釧路炭鉱マン秘話 -2ページ目

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.8 

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第20号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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                  2005.12.1 発行(毎月15日・30日発行)

  炉ばた「でれっき」には
 炭鉱マンのお客様がよくお見えになります。
 炉ばた=でれっき=番外編では、
 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~と題して
 炭鉱マンだけが知っている、坑内のおもしろ裏話をお届けしています。

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.8  
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 今や国内でも唯一残った坑内掘り炭鉱として採炭を続ける「釧路コールマイン」同様、
 読者の皆様の暖かいご支援によって支えられています「くしろ炭鉱マン物語」。

 第8回目の今回は、戦時中から少年坑夫として九州の田川炭鉱を皮切りに
 太平洋炭鉱に併合された別保炭鉱や太平洋炭鉱で、長く採炭や掘進といった
 第一線で活躍されてこられた国沢哲さんです。

 採炭時代は社内でも5本の指に入る名ロング長として、
 掘進に移ってからも人並み外れた努力によって
 やはり名マイナー長として多くの人望を集めた国沢さんの、
 炭鉱と共に歩んだ半世紀の思い出をうかがいました。


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 ◎第8回 元・太平洋炭鉱マイナー長 国沢さん(78)

   ┏………………………………………………  
   ┃ 開戦により徴用、筑豊の田川炭鉱へ    
   ┗………………………………………………

 昭和2年、旭川市で生まれたわたしは昭和14年、現在の釧路町別保にあった
 太平洋炭鉱別保坑に就職した父親とともに釧路へきました。

 小学校を卒業したら、わたしも父親と一緒に炭鉱で働こうとは考えていましたが
 昭和16年の卒業と同時に、国策により父親ともども何と九州は筑豊炭田にあった
 田川炭鉱に徴用され、そこで終戦まで働きました。

 当時の炭鉱はどこでもそうでしたが、掘った石炭を坑外に運び出すためには
 トロッコを馬に引かせていました。

 ある時、はずみのついたトロッコに馬が後ろ足を轢かれ、
 骨折してしまったことがありました。

 現在ならば、すぐに薬殺するのでしょうが
 そんな薬が手に入る時代ではありませんでしたから、
 馬は治療されるでもなく安楽死されるでもなく
 近くの草むらで死ぬまで、何日も放置されていました。

 わたしもまだ子供でしたから、子供心にも
 「早く楽にさせてやればいいのに」と不憫に思ったものです。

 
   ┏………………………………………………  
   ┃  敗戦により帰釧、ふたたび別保炭鉱へ
   ┗………………………………………………


 昭和20年の敗戦により、ようやく父親と一緒に
 別保坑へ戻ることができました。
 わたしは18才になっていました。

 田川ではまだ一人前扱いされなかったため、
 採掘した石炭をトロッコで搬出する運搬係をしていましたが、
 別保坑へ戻ってきて、初めて採炭の仕事に就くことができました。

 何と言っても採炭係は坑内作業の花形ですから、
 これで自分もようやく一人前になれたんだなと興奮しました。

 ただ、炭層の薄い別保坑は昭和25年に閉山してしまうのですが
 その前から徐々に閉山の下準備が進められていたため、
 採炭係のわたしは太平洋の本坑と別保坑を、毎日のように
 汽車で行ったり来たりを繰り返していました。
 やはり、閉山後の移動に向けての準備だったのでしょう。


   ┏………………………………………………  
   ┃  機械化と福利厚生の進んでいた本坑
   ┗………………………………………………

 別保坑が閉山されてからは、正式に本坑の採炭係となりました。
 当時は坑内へ向かう斜坑が3本もありましたし、
 社員も全部で5000人近くはいたんじゃないでしょうか。

 かなり後になって夕張の「石炭の歴史村」へ行った時、
 閉山前に使用していたという掘進の機械や
 採炭用のドラムカッターが展示されていましたが、
 太平洋炭鉱よりも旧式で小規模だったことに驚きました。

 三菱の大夕張坑や北炭夕張坑などは、太平洋よりも
 大きな炭鉱だとばかり思っていましたから、
 当時としてはかなり最新式で大規模な機械化を
 太平洋は果たしていたのでしょう。

