ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達
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ナニワ金融道:欲望のラビリンス


ナニワ金融道
演出:澤田鎌作
製作:山口雅俊
原作:青木雄二『ナニワ金融道』
脚本:君塚良一
出演:中居正広、小林薫、緒形拳、加藤あい、堤真一
音楽:鴨宮諒
エンディング:ウルフルズ「借金大王」
2000年 日本(フジテレビ系列)

中学生には早すぎるかもしれないが、大学生では遅すぎる。社会の仕組みや人間関係について高校で学ぶ「公民」の授業で、教科書として最も相応しいのは、『ナニワ金融道』(青木雄二作、全19巻)だろう。文科系だの理科系だの、どの職業を選ぶにしても、まず社会生活の基本を身につけておかなくてはならない。先生も生徒も、真剣勝負のつもりで、『ナニワ金融道』に向き合えば、これから社会人になろうとする人たちの、「公民」リテラシーは、確実に高まるはずだ。その知識を悪用するかどうかは、本人次第だ。しかし、日本のためには確実に良い方向に向かうと、僕は信じている。できれば、副読本として、『新ナニワ金融道』(青木雄二プロダクション作、全20巻)も、あわせて読んで欲しい。

『ナニワ金融道』には、様々なエピソードが登場する。すべての元は「金(かね)」である。先生はまず、ウルフルズの『借金大王』を教室に流すところから、授業を始めてほしい。さて、『ナニワ金融道』の主人公・灰原達之は、ひょんなことから株式会社帝國金融に入社する。灰原達之はそこで社会の底辺と、さらにその裏にある闇とを、実務(貸した金の取り立て)を通じて学ぶことになる。帝國金融と名前は立派だが、要は、追い込み屋(借金まみれになった債務者をさらに追い込んで暴利を得る)である。

たとえば、企業がプロデュースする映画製作の裏面が登場する。なぜ、映画館に数人しか観客がいないような映画が後を絶たないのか。そこにある前売りチケットの下請けや関連企業への押し込み販売。さらには、その前売りチケットに群がるブローカー達。もっと大規模なイベント(たとえば万博)にも、通底するものがないだろうか。

あるいは、土地取引の様々な要素。埋設廃棄物が売買価格に与える影響。それを悪用した利ザヤ稼ぎが描かれる。森友学園への国有地売却にあたって地下埋設物による汚染を理由に、売買価格が大幅に値引きされたとされる問題。まさか、『ナニワ金融道』を参考にしたわけではあるまい。勉強した知識をどう応用するかは、あくまでも本人次第だ。

新興宗教による高額献金や霊感商法が描かれる。なぜ、多くの人が被害にあってしまうのか。悩みや苦しみを抱えた人が純粋な気持ちで宗教に救いを求めるだけではない。政治、経済、果ては反社会的集団にまで根を張った巨大な利権構造が浮かび上がる。

青木雄二は、自らの経験を踏まえて、もちろん調査研究もした上で、『ナニワ金融道』を創作したのだろう。しかし、誰にでも出来ることではない。やはり、「天才」のなせる業だ。天才の作品には、普遍性と予言性が備わっている。平成の時代に発表された『ナニワ金融道』は、この令和の時代に至っても、古びることはない。いや、その予言性は、政治経済のタガが外れ、底が抜けてしまった令和日本において、ますます的中率を増しているように感じられる。

『ナニワ金融道』は、テレビの長尺のスペシャルドラマとしてシリーズ化された。放送したのは、「楽しくなければテレビじゃない」を標榜していたフジテレビ。そして、主役の灰原達之を演じたのは、今は芸能界を引退している(2025年10月現在)中居正広だ。

帝國金融に入社した灰原達之は、才覚と努力で日本一の金融マンになってみせると誓う。その夢や良し。しかし、ある時は人情に流され、ある時は愛情に負け、ある時は理想を追いすぎて、刑務所暮らしも経験し、立派な前科一犯となる……。『ナニワ金融道』『新ナニワ金融道』あわせて全39巻の大作は、灰原達之という人間のビルドゥングスロマンでもある。

中居正広もまた、日本一のエンターテイナーを目指し、見事にその夢を実現したかに見えた。真偽のほどは定かではないが、彼は決して銭ゲバではなく、被災地への支援やチャリティーにも熱心だったという。しかし、自らが演じた灰原達之が乗り移ってしまったということなのだろうか。フジテレビという舞台で、華やかなステージから奈落に転落してしまった。『ナニワ金融道』に描かれた欲望のラビリンスに迷い、抜け出すことができなくなった男を演じ続けなくてはならなくなった悲劇の主人公ではないだろうか。
 

