不登校はピタッと終わらない。

少しずつ波が収まる感じ。

高くて幅の広い大きな波が、やがて低くて幅の狭い小さな波になっていく。

あれが最後の波だったと思うと、忘れた頃に小さな波が来る。

 

 

今朝のこと。

くまくんがトイレから出てこない。

お腹が痛いらしい。

 

今日は魔の月曜日。

この区内の公立小中学校は第2土曜日に授業がある。

土曜日に学校。誰だって嫌だ。きっと先生だって。

 

もちろん、くまくんも。

やっと行けるようになっていたのに、土曜日に遅刻。

せっかく学校に行けるようになったリズムが崩れる。

そして今朝。用意が遅れる。腹痛になる。そして、トイレへ。

 

学校に電話をする。

電話口の副校長先生はいつも穏やかで優しい。

「気をつけて来るように言って下さい。」

 

私はそんな言葉をかけてあげられなかった。

くまくんだって辛いのに、どうしてもイラッとしてしまう。

なんであと数分早く出来ないの?

言いたい気持ちを堪えても、イラッとしているのが態度に出てしまう。

 

10分遅れで、くまくんは黙って出て行った。

外に行けるようになっただけすごいのに。

感覚過敏が出なくなっただけすごいのに。

片頭痛が出なくなっただけすごいのに。

 

そして、副校長先生の言葉を伝え忘れた。

あ〜ぁ。またやっちゃった。

 

音叉の下に着いてる木箱。アレみたい。

音楽で使ったポーンとなる音叉。

下の木箱をスピーカーみたいに震わせて音が大きく聞こえる。

くまくんが音叉なら、私は木箱。

ダメな母である。

 

じゃ、鳴らしたのは第2土曜の登校だ!

とは自分を慰める言い訳。

 

後でくまくんに謝まろう。

ごめんねって。

当たり前のように学校に行けるようになった息子のくまくん。

 

行けなくなったはじまりをはっきり覚えている。

だって、くまくんは皆勤だったのだから。

 

初めて風邪で休んだのが中2の9月。

頭痛が頻発して早退が増え、欠席になっていったのが中2の10月。

11月ごろからは、学校に行かない毎日を受け入れて好きにさせた。

2学期は学校に行かずに休ませると決めた。

12月に私の実家に新幹線で帰省した。

ほぼ3ヶ月ぶりの病院以外の外出。人との関わり合い。

薬を飲みつつ何とか乗り越えたし、笑顔も見られるようになった。

 

年明け。

やはり行けない。

しかし、冬休みの帰省で少しずつ自信を取り戻し1月には数回登校。

2月は週1回から週2回登校出来るようになった。

3学期の終わりには、毎日登校出来るようになってきた。

殆ど保健室で過ごしていたのだけれど…。

それでも、かなりの改善。

 

3年生。受験を控えて欠席できない。

薬を服用しながらだけれど、毎日登校し最後までいられる日が増えていった。

相変わらず保健室で過ごす時間はかなりあった。

2学期。

志望校が決まり、保健室に行かずに授業を全て受けられるようになった。

試験勉強を意欲的に出来るようになった。

 

ここまで1年以上かかった。

ようやくここまで来た。辛かった。でも、無駄ではなかった。

今は心からそう思える。

 

今も不登校真っ只中の人がたくさんいるのだろう。

焦ったり、辛かったりするのは前に進もうとしているから。

進んでるなら、やがて終わりは来る。大丈夫。

 

 

去年の10月に突然始まった次男の体調不良。

その後、不登校の定義に当てはまる状態が2学期、3学期と続いた。

それでも3学期は、何とか学校に顔を出せるようになった。

そして迎えた中学3年生。

毎日登校出来るようになり、最後まで学校にいられるようになった。

1日何時間かは保健室だったので、欠席扱いの授業もあって成績はもちろん良くなかった。

 

夏休みに興味のある学校の説明会に参加した。

 

そして、やっと目が覚めたらしい。

2学期から授業も全て出席するようになった。

身動き出来ない程の偏頭痛の発作の回数もぐっと減った。

 

そして普通の手のかかる思春期の子供に戻った。

 

それでも、時々あの頃の表情に戻る。

乗り物酔いをしているような、気持ち悪くて放っておいてくれ、みたいな顔。

 

その度に心がざわつく。

また戻ったらどうしよう。

 

でもこちらが焦ると逆効果。

崖っぷちだけど、ここはちょっと放っておくか。

と気にしないフリをする。

 

死にたいって言われたあの時に比べたら今はかなり健全。

なんとかなる。

明日があるんだから。

明日はあるのかって思っていた日々が遠くなった今に感謝しよう。

 

あの時の私に、今不登校の子供を支えている人に言いたい。

大丈夫。終わりに毎日近づいてる。