 昭和27年に結婚し、翌年にはできたばかりの望洋団地の
 社宅に入ることができました。
 風呂こそ付いていませんでしたが、トイレが水洗なのには驚きました。
 この当時に水洗トイレなんて、太平洋の社宅ぐらいのものでしょう。

 暖房用の石炭が無料で支給されるのは当然(?)としても
 電気や水道代まで社宅は無料でしたから、
 後になって自宅を建てる時に妻に反対されたほど、
 社員に対しての福利厚生は手厚いものがありました。


   ┏…………………………………………………  
   ┃  炭層のきわめて薄い2番層に四苦八苦
   ┗…………………………………………………

 この頃から、太平洋炭鉱では新たな炭層を開発し、
 社運を賭けて「2番層」と呼ばれた炭層での採炭を始めました。

 しかしこの2番層は、炭層の厚みがわずか1メートルほどしか
 なかったため、採炭には実に苦労しました。

 上下の岩盤を崩さずに石炭だけを掘ろうとすると、
 切羽まで何十メートルもある坑道を、ほとんど四つん這いになって
 進んでいかなくてはならないからです。

 作業服が汚れるのはいつものことですが、
 すぐに肘や膝の部分がすり切れてしまうため、
 家内は毎日洗濯の後につぎあてをしなくてはなりませんでした。

 落盤や崩落などの事故も多かったことから、
 本当にこの2番層には手を焼いたものです。


   ┏………………………………………………  
   ┃     突然の掘進係への配転     
   ┗………………………………………………


 昭和45年、それまでの採炭係から突然、掘進係への異動を命じられました。
 当時はロング長として、50人あまりのチームを率いて作業をしており、
 掘進でもマイナー長ということで多くの部下を預かりましたが、
 初めての部署でしたから、仕事を覚えるまでは人知れず苦労しました。

 普通の職場と違い、職長と呼ばれるチームリーダーは
 まさにチーム全員の命を預かっているわけですから、
 その責任はとてつもなく重いと言えるでしょう。

 昭和30年ごろまでは死亡事故も結構多かったことから
 毎朝送り出してくれる家内も気をもんだことでしょうし、
 昨日まで冗談を言い合っていた同僚が事故で亡くなった時などは
 本気で転職を考えたこともありました。

 わたしは父親を見習って炭坑夫になりましたが、
 自分の息子には、炭鉱だけは入ってほしくないと思いました。

 それでも結局、昭和57年に55才で定年退職するまで大過なく
 事故にも遭わずに過ごすことができました。
 まさに幸運だったと言えるでしょう。

 思えば40年以上にも及んだ炭鉱生活において
 家族にも同僚にも健康にも恵まれたわたしは、
 この上なく幸福な男だと言えるのかも知れません。



 ┏炭鉱用語解説※┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯
 ┠ 
  ┠ 別保坑(べっぽこう)  
 ┠>>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#1
  ┠
  ┠
  ┠ ドラムカッター(どらむかったー)
  ┠>>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#4
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この記事は2005.12.1に発行されたものです。

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.7

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第18号)
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                  2005.10.30 発行(毎月15日・30日発行)


  炉ばた「でれっき」には
 炭鉱マンのお客様がよくお見えになります。
 炉ばた=でれっき=番外編では、
 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~と題して
 炭鉱マンだけが知っている、坑内のおもしろ裏話をお届けしています。

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.7  
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 国内最後の炭鉱として頑張り続ける「釧路コールマイン」同様、
 皆様の暖かいご支援によって支えられています「くしろ炭鉱マン物語」。

 第7回目の今回は、太平洋炭鉱とともに釧路炭田の中核炭鉱として
 我が国の高度経済成長時代を支えた「明治鉱業 庶路炭鉱」を皮切りに、
 「雄別炭鉱」を経て、マイナー長として「太平洋炭鉱」を退職するまで、
 一貫して「掘進作業」一筋に過ごされた蒔苗儀孝(まきなえよしたか)さんです。
 
