受験世界史のススメ 手書き解説。
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エーゲ文明 ~ミケーネ文明とは~

前2000年頃に、インド=ヨーロッパ語族がバルカン半島や小アジアに侵入してきます。彼らがいわゆるギリシャ人の祖先でありその一部のアカイア人がミケーネに王国を作りました。

そして彼らはトロヤを占領、その後クレタ文明を滅ぼし以後250年間ミケーネ王国は繁栄しました。


淡々と述べましたが・・・ここで覚えておくことはミケーネ人たちはクレタ文明に触れて線文字Aを改良し、線文字Bを作ったことです。

ちなみにこのミケーネ文明を発見したのはイギリス人学者のエヴァンズです。


そして後に登場するポリスとの決定的な違いは絶対的な王が君臨していたことです。古代のエジプトに近い絶対王政だった、支配下の村々から作物、家畜などを貢納をさせていました。王の墓からは陶器や青銅器、王の仮面なども見つかっています。これは王国が極めて繁栄して豊かであったことを示しています。

ミケーネの諸国は前1300年頃から衰退の兆しを見せ始めますが、前1250年頃にはトロヤを滅ぼしています。


最終的にミケーネを滅ぼしたのはドーリア人、もしくは海の民、諸説ありはっきりしませんが前1100年頃に滅んだとされています。


ここで覚えること、ミケーネを発見したのはエヴァンズ、絶対王政だった、トロヤ・クレタ文明を滅ぼした、クレタ文明に触れて線文字Bを作った。


次回はいよいよポリス登場です。


この辺りは淡々と事実を述べていくだけでいまいち面白みにかけますが・・・お付き合いください。


エーゲ文明 ~クレタ島に栄えた文明~

19世紀の半ばくらいまではポリスが現れる以前のギリシャは未開の社会でありホメロスの叙事詩出てくるようなポリス以前の世界観は空想だと考えられてきました。

しかしドイツ人のシュリーマンはホメロスが実際の歴史について書いているんだと信じてギリシャの発掘を行い、その結果ミケーネ文明を発見した、その後イギリス人のエヴァンズという人がクレタ文明を発見。



ようするにポリスより前の歴史は存在しないことになっていた、中国にしてもそうですが、こうやって古い歴史がどんどん紐解かれていくわけです。



さて、エーゲ文明というのはエーゲ海とその周辺を中心とした分明なわけですが、エーゲ海というのはギリシャの下の方ですね、大体この辺です。



大きな地図で見る


前20~前12世紀くらい、ポリス成立以前に繁栄してたといわれる文明です。

で、クレタ島で繁栄した文明、クレタ文明ですが、クレタ島というのは地図の下の方、横に長細い島がありますがあそこのことです。このクレタ文明、線文字Aという絵文字を発明しましたが、これは今なお解読されていません。クレタの伝説的な王、ミノスの名前をとってミノア文明ということもありますが、まあクレタ文明でいいでしょう。
クレタ文明の中心的な王国クノッソス、これだけ覚えれば問題ないです。

クレタ文明で覚えること、発見者はイギリス人のエヴァンズ、使っていた文字は線文字A、代表的な都市・王国の名前、クノッソス。これだけで十分です。

このクレタ文明はミケーネ人によって滅ぼされてしまいます。

次回はミケーネ文明について。

ギリシャ世界 ~地中海の風土と交易について~

地中海世界の風土と交易


地中海の沿岸部では、雨量が少なく、ギリシャでは年間に400mmから500mm程度の雨しか降らず、それも秋から冬にかけて降るため、夏場は乾燥して暑かったんです。

大きな川もなく、山地が海岸まで迫っていて平野が狭く、その平野も山脈で区切られています。

土地は石灰質でやせていて北イタリアやナイルの河口の一部以外では穀物を生産するには向きませんでした。


ただこういった土地でも向く農業はあります。オリーブ、ブドウ、イチジク等の果樹栽培です。地中海といえばこれらの果実が思い浮かぶのではないでしょうか?

牧畜の方では、牛やブタ等の大きい家畜よりも、羊やヤギの方が向いている。これも大体のイメージがわきますね。

そしてこの項で重要なのが、主食となる穀物が出来ないということです。オリーブばかりを食べて生きていくにはしんどいですよね?ブドウもイチジクも主食にはなりません。となるとこの地域に住む人達はどこからか主食になる穀物を輸入してこなければいけないんです。

要するに他の地域との交易が盛んになってくる。オリーブ油と穀物を交換する。

オリーブやブドウ以外のものも食べたいから・・・私だってもちろんそう思います。オリーブ油とワインだけじゃ生きていくにはしんどいですから。


このとき人々は沿岸部の限られた平地の部分、もしくはそれに近いところにすんでいた。日本にも同じことが言えますが、平地のある部分って点在している、ぽつぽつと。そしてそれぞれが山や海などで区切られてしまってるんです。

陸路で移動するには結構しんどい、もしくは無理なんです。

小麦なんかを担いでえっさほいさと山登りをしなければならなくなってしまう、もしくは泳いでいかなきゃいけない。だから大量にそして楽に運べる方法・・・船を使うんです。結果として地中海では航路が昔から発達していた。


ポイントは、地中海では主食となる作物が出来ない、もしくは出来にくい。だからどこからか輸入してくる、そしてその運搬方法は船。


というわけで地中海では昔から交易が航路を用いて盛んに行われていたというわけです。


なぜ地中海では昔から航路が発達していたか、と聞かれたら、穀物を自給自足でまかなえなかったから交易で穀物を得る必要があったから、そして陸の交通が困難であったから。とりあえずはこの二点で。