ってもらえるなら
父もとても喜ぶと思います。

詳しいことも聞きましたが、
ざっくり言うと、父から眼球ごと取り出し
角膜の検査をしてからの提供になります。

全国で角膜の移植を待ってる方は
5,000人以上おられて、
そのうち実際に移植できた方は
1,000人ほどだそうです。

目はふたつあるから、
別々の人にできます。


眼球を取り出した後のお父様には
義眼を入れさせていただいて、
お顔を整えさせていただきます
と言われたので、私は、

『ええかっこしいやから
ちょっと男前にしといてください』
と言いました。

臓器提供の担当の方は
わかりました(笑)と笑ってましたが

そしたら母は間髪入れず
『今も男前やねんけどな』と(笑)

ごちそうさまですって言われて
深刻にならず、和やかに話せました。


もうね、そんなんなんです。
いざと言う時は泣くし喚くかも知れない
けど、ハラくくれたら何でも笑えるようになる。

お腹も空くし、喉も渇くし。


弟は

これからがシブトイかもしれんで
おとんのことやからな と笑ってました。

そうであって欲しいです。


クローバークローバークローバーキラキラクローバークローバークローバー


最後に♡

読者様の
病気と闘うワンコちゃんへ♡

サプリのかーちゃんのオトンはね、
つまり、サプリのじーちゃんやけど、

ワンコが大好きやねん♡

もうすぐか、ちょっと先かわからんけど
お先にお空にいくんだよ。

でね、ワンコ大好きなオトンやから
みんなの病気を吸い取って
持ってってくれるかも知れない♪

だからサプリのじーちゃんに
お願いしてね!

さぷのじーちゃん
ついでに持ってって~
頼んだよ~ってね♪

そしてみんな、元気になれ!♡

みんな、少しでも元気になれ!!♡


どうかこの願いが
叶いますように(๑´ㅂ`๑)


おとん!頼んだで♪