 北海道で最初の炭鉱があった白糠町の炭住(炭鉱住宅)で育ち、
 「なるべくして炭坑夫になった」という蒔苗さんの
 親子3代にわたる「炭鉱づくし」の半生をうかがいました。

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 ◎第7回 元・太平洋炭鉱マイナー長 蒔苗さん(66)


   ┏……………………………………………………  
   ┃ 炭鉱の町に生まれ、炭鉱の町で成長   
   ┗……………………………………………………

 わたしが生まれたのは昭和14年。
 当時まだ太平洋炭鉱「別保坑」として
 採炭が盛んに行われていた、現在の釧路町別保地区でした。

 その頃は、まだ父親は農業を営んでいたそうですが、
 わたしが3、4歳のころに炭坑夫として白糠町にあった
 「明治鉱業 庶路炭鉱」に就職し、一家で移り住みました。


 太平洋炭鉱よりもはるかに規模の小さかった庶路炭鉱ですから
 炭住(炭鉱住宅)はもちろんバラックのような木造住宅です。

 毎日真っ黒になって疲れて帰ってくる父親を見ていると、
 子供心にも「大変な仕事なんだな」とは感じていましたが、
 それだけに賃金のいい、男らしい仕事だなと思っていたので
 自分も大人になったら絶対炭坑夫になるんだと決めていました。

 今でもそうですが、当時の炭鉱でも作業員になれるのは18歳から
 だったため、18歳になるのを待って
 すぐに父親と同じ庶路炭鉱に勤め始めました。
 昭和32年のことです。


  ┏……………………………………………………  
   ┃  すべてが人力と馬による厳しい作業
   ┗……………………………………………………

 何せ若くて馬力がありましたから、部署も希望して
 一番きついけども賃金のいい掘進の仕事を選びました。

 決まった給料がもらえる職員ではなく
 1メートル掘進するといくらもらえるという請負での仕事です。
 「直轄」と呼ばれた正職員に対して
 「組長」をリーダーとして「◎◎組」と呼ばれる
 集団ごとに請負作業を行っていたのは
 明治時代から続く「友子制度」の名残りです。


 すでに機械化の進んでいた太平洋炭鉱では
 掘進や採炭作業も機械で行われていたようですが、
 規模の小さい庶路炭鉱ではまだダイナマイトで崩した石炭を
 ツルハシとスコップで掘り進め、
 馬にトロッコを引かせて運び出すというものでした。
 ほとんど明治時代から変わらない「手掘り」による作業です。

 大体ひとつの切り羽を4、5人の「組」で掘進するのですが、
 何せ作業のほとんどが人力によるものですから、せいぜい
 一日に3メートルも進めばいい方だったのです。


  ┏……………………………………………………  
   ┃  雄別炭鉱を経て、太平洋炭鉱へ移籍  
   ┗……………………………………………………


 庶路炭鉱に入って8年目、26歳の時に
 近くの阿寒町にあった雄別炭鉱へと移りました。

 一人前の仕事ができるるようになれば、当時の請負の炭坑夫は
 腕を買われてあちこち渡り歩くのが普通でした。

 世話になった親方の頼みであれば
 絶対に断れないのが当時の決まりだったからです。

 友子制度自体はなくなっていましたが
 徒弟制度の「親方と弟子」のような
 職人同士の義理人情が強く残っている世界でした。


 そんな雄別炭鉱もわずか2年ほどいただけで、
 昭和42年に初めて正職員として太平洋炭鉱に移りました。
 雄別炭鉱が閉山する3年前、28歳の時のことでした。


  ┏…………………………………………………  
   ┃   機械化された大規模な坑内に驚く  
   ┗…………………………………………………

 先にも触れたように、規模の小さかった庶路炭鉱では
 掘進作業の大半が「手掘り」によるものでしたし、
 後に移った雄別炭鉱でも、多少は機械化されていたものの
 最新式の大規模な設備の整った太平洋炭鉱とは
 作業効率において比べ物にならないものでした。

 それまでの「手掘り」による作業では
 一日に3メートルが限界だった掘進作業が
 当時ドイツから購入したばかりのコンティニアスマイナーに
 かかれば一日で15~20メートルも進んでしまうのです。
 これには本当に驚かされました。