嫌われ松子の一生:寓意に満ちた近代日本史


嫌われ松子の一生
Memories of Matsuko
監督:中島哲也
脚本:中島哲也
原作:山田宗樹『嫌われ松子の一生』
製作:石田雄治、佐谷秀美
製作総指揮:間瀬泰宏、小玉圭太
出演:中谷美紀
音楽:ガブリエル・ロベルト、渋谷毅
主題歌:BONNIE PINK「LOVE IS BUBBLE」
撮影:阿藤正一
編集:小池義幸
2006年 日本映画

思えば『嫌われ松子の一生』が公開されてから早や20年が経とうとしている。
時が経つのは早いものだが、神話が神話たる所以は、それが「永遠性」に裏打ちされているところにある。
山田宗樹の『嫌われ松子の一生』は土俗的な神話性を帯びているが、中島哲也はそれをポップアートのような味わいで映像化して見せてくれた。
僕は、『嫌われ松子……』に、ジュディ・ガーランド主演の『オズの魔法使い』のテイストを感じる。

『オズの魔法使い』は、神話を持たないアメリカという国の神話だ。『オズの魔法使い』のメッセージは「家が一番(There's no place like home)」だ。アメリカという国は、「自国第一(家が一番)主義」という宿痾から逃れられない。19世紀に提唱された「モンロー主義」から紆余曲折を経ながら、21世紀におけるドナルド・トランプの「アメリカ第一(Make America Great Again)主義」まで、脈々と受け継がれている。

ならば、わが国の現代の神話たる『嫌われ松子……』のメッセージは、何であろうか。それは、悲しいまでの「非論理性(Illogical)」だろう。観客であるわれわれは、松子の人生を貫く非論理性になぜか共感してしまうのだ。

福岡県の中学教師・松子の人生は、修学旅行中に起きた生徒による窃盗事件の罪を自ら被ったことから暗転する。愛人関係、家庭内暴力、売春(トルコ風呂)、嫉妬、殺人、刑務所、ゴミ屋敷、生活破綻、これでもかと転落し続け、最後は荒川の河川敷で不良中学生によるババア狩りにあって殺される。

しかし、論理破綻し感情のおもむくままに生き、果てしなく転落していく松子の生き様と死に様は、そのまま近代日本史と重ならないか。幕末の混乱と明治維新は、レジームチェンジしただけで、基本的人権とも民主主義とも無縁であった。征韓論から始まり、日清戦争から日露戦争を経て、満州事変、日中戦争、見込み違いの三国同盟から太平洋戦争へと突き進み、遂には壊滅的な敗北を味わう。われわれは、松子の一生を笑えるであろうか。

『嫌われ松子……』は、過去の近代日本史のアナロジーであるだけではない。もっと恐ろしいことに、それは映画が公開された2006年以降の未来までをも予言していたことだ。『新約聖書』が、イエス・キリストや使徒たちの事跡をたどるだけでなく、「黙示録」によって未来までも見通していたように。

2006年から2025年だけを振り返っても、『嫌われ松子……』の黙示は、少なからず具現している。1990年代から続く、日本経済の没落傾向は、もはや止めようもない。国力の尺度である「民度」の劣化は、手の打ちようがない。近代国家を謳いながら、実生活においては土俗性から逃れられず、常に感情論に左右され、道徳を振りかざしながらも、一皮むけば、性風俗においても、公序良俗においても、下劣な行為が跡を絶たない。排外的な言説を垂れ流す政党が支持を集める一方で、大規模な詐欺犯罪集団がアジトを他国に建設しても恥じるところがない。まさに、厚顔無恥である。

松子を演じる中谷美紀には、鬼気迫るものがあった。それは、ひとりの女性(松子)を敷衍(ふえん)して日本民族を描いていたからではないか。絶望的な悲しみに直面すると、無意識のうちにピエロ(ひょっとこ)顔をしてしまう松子。それは、国際会議などで、自国の立場を言明しなければならない場面で、日本人が陥りやすい怯(ひる)みと同じではないか。

ラスト近く。なにもかも失った松子が、夕焼けの荒川土手に佇むシーン。美しい……。松子のゴミ屋敷の安アパートがあったのは、江戸川区だろうか。江戸川区側から荒川を眺めれば、西に向かうことになる。故郷の福岡を遠望しているのだろうか。いや、没落しようとする祖国・日本の落日を見ているのだ。

