教会は圧倒的に女性が多いです。
体感としても7対3の割合で女性が多く男性は少ないです。
そうであれば出会いの機会は多いと思われがちですが、実際には他の教会との繋がりも少ないため出会いの機会は少ないです。
それでも当時は、アダムとエバのように結婚適齢期になれば自然に相手が現れて結婚できるのかなと思っていました。
20代の頃は結婚相手をクリスチャンに限定することもしていませんでした。
ノンクリスチャンと付き合ったこともあるし職場のノンクリスチャンを好きになったこともあります。
結婚は好きな人とするものであって、相手がクリスチャンでなければダメだというのは排他的であるように感じたからです。
その当時の私にとっては、結婚相手がクリスチャンであるということはオプションにしか過ぎなかったのです。
しかし、あるクリスチャンカップに出会ったことによって私の結婚観は大きく変わりました。
2人は仲睦まじくいつも一緒に行動しており、彼は礼拝が終わった後も残りたかったが彼女は早く帰って2人の時間を大切にしたいと思っていました。
彼は教会内で役割を与えられていたが、彼女のことを考えると早く済ませて帰らなければという思いでいるようでした。
午後にある会議に出た際には、彼女の顔色を伺っている彼の姿を見て「お互いに辛いだろうな」と他人事ながら感じていました。
何故なら、彼は彼女を優先することの引き換えとして与えられた役割を全うできていないからです。
彼がその役割を望んで与えられたにも関わらず。
このカップルを見てお互いの教会での過ごし方も一緒にいるうえで重要なのだと感じました。
私は土曜日、日曜日と教会に行っているので、礼拝には出るけど終わったらすぐ帰りたいという人とは合わないと思いました。
また、土曜日は子どものための礼拝を行っているので、休日のどちらも教会に行くことに対して理解がない人とも合わないと思います。
結婚は教会に行くことや信仰を理解してもらう程度ではないと感じました。例え相手が信仰に理解があるとしても、自分の子どもを
教会へ連れて行くことに理解を示してくれるでしょうか。
もちろん、結婚や出産や介護などで独身時代と同じような時間を過ごせない場合に考えを強要するものではありません。
ライフイベントによって礼拝に出席するだけで精一杯という時期があると思いますが、それは状況に応じて2人で話し合って決めることだと思います。
今までの結婚観にはなかった考えがこのカップルを通して与えられました。
それは、「奉仕に対する考え方」が大きくズレていない方が良いというものです。
結婚は非日常ではなく生活なので、今までの教会での過ごし方が大きく変わると無理が生じてしまうし、この価値観が合う人という
のはノンクリスチャンではないなと感じたのです。
私はノンクリスチャンの結婚相手が教会や奉仕に対して文句を言わず理解を示してくれるのを求めているわけではなく、一緒に楽しみたいのです。
一緒に苦労したいのです。
一緒に祈りたいのです。
教会から家へ帰る車で今日も楽しかったね!と言い合いたいのです。
自分が大切にしているものを相手も同じように大切にしている。そんな価値観が大切だと思うのです。
それを求めているのだと気付いてから、私の結婚相手候補の中からノンクリスチャンは消えてしまいました。
クリスチャンと結婚するためにはどうしたら良いのだろうか?
ここから私の婚活が始まりました。