 すでに庶路炭鉱は閉山していましたし
 昭和45年には雄別炭鉱も閉山するなど
 国内における炭鉱の斜陽化は始まっていましたが、
 それでも当時の太平洋炭鉱には9箇所もの切羽(採炭現場)があり、
 掘進だけでも450人あまりの職員が働いていました。

 一カ所の切羽につき、一番方から三番方まで
 三交代で作業を進めるわけですから、
 最盛期には27もの掘進チームがありました。

 作業の成績がいいと「ご褒美」として
 所長から結構な額の金一封が出るため、
 各チームはそれはもう必死になって競争したものです。

 わたしが(コンティニアス)マイナー長になってからも
 何度か良い成績をおさめて表彰をされたり金一封をもらいましたが
 もらった金は全部みんなで飲んで食ってパーっと使ってしまいました。
 思えば40年にも及んだ炭鉱生活で、一番いい時代でした。


   ┏……………………………………………………  
   ┃    3代目も炭坑夫として活躍中   
   ┗……………………………………………………


 ちょうど10年前、平成7年に定年で太平洋炭鉱を退職しましたが
 退職の前日、会社が記念にと初めて坑内の採炭現場で
 息子と一緒の記念写真を撮ってくれました。
 その5年ほど前にやはり採炭係として息子が就職していたからです。

 掘進係は切羽が完成すると、すぐに次の切羽の掘進を始めるため
 ドラムカッターで採炭する現場を見たのは
 38年も坑内生活を送っていながら初めてのことでしたし
 写真を撮られること自体もまったくの初体験でした。

 わたしの父親から数えて3代目の炭坑夫となる息子は
 幸いにも太平洋炭鉱の閉山後も「釧路コールマイン」に
 残ることができましたが、
 どうやら孫まで炭坑夫にするのは望み薄のようです。

 日本の成長と発展を、それこそ地の底から支えてきた炭鉱が
 この国から消えてしまうのは、何とも残念で仕方ありませんが
 これも時代の流れというやつなのでしょうか。

 今でもわたしたち親子の誇りであり、支えでもあった炭鉱を
 一日でも長く残してほしいと願っています。


 ┏炭鉱用語解説※┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯
 ┠ 
  ┠ 別保坑(べっぽこう)  
 ┠>>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#1
  ┠
┠ 明治鉱業 庶路炭鉱(めいじこうぎょう しょろたんこう)
  ┠>>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#3
  ┠
  ┠ 友子制度(ともこせいど)
  ┠>>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#4
┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷


いかがでしたか?
 近隣の炭鉱の様子や友子制度など、まさに「炭鉱の生き証人」としての
 言葉が、我々に伝わってきますね。
 さて次号はどなたがお話してくれるのでしょう。
 どうぞお楽しみに!


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この記事は2005.10.30に 発行されたものです。

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.4 

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第12号)
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                  2005.7.31 発行(毎月15日・30日発行)


  炉ばた「でれっき」には
 炭鉱マンのお客様がよくお見えになります。
 炉ばた=でれっき=番外編では、
 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~と題して
 炭鉱マンだけが知っている、坑内のおもしろ裏話をお届けしています。

◆炉ばた=でれっき=の風景 (第12号)    

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.4   ┃
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 地元の関係者にもあんまり知られていない炭坑マンの裏話やおもしろ話を
 今では現役を退いたOBたちからこっそり聞き出しちゃおうというのが
 この「くしろ炭鉱マン物語 ~我らコールマイナー」のコンセプト。


 第4回の今月は、炭鉱マンとして第一線で長く活躍されるとともに
 炭鉱マンならではの心意気を伝えたいと自然発生的に生まれた「太平洋太鼓」を
 退職された現在も世界に伝え続ける若松寛さんにお話をうかがいました。


 若松さんは現在、同好の市民が参加しての郷土芸能サークルとなった
 「釧路太平洋太鼓保存会」の会長を務めるとともに、
 根室や十勝、網走など道東各地の太鼓団体が参加する
 「東北海道太鼓連盟」の事務局長も兼任し、
 郷土芸能文化の普及と伝承に心血を注いでいらっしゃいます。


