せっかくどうも安斎です。


久しぶりのブログです。



よく「塩で除霊する」とか「部屋を清浄にするのに盛り塩をする」とか言われますが、アレは効果はないと思います。


神道で言われる「塩での清め、禊(みそぎ)」は、日本書紀にある、黄泉の国から戻ったイザナギが黄泉の国の穢を落とすために「海に入った」ことから始まったという説がありますが、アレもちょっと違うんですよね。


イザナギは「海」ではなく、「川」で穢を禊ぎ祓いしたらしいんですよ。

罪穢れを祓うという祝詞、「大祓詞」で言われているのは、「罪穢れ」を流す川には「セオリツヒメ」という神様がいて、「セオリツヒメ」が海に罪穢れを流して、海にいる「ハヤアキツヒメ」という神が次々に流れてくる罪穢れを荒々しい渦で集めて、それを新しい息吹として吹き出す「イブキドノヌシ」という神が黄泉の国、根の国に吹き飛ばし、黄泉の国、根の国にいる「ハヤサスラヒメ」という神が罪穢れと一緒に彷徨ううちに「誰の罪穢れがわからなくなる」という一連の流れが「禊祓」なんですよね。


だから、西洋的な「浄化」や「聖別」みたいなんじゃなく「誰のだかわからなくなる」という曖昧な処理の仕方が神道でいう「浄化」なんでしょう。


で、神道では塩自体でこの「浄化」をすることは無くて、海に入る「潮垢離」とか、神道の儀式、修祓(しゅばつ)で「塩の入ったお湯、塩湯(えんとう)」を使うことはありますが、「塩を振りまく」とかはないんですよね。


神事から派生した相撲で「塩をまく」というのを民間宗教的にしたのが、いまの「塩で除霊」に繋がっているんだと思いますよ。


で、穢れ祓いをする「穢」ってなんだと思いますか?「霊」ではないですね。


「穢」って、三穢、三不浄などと呼ばれる、「死の穢れ(黒不浄)」「血の穢れ(赤不浄)」「産の穢(白不浄)」のことなんですよ。


「死の穢」はそのまま「死」を不浄のものとするもの、「血の穢」は女性の生理を不浄のものとするもの、「産の穢」は出産で出血するのを不浄のものとするものです。


古代、体から血が出ることは「不浄」とされたんですよね、「死ぬ」時も怪我などで「血」が出たり、疫病や病死などでは「血が混じった体液」が出たりしますね、これを不浄としたんでしょう。


他の2つ「血の穢」「産の穢」は科学が発達していない古代では「血が出る」ことを一括りに「穢」にしたんだと思います。


俺は医療現場にいたので、「汗以外のすべての体液を不潔として扱う」スタンダードプリコーションを実践してきたのですが、古代人も経験的に「血(体液)」が感染症を引き起こすというのを知っていたんじゃないかと思うんですよ。


感染症(疫病)がひとたび引き起こされたらどうなるかは最近の流行り病を見てもわかることだと思います。


古代の村社会などはひとたまりもないでしょうね。


塩は「除菌作用」があるのは周知の通りです。感染症を「穢」として「塩で穢を祓っていた」のが「浄化」なんじゃないかと思うんですよ。


だから、「塩で除霊」は「できない」と俺は考えるんです。


この話は「穢」は「気の枯れ」という話に繋がるんですが、それはまたの機会に。


※最近では除菌消臭剤のファブリーズで除霊ってのもありますね。なぜリセッシュじゃなくてファブリーズなのかも考察できるかもしれません。


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