麦の穂をゆらす風:答えのないものを問い続ける営為


麦の穂をゆらす風
The Wind That Shakes the Barley
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ
製作:レベッカ・オブライエン
製作総指揮:アンドリュー・ロウ、ナイジェル・トーマス、ウルリッヒ・フェルスベルク、ポール・トライビッツ
出演:キリアン・マーフィー、ポードリック・ディレーニー
音楽:ジョージ・フェントン
撮影:バリー・アクロイド
編集:ジョナサン・モリス
2006年 英・愛・独・伊・西合作

題名だけ読んで、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝を主人公にした連続テレビ小説『マッサン』とか、その主題歌『麦の唄』と、混同しないでいただきたい。確かに「麦(大麦)」という単語に共通点はあるが、『マッサン』はスコットランドだ。『麦の穂をゆらす風』の舞台は、アイルランドだ。

われわれ日本人は、どうしてもイギリスという言葉から、イギリスという国を(勝手に)誤解しているところがある。アメリカ人に「アメリカ(America)」と言ったら通じるし、ドイツ人に「ドイツ(Deutsch)」と言ったら、まあちょっと苦しいが、通じるだろう。

しかし、イギリス人に「イギリス(強いて言えばEngland)」と言ったら、だいたい変な顔をされるはずだ。われわれが、イギリスと言っている国は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国のことであり、通常は連合王国(The United Kingdom)と呼ばれる。いまだにイギリス人は、それぞれの出身地に強い帰属意識があり、「イギリス」などと言われると、むきになって、「いいえ、スコットランドです!」とか「ウェールズだ!」などと反駁されてしまう。

それでも、グレートブリテン島に属する、イングランド、スコットランド、ウェールズならまだ良い(いや、そこにも独立運動は根強く存在しているのだが)。アイルランド島の北側(北アイルランド)」になると、話はさらに複雑に、そしてさらに苦しく、悲しくなる。なぜなら、われわれが「アイルランド出身」として語っている有名人は、ある人は北アイルランド(すなわちイギリス)出身であり、ある人はアイルランド共和国出身だからだ。前者で思い浮かぶのは、フルートのジェームズ・ゴールウェイであり、後者はピーター・オトゥールだ。

アイルランド島というひとつの島が故郷なら、そこの出身者はアイルランド人ではないか。朝鮮半島というひとつの半島が故郷なら、それは朝鮮人ではないか。人間の帰属意識が、複雑で、苦しく、そして悲しいものであることを、われわれ日本人は、どれほど理解できているだろうか。いや、わが日本だって、かつては、それを八州(やつしま)と称したし、さらに北海道や沖縄まで加わっているのだ。

この複雑で、苦しく、悲しい問題は、映画(少なくても興行を目的とした商業映画)には相応しくないテーマだ。エンターテインメントとは、対極に位置している。一方で、それが歓声をもって受け入れられるような場合には、逆に恐ろしい。既にプロパガンダに堕していると言えるだろう。

それでも商業的成功など見込めない作品を作らねばならないと、決然と立ち上がるには勇気が必要だ。ケン・ローチは、21世紀の現在、世界中の映画人を見渡して、そのような決然とした勇気を持っている数少ない映画人だ。自他ともに認める「左翼」映画人である。イデオロギー的に左派という映画人は数多い。しかし、ケン・ローチは、そのフィルモグラフィーすべてが左派である、それも極左と言ってもよいほどの左である。信念を曲げなかったため、脂の乗った40歳代の期間、作品を発表することができなかった。

ケン・ローチがすごいのは、粘り強く彼の信念を支持する人々や組織をまとめ上げ、国際的なシンジケートを作り上げた(犯罪的な意味ではない)ことだ。そして、老境に入ってからも衰えを知らないペースで作品を発表し、90歳になる現在もそれは続いている。

映画の舞台は、20世紀初頭のアイルランド南部の田舎町コーク。実際にコーク出身の俳優キリアン・マーフィーが、主役を演じている。IRA(アイルランド共和軍:Irish Republican Army)で反英活動をするリーダー格の兄と弟(キリアン・マーフィー)の物語。英国軍の凄惨な拷問に屈することなく独立運動を推進する兄の背中を追いながら、もともとは医師志望の秀才青年だった弟も、やがて一人前のゲリラ兵士に変貌していく。

二人の関係に転機が訪れるのが、1921年のイギリス・アイルランド(英愛)条約の締結だ。英国王を国家元首に頂く自治領「アイルランド自由国」が成立したが、この妥協的な解決を良しとするグループと、あくまで共和国としての独立を目指すグループに、アイルランドは分断される。兄は前者に、弟は後者に属することになる。そして、非合法活動の罪で、弟を捕らえた兄は、自らの手で、弟を銃殺刑に処することになる……。