 それでは、そんな若松さんが太平洋太鼓に参加するようになった経緯と
 夢中になった魅力の秘密、さらには
 世界へ飛び出して行くほどの活躍ぶりをお聞きください。


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◎第4回 釧路コールマイン 元・保安監督室長 若松さん(55)


   ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 最終学歴はなんと炭鉱附属の専門学校  ┃
   ┗……………………………………………………┛

 私が太平洋炭鉱に入社したのは昭和43年のことでしたが、
 直前に卒業した学校は、昭和39年に太平洋炭鉱が
 技術者の育成のために設立した「鉱山鉱業専門学校」でした。


 私は2期生でしたが、すぐに石炭産業が斜陽化し始めたため
 開校からわずか13年後の昭和52年には廃校になってしまいました。
 ある意味、生え抜きの「炭鉱マン」だったと言えるかもしれません。


 入社してすぐに配属されたのは
 前々回の高橋さんと同じ電気担当でした。


 その後、およそ30年間にわたって電気畑一筋でしたが
 太平洋炭鉱が閉山になり、新たに釧路コールマインとして
 生まれ変わる直前に試験を受け、保安担当室長になりました。
 今年1月に退職するまで、コールマインでもそのまま
 保安担当室長として勤務しました。


  ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 顔を出すだけのつもりだった太鼓同好会
   ┗……………………………………………………┛

 入社してしばらく、私には趣味らしい趣味というものがありませんでした。
 ところが数年ほどたったある日、上司が私にできたばかりの
 「太鼓同好会」に顔を出してくれと言うのです。


 太鼓の好きな職員が集まって会を作り
 「炭鉱マンの男らしさや心意気を表現できる」として
 会社としても全面的にバックアップし始めていたものでした。
 そのため半強制的に各職場から数名ずつ
 適任者を出そうということになったらしいのです。


 日頃から世話になっている上司から
 「俺の顔を立てると思って、顔だけ出してくれればいい」
 ということでしたので、言われた通りに顔だけ出して
 話を聞いたらそのまま帰るつもりで練習場所へ行きました。


 ところが、練習場所では太鼓を叩いているどころか
 宴会場のようになっており、
 すでに酒盛りが始まっていたのです。
 「まあまあ、そんなところに立ってないで。こっちへ来て一杯やれや」


 そんな甘い言葉(酒)に誘われて、
 ついフラフラと座ってしまったのが
 その後30年にわたって付き合うことになる
 太平洋太鼓との出会いでした。


 
  ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 仕事より夢中になった太平洋太鼓の魅力 
   ┗……………………………………………………┛


 当時は全国各地で「新しい郷土芸能」としての
 太鼓団体の創設や旗揚げがブームとなっており
 ここ釧路市でも相次いで「蝦夷太鼓」や「自衛隊太鼓」などが
 発足してきました。


 まったくの素人ばかりの集まりでしたので
 バチさばきから曲作りまで、すべてが苦労の連続でしたが
 それでも「出炭太鼓」や「躍進太鼓」、ゼロ災害を目指した「ゼロ」など
 いかにも炭鉱らしい、炭鉱ならではの勇壮な曲を数多く生み出しました。


 もともと、たった5人で発足した同好会は
 最盛期でもメンバーは10人ほどでした。


 現在は現役の炭鉱マンが7人ほどであるのに対し
 OBや家族を含めた一般市民が十数人、
 さらにはジュニアである小中高生も17、8人と
 今では総勢40名近い大所帯になりました。


 演奏は、地元の釧路市や道東各地のイベントなどで
 日頃の稽古の成果を披露させていただくとともに
 最近ではモンゴルや中国での公演にも招待されました。


 また、今も多くの炭鉱マンたちの子供が通っていることから
 釧路コールマイン近くの小中学校において、
 太鼓を打つ体験学習や公演にも招かれるようになりました。


 すでに太平洋炭鉱という社名がなくなってしまった現在、
 OBとして、せめて太鼓に付けた太平洋の名前だけでも
 末長く残していきたいと思っています。


いかがでしたか?
 まさに目からウロコの落ちるような炭鉱マンたちの裏話
 次回はどなたがお話してくれるでしょう・・・
 どうぞお楽しみに!

