クリスチャン婚活日記〜遠距離婚活中〜

クリスチャン婚活日記〜遠距離婚活中〜

クリスチャン男性が遠距離婚活中!
マイノリティ三拍子

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結婚すれば女性が男性のもとに行くものだと当たり前のように思っていた。

 

婚活パーティに参加している女性は全国から来ているが、正社員の方が多く結婚後も仕事を続けたいと感じている方がいた。

 

また、今の自分のライフスタイルを大きく変えたくないという方もいた。

 

考えれば同然の話である。結婚・出産しても今の職場で働ける環境があり、家族や友達も住んでいる近くで結婚できるに越したことはない。

 

私の仕事は全国転勤もなく地元でしか働くことができない仕事である。そのため、結婚後に地元へ嫁げることが第1条件となってしまう。

 

今までそんなことを考えたことはなかった。

 

地元へ嫁ぐということは家族と友達と教会と仕事とも離れ離れになってしまうことである。

 

男女ともにプロフィールの条件が良ければマッチングするだろうと甘く考えていた。

 

会話タイムが終了し連絡先交換の時間となった。

 

連絡先を交換しても良いと思う人を選んで用紙を相手に渡すのだ。

 

私は正直自信があった。なぜなら、プロフィールだけで見れば年齢や仕事の条件は良い方だと考えていたからである。

 

用紙には第3希望まで書けるようになっていたが、結果は第3希望の方と連絡先を交換することになった。

 

自分の不甲斐なさにガッカリし、結婚相手としては優良物件だろうという根拠のない自信が音を立てて崩れた。

会話タイムとは、机に男女で座り5分話したのち男性が移動し全員と話をしていくシステムだ。

 

話の話題はプロフィールカードを元にしていくが、制限時間があるため非常に焦る。どう話をもっていけばよいかも分からない。

 

何人かの異性と話をして気づいたことがある。話し終わった後に話した異性の特徴や感想を書いておかないと誰が誰だか分からなくなるということだ。

 

そして、5分間を長く感じる人もいればあっという間に過ぎると感じる人もいる。

 

5分間を長く感じる人の共通点は「受け身」な人だ。

 

こちらから話題を振っても、一問一答形式になってしまう。会話のキャッチボールの重要性を痛感した瞬間であった。

 

また、私が面談で言われた外見についても感じるところがあった。

 

人の容姿にどうこう言える立場ではないが、外見による印象の影響は大きいということだ。

 

ある異性と話しをした際に、信仰的にとても魅力に感じる方がいた。

 

しかし、寝起きですか?というぐらい髪がぼさぼさであり、ファンデーションを塗り込みすぎて顔が真っ白になっていたのだ。

 

内面よりも外見を見てしまうんだな…と自分にガッカリしてしまった。

 

美人や不美人の話ではない。どうしても清潔感がないように感じてしまったのだ。

 

女性がよく言う「清潔感のある人が好き」という意味が少し分かったような気がした。

 

そしてもう一つ、異性と会話をする中で大きく勘違いしていることに気が付いたのである。

面談を行った後に婚活パーティー会場に場所を移した。

 

受付を行い会費を支払った。今回のパーティは全員がニックネームで登録されており年齢も教会名も非公開であった。

 

長机に座るよう言われ、隣に異性が座っているので挨拶もそこそこに周りを見渡した。

 

皆さん何かを書いている様子だった。自分の机にプロフィールカードが置いてあった。

 

「仕事内容」「どんな奉仕をしているか」「好きな御言葉」「最近嬉しかったこと」「どんな結婚生活を送りたいか」etc

 

正直どんなことを書けばよいか迷ってしまった。このカードを元に話をしていくと聞いてより焦った。

 

まるで試験中かのような集中力で項目を埋め、人生初の婚活パーティが始まった。

 

まず最初は簡単なゲームなどをして大勢の異性と話すよう言われたが、初対面で話題にも乏しいが「この場を盛り上げなくては!」という謎の義務感を感じ、一人意気込んでしまった…

 

ゲームが終わり印象に残る異性とそうでない人がいることに気づいた。殆ど話をしなかったとしても「笑顔の人」「リアクションがある人」は印象に残った。

 

座席に戻り次のアナウンスがあった。いよいよ、メインである会話タイムが始まったのである。

結婚相談所の面談とは、自分の理想や結婚観について仲人と話すとともに自分自身を知ってもらう場でもある。

 

仮に入会した場合は面談の情報をもとに仲人が異性を紹介するというシステムなのだ。

 

もちろん、面談したなら必ず入会しなければならないというわけではない。

 

面談をして気が付いたが、自分がどんな結婚をしたいかとかどんな相手が良いかというイメージが漠然としたものだった。

 

例えば、「子どもが生まれたら家族でアウトドアをしたいので、そういうのが大丈夫な人」や「キツネ目の人が好きです。」など今考えるとそこまで重要ではない希望が多かったように思う。

 

話をしていく中で仲人から「もうちょっと外見に気をつかったら良いと思うよ」というアドバイスをもらったことが印象的だった。

 

自分なりには精一杯おしゃれしていったつもりだった。確かに都会の人と比べると垢抜けていないなとも感じた。

 

友達に言われたならばきっと傷ついただろう。けれども、そのアドバイスが嬉しかった。

 

自分にできることは何でもしたかったからだ。

 

「この相談所は信頼できそうだ」面談をしてそう感じたので私は入会することにした。

クリスチャンの結婚相談所は私の住んでいる場所から随分と遠い場所にあった。

 

そのため、具体的に入会することは考えられなかった。

 

そんなある日結婚相談所主催による婚活パーティのお知らせが届いた。

 

「場所が遠い」「会費が高い」「出会えるか分からない」という不安三拍子を前にし、諦めようとしていた。

 