この作品は、「左翼的」と評されているが、絶対的な正義も悪も描かれない。そのかわりに、ゲリラ活動にはつきものの、内ゲバやリンチ、処刑などはこれでもかと描かれる。英愛条約は、政治的妥協の産物だったのだろうか。英愛条約によってもたらされた平穏を良しとした兄は、ニセモノの共和主義者だったのだろうか。兄から離れ、過激な活動に突っ走った弟は、結局ただの狂犬だったのだろうか。

ケン・ローチは、答えを提示しない。ケン・ローチがたどり着いた「革命」とは、答えのないものを問い続ける営為のことだ。「これが正解だ」「これが正義だ」と声高に連呼するのは、すべて、独裁者である。そして独裁者は、すべてニセモノである。「革命」とは、ゴールではなく、プロセスである。正解のない問いを考え続け、行動し続けることは、結局は独裁よりもはるかに平和的であるという逆説。このパラドックスに世界中の人が気づくまで、老いた革命家は戦い続けるぞ! ケン・ローチの鬼気迫るメッセージが、アイルランドの大地を覆う大麦の穂をゆらす風のように吹き抜ける。

 

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第381回定期演奏会


2025年9月6日 14:00
東京オペラシティ コンサートホール
ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」(演奏会形式:1884年イタリア語版・全4幕)
指揮:高関健
フィリポ2世:妻屋秀和
ドン・カルロ:小原啓楼
ロドリーゴ:上江隼人
宗教裁判長:大塚博章
エリザベッタ:木下美穂子
エボリ公女:加藤のぞみ
修道士:清水宏樹
デバルド:牧野元美
レルマ伯爵:新海康仁
合唱:東京シティ・フィル・コーア
合唱指揮:藤丸崇浩
副指揮:松川智哉
コンサートマスター:荒井英治

大変私的なことを書いて申し訳ない。
昭和43(1968)年の夏休み。当時、中学2年だった僕は、夏休みを読書三昧に費やすことに決めた。乱読であり濫読であった。芥川、太宰、安部公房、早川ミステリー、映画に触発されて『ベン・ハー』の原作……枕元に本を積み上げ、まさに獺祭(だっさい)状態であった。(カワウソが獲物の魚を岩場に並べるのを、文人が読みかけの本を枕にして寝ている図になぞらえたもの)

それらの中に、その年に出版され一躍ベストセラーになった『どくとるマンボウ青春記』もあった。今でも思い出す。前景には満開の山桜、遠景には「うすあおい岩かげ」を映す山なみの表紙、あれは北杜夫が学んだ旧制松本高校から遠望されたアルプスだったのだろうか。

僕は『青春記』に夢中になった。北杜夫は松本高校から東北大医学部に進んだものの、文学への思いを断ち切ることが出来ず、自堕落な学生生活を送っていた。そんな自分を、マンの初期の短篇『トニオ・クレーゲル』に重ねる場面。そこに、長い引用が出てくる。14歳の少年ながら、芸術に憧れ、メランコリックなトニオが、同級生で明るく快活な美少年ハンスに魅せられ、親友になりたくてたまらずに誘う場面。

トニオが、熱をこめてハンスに語るのが、シラーの『ドン・カルロス』だ。しかも、トニオは、主人公のドン・カルロやロドリーゴではなく、敵役のフィリポ2世に深く共感すると力説する。「……王様のほうがかわいそうだと思うよ。いつでもたったひとりぼっちで、誰にも愛されていないところへ、今やっと一人の人間を見つけたと思うと、その人が裏切りをするんだからな……」(実吉捷郎訳)。ハンスは、トニオが何を言っているか理解できず、困惑するのだった。

中学2年の僕は、トニオ・クレーゲルに自分を重ね、そしてフィリポ2世にも深い同情を寄せた。悩み多き、そして自意識過剰な思春期を過ごしながら、大学では文学とも芸術とも縁がない、理学部で化学を学ぶこととなる。そして、大企業に就職し、あえて文学にも芸術にも興味がない風を装いつつキャリアを重ねた。

僕は既に古希を迎えている。本当の自分に戻るには、もう遅すぎるのだろうか。合格発表を恐るおそる見に行くような感じで、東京オペラシティに足を運んだ。なぜ、シラーは『ドン・カルロス』を書いたのだろうか。それに触発されて、なぜヴェルディは『ドン・カルロ』を作曲したのだろうか。そして、トーマス・マン(トニオ・クレーゲル)は、なぜ『ドン・カルロ』に深く感動したのだろうか。