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■ メルマガスタッフ: 新谷 祥子 ・ 西村 貞広
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この記事は2005/7/30に発行されたものです。

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.3

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第10号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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                  2005.6.30 発行(毎月15日・30日発行)


  炉ばた「でれっき」には
 炭鉱マンのお客様がよくお見えになります。
 炉ばた=でれっき=番外編では、
 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~と題して
 炭鉱マンだけが知っている、坑内のおもしろ裏話をお届けしています。

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.3
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 おかげさまで大好評(?)の「くしろ炭鉱マン物語」
  第3回の今月は、大工さんを経て太平洋炭鉱に入社され、
 「釧路コールマイン」に生まれ変わった後も
  ベテランの仕繰り要員としてその技術を見込まれ、残留を請われて
今年3月に定年退職されるまで「炭鉱マン」人生を全うされた
和田さんにお話をうかがいました。


同僚だった親族の不始末を問われなかったことに恩義を感じ、
「あなたは会社と結婚したのだから」と家族があきれるほどに
仕事に打ち込んだ「職人気質」の炭鉱マンが、
30年間におよぶ炭鉱生活の中で、たった一度だけ犯したという
恥ずかしい失敗談を、こっそりうち明けてくださいました。


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◎第3回 釧路コールマイン 元仕繰係長 和田さん(55)


   ┏………………………………………………┓  
   ┃ 意外にも学歴と資格が求められた職場 
   ┗………………………………………………┛

  わたしが旧太平洋炭鉱に入社したのは昭和51年、27才の時でした。
  それまでは、中学を出てから大工仕事などをしていたので、
  腕に多少の自信もありましたし、炭鉱ならば学歴に関係のない
  実力勝負の世界だろうと思って飛び込んだのですが、
  すぐに大きな間違いだったと気づきました。
  電気や機械、さまざまな危険作業などが多い炭鉱という職場は、
  何をするにも資格が求められる世界だったのです。

わたしが配属されたのは「仕繰り」と呼ばれる部署で、
ここは主に掘り進んだ坑道の維持と補修を行うところでした。
海底下数百メートルにある坑道には、1平方センチ当たり
何トンもの圧力がかかるため、頑丈な鉄枠で坑道を支えていても、
それを押し曲げながら天井が下がってくるのです。

これらの作業を指揮するには当時「鉱山保安補」という資格が
必要だったのですが、そのためには年齢に関係なく高卒で3年以上、
中卒ならば5年以上の現場経験が必要と決められていました。
当時はわたしも若かったため「こんな仕事になぜ学歴が関係あるんだ」
と反発を感じ、なにくそという気で勉強したため、
5年目ですぐに試験をパスして職長になることができました。


  ┏………………………………………………┓  
   ┃ 地質によって大きく異なった採炭環境 
   ┗………………………………………………┛

  太平洋炭鉱の場合、最初は高さが3メートルもあった坑道が、
  ものの3ヶ月もしないうちに1メートルぐらいにまでつぶれてしまい
再び掘り直さなければ機械類が運び出せないといったことは
日常茶飯事でした。

海底まで数百メートル、さらにその上に「海が乗って」いるわけですから、
海底の炭鉱ならばどこも同じだろうと思っていたのですが、
後に研修でたずねた長崎の来島炭鉱を見て驚きました。
ここも太平洋と同じ海底下数百メートルを掘る炭鉱なのですが、
ほとんど上部からの盤圧がないというのです。

当然、仕繰りの作業も比べものにならないほど楽な作業です。
地層や岩盤そのものが固いからなのでしょうが、
同じようでいて、所変われば随分と違うものなのだと感心させられました。


 
  ┏………………………………………………………………┓  
   ┃ つい、うっかりで持ち込みかけた○○○○   
   ┗………………………………………………………………┛

炭鉱の坑内に火気は厳禁です。
石炭と一緒に地層に閉じこめられていたメタンガスが充満しているほか、
掘削によって粉塵となり宙を舞う石炭に引火すれば、
一瞬にしてガス爆発が起こるからです。

一方で炭坑夫にはタバコ好きが大変