先週のバレンタインデーはコートも着ないでいいぐらい暖かかったけど、今日は1日冬らしく、寒かった~( ̄▽+ ̄*) こんな時の楽しみはお風呂でゆっくり温まること。。腰痛改善のためもあり、どんなに忙しい日でも、湯船に最低20分ぐらいは浸かるようにしている。私のリラックスタイム アロマを湯船に入れて、ゆったりした音楽聞いたり、読書したり。。常夏のシンガポール滞在の時はもっぱら、シャワーの毎日だったけど、これも日本に帰国してから変わった自分の生活習慣
読書タイムの最近は、精神世界の本が中心になっているけど、先週から、宇野千代さんの本を読みたくなって、何冊か図書館で借りてきた。シンガポール滞在中に宇野千代さんの”生きて行く私”
は何度読んだことだろうか。そして、この本に何度慰められたことだろう。仕事や、人間関係、日本とシンガポールの文化の違いから生じるストレス等、その度にくじけそうになり、時には日本に帰国しようかと思い悩んだ時等、彼女の本を読んで、パワーを頂き、明日から、また、頑張ろう~という気持ちになった。
その借りてきた宇野千代さん関係の本を読んでいて、はっとさせられる事があった。2日前に読んだ新潮日本文学アルバム・宇野千代の中で・・http://www.shinchosha.co.jp/book/620651/
本の中に掲載されている瀬戸内寂聴さんの回想録・”宇野千代さんのこと” から
「瀬戸内さん、あなたは小説家を特別の職業のように思っているらしいけど、そうではないのですよ。小説家はパン屋や八百屋と同じような、ただの仕事なのよ」
と私におっしゃったのは、宇野さんが今の私くらいの年であった。その頃、私は内心宇野さんの教訓に反対していたものだが、今、自分が古稀も超え、あの頃の宇野さんの年齢になってみて、ことんと、その言葉が胸に落ち着いたのを感じとっている。
型の力を抜いて、自在融通無碍(じざいゆうづうむげ)になれと、あの時、宇野さんは教えて下さったのであろう。
この宇野さんのお言葉とほぼ、そっくりな事を私にお話してくれたのが、青森の霊能者の木村藤子 さん。
但し、小説家ではなく、霊能者に置き換えてだが・・・・
シンガポールから帰国した2005年にどうしても木村さんに会って鑑定いただきたくなり、いてもたってもいられなくなった私は、青森へ行って霊査いただいた。心霊現象を経験して、見えない世界、そして精神世界への探求心がどんどん深くなっていき、霊的に敏感になっていった当時。段々と日常の自分の仕事にも情熱が入らなくなってしまい、私がやはり本当にしたい、就きたいのは自分の霊能を使ったスピリチュアルカウンセリング系の仕事ではないのかと。。。当時の私は何か答えを求めたかった。
そして、先生に会った私は、”自分は人のお役に立つために自分の霊能を使ったお仕事がしたいのですが、いかがでしょうか?”と先生に聞いた。即座に先生は、
「霊能者が特別なお仕事だと思っているのかもしれないけど、それは違いますよ。牛乳屋さんだって、新聞屋さんだって、皆さん、立派に人のお役にたっているお仕事なのですよ」
私は自分が恥ずかしかった。
身の回りで働いている人が、当たり前の状態になっていて、スピリチュアル系のお仕事が特別なように少しでも思っていた自分の思い上がり。恥ずかしさ。。。
感謝を忘れている自分の謙虚の無さ。
反省で一杯の気持ち・・・
実際、先生との会話はとっても短かったけど、でも、その御言葉は私にとっては大きな意味があった。遠かったけど、先生にお会いできて本当に良かった。
去年、日本心霊科学協会(↓サイト)主催の先生の講演会を聞きに行って、3年ぶりに先生を間近で見ることができた。http://www.shinrei.or.jp/
講演されている先生は、まさに融通無碍を感じさせられた。
”気づき”を与えてくださった先生に今でも本当に感謝です。