僕は、DVDでカラヤン指揮の『ドン・カルロ』(1986年版)を観ている。高関健はプレトークで、師匠であるカラヤンが繰り返し『ドン・カルロ』をとり上げていたと語っていた。『ドン・カルロ』は、公演が難しい演目だ。設(しつら)えが大がかりだ。オーケストラピット以外に、バンダ(別動隊のブラスバンド)も用意しなければならない。カラヤンですら、上演に際しては全4幕の短縮版(今回と同じ)を使用しているし、公演によってはバンダの部分は録音したテープで代用して、予算を削ったこともあったとか。そうまでして……カラヤンもまた『ドン・カルロ』に魅せられてしまったひとりなのだ。

第3幕、マドリードの王宮の書斎で、フィリポ2世が歌う長大なアリオーソ(「ひとり寂しく眠ろう」)。王妃(エリザベッタ)には一度も愛されたことがない。息子(ドン・カルロ)にも裏切られた。そこから、権力者の孤独を嘆き、国家のはかなさにまで思いを致すのである。最初はホルンによって奏でられ、やがて弦パートに引き継がれて執拗に繰り返される、あの音型。日本人である僕の耳には「しょっぼーん」「しょっぼーん」と響いてくる(笑)

フィリポ2世(妻屋秀和)のアリオーソに涙が流れた。「ブラーボ!」。僕だけでなく、会場の何か所からか同時に、声が上がり、しばらく拍手が鳴りやまなかった。

僕は、ずっと自分のことを、孤独なトニオ・クレーゲルだと思い込んでいた。しかし、古希まで馬齢を重ねて、それは単なる自意識過剰だったとようやく気づいた。そして、あらためて北杜夫に感謝した。心に『ドン・カルロ』を秘めて人生を歩むことができて良かった。


 

高島野十郎展:千葉県立美術館


8月31日に放送されたNHKの日曜美術館『寫実(しゃじつ)の極致~それを慈悲といふ~高島野十郎』を観て、どうしても彼の絵を見たくなり、千葉県立美術館に足を運んだ。百数十点の作品が一堂に展示されている、本格的な回顧展だ。なんと、65歳以上は、入場無料であった。

作品を数点鑑賞しただけで、感嘆した。
「なんでも描ける人だな」
アルブレヒト・デューラーに傾倒したとか、ゴッホに影響を受けたとか、岸田劉生に感化されたとか、青木繁らと交流したとか……説明には書かれている。
しかし、それらひとつひとつが真似事の「習作」などではなく、血の通った立派な「作品」として完成しているのだ。

久留米の裕福な家庭に生まれ、明善中学(旧久留米藩校)卒業後、東京美術学校を目指すも親に反対され、第八高等学校(名古屋)理乙(ドイツ語を専修する理系)を経て、東京帝国大学農科大学水産学科に進み、首席で卒業。「なんでも描ける」どころではなく、「なんでも出来る」人だったのだ。大学時代のノートなど、まるで万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の趣きすらある。

一方で、絵画については、正規の教育を受けたことはなく、アカデミア(学閥)とか画壇といった権威主義的な世界には近づかなかった。生前はほとんど無名で、生涯独身を通し、清貧と言うべき暮らしぶりだったという。掘っ立て小屋のようなアトリエにいる時は野良着姿で「晴耕雨描」とうそぶいていたが、街に出る時には紳士然と装い、歌舞伎を愛する通人の面も併せ持っていた。

高島野十郎は、独自の芸術を追求した。生きた時代は20世紀だが、彼の作品からは、モダニズムは感じられない。キュビズムやフォーヴィズムどころか、印象派の匂いすら感じられない。あるものは、デューラーの時代を思わせ、蠟燭の炎を描いた連作などは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの光と陰の世界を感じる。花や静物を描いた作品は、17世紀のオランダやフランドル地方の画家たちの手による静物画のようだ。

それらの作品を「写実」と言って良いのだろうか。月も、花も、炎も、風景も、寺院も、高島野十郎の作品には、どれも迫真の「質感」がある。だが、彼が追求したのは、おそらく20世紀的な社会主義リアリズムとは、真逆のものだろう。表面的な「迫真」ではなく、彼はその底にある内的世界を目指したのだと思う。死後に残された手記には、「写実の極致は慈悲」だと書かれていたそうだ。

その生き様は、『方丈記』の西行にも似ている。慎ましい生活と見せて、独自の美学があり、ダンディズムがある。ゆっくりと、時間をかけて展覧会を巡りながら、僕の耳には、ドヴォルザークの最高傑作といわれる『交響曲第8番』がなぜか聞こえ続けていた。高島野十郎が晩年をすごした千葉県柏の風景に、ボヘミア的で田園的な印象をもつ音楽が、呼応するかのように。


 

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