しかし、家族から「待っているだけじゃなくて自分から動かないと!」と背中を押され、人生初の婚活パーティーに参加することになった。

 

それならと結婚相談所の方から面談の話が持ち上がり、遠征することとなった。

 

これが、婚活最初の一歩となった。

 

結婚について本格的に考えたが、気になる人がいても進展がないまま終わってしまう現状に虚無感を感じてしまった。

 

結婚したいけどそこまで好きになれる相手は中々現れない。好きになっても結婚を意識してしまうと積極的になれない。

 

なぜなら、定期的に会う人ならともかくたまにしか会わないのであれば相手のことをよく知らないからだ。

 

恋人はいるのか?結婚願望はあるのか?どんな性格の人なのか?教会での姿や信仰はどうなのか?など確認したいことがたくさんある。

 

けれども、好意がハッキリしていない状態で積極的に聞けないのだ。

 

周りの異性を見渡しても相手のことを考えるだけでドキドキするような状態ではないから。

 

理性的に考えて条件は良いかどうかを打算的に考えていた。

 

そんな心境なので、相手のことをそこまで好きじゃないのかな?と自問自答を繰り返すうちに腰が重くなって行動できなくなってしまう。

 

要するに失敗したくないだけなのだ。

 

そんな時にクリスチャン専用の結婚相談所を見つけた。

 

正直、最初はそこまで乗り気ではなかったが、何か変わるかもしれないと思いながら連絡を取ってみた。

とある研修で違う教会の子と知り合うことになり、なんとなく好きだなという気持ちになった。

 

何日か一緒にいたが、その子は違う教会のためこの研修が終われば接点も無くなってしまう。

 

連絡先を聞こうかと思ったが交換しないまま終わってしまった。

 

しかし、三十路も視野に入っている状態で気になる人が現れるというのも貴重である。

 

私の今までの恋愛パターンは自分から告白して付き合うというパターンしかなかった。

 

そのため、今回も自分から行動しないと何も始まらないと感じていた。

 

しかし、「結婚相手は神様が与えてくれる」と考えていたため、自分から行動するのは違うのではないかという結論に達してしまった。

 

祈りながら考えた結果、自分から連絡先は聞かずに自然に連絡先が分かるまで何もしないでおこうと決めました。

 

当然その子とは友達以上の関係になることはありませんでした。

教会は圧倒的に女性が多いです。

 

体感としても7対3の割合で女性が多く男性は少ないです。

 

そうであれば出会いの機会は多いと思われがちですが、実際には他の教会との繋がりも少ないため出会いの機会は少ないです。

 

それでも当時は、アダムとエバのように結婚適齢期になれば自然に相手が現れて結婚できるのかなと思っていました。

 

 

20代の頃は結婚相手をクリスチャンに限定することもしていませんでした。

 

ノンクリスチャンと付き合ったこともあるし職場のノンクリスチャンを好きになったこともあります。

 

結婚は好きな人とするものであって、相手がクリスチャンでなければダメだというのは排他的であるように感じたからです。

 

その当時の私にとっては、結婚相手がクリスチャンであるということはオプションにしか過ぎなかったのです。

 

しかし、あるクリスチャンカップに出会ったことによって私の結婚観は大きく変わりました。

 

 

2人は仲睦まじくいつも一緒に行動しており、彼は礼拝が終わった後も残りたかったが彼女は早く帰って2人の時間を大切にしたいと思っていました。

 

彼は教会内で役割を与えられていたが、彼女のことを考えると早く済ませて帰らなければという思いでいるようでした。

 

午後にある会議に出た際には、彼女の顔色を伺っている彼の姿を見て「お互いに辛いだろうな」と他人事ながら感じていました。

 

何故なら、彼は彼女を優先することの引き換えとして与えられた役割を全うできていないからです。

 

彼がその役割を望んで与えられたにも関わらず。

 

 

このカップルを見てお互いの教会での過ごし方も一緒にいるうえで重要なのだと感じました。

 

私は土曜日、日曜日と教会に行っているので、礼拝には出るけど終わったらすぐ帰りたいという人とは合わないと思いました。

 

また、土曜日は子どものための礼拝を行っているので、休日のどちらも教会に行くことに対して理解がない人とも合わないと思います。

 

結婚は教会に行くことや信仰を理解してもらう程度ではないと感じました。例え相手が信仰に理解があるとしても、自分の子どもを

 

教会へ連れて行くことに理解を示してくれるでしょうか。

 

 

もちろん、結婚や出産や介護などで独身時代と同じような時間を過ごせない場合に考えを強要するものではありません。

 

ライフイベントによって礼拝に出席するだけで精一杯という時期があると思いますが、それは状況に応じて2人で話し合って決めることだと思います。

 

 

今までの結婚観にはなかった考えがこのカップルを通して与えられました。

 

それは、「奉仕に対する考え方」が大きくズレていない方が良いというものです。

 

結婚は非日常ではなく生活なので、今までの教会での過ごし方が大きく変わると無理が生じてしまうし、この価値観が合う人という

のはノンクリスチャンではないなと感じたのです。

 

私はノンクリスチャンの結婚相手が教会や奉仕に対して文句を言わず理解を示してくれるのを求めているわけではなく、一緒に楽しみたいのです。

 

一緒に苦労したいのです。

 

一緒に祈りたいのです。

 

教会から家へ帰る車で今日も楽しかったね!と言い合いたいのです。

 

自分が大切にしているものを相手も同じように大切にしている。そんな価値観が大切だと思うのです。

 

 

それを求めているのだと気付いてから、私の結婚相手候補の中からノンクリスチャンは消えてしまいました。

 

クリスチャンと結婚するためにはどうしたら良いのだろうか?

 

ここから私の婚活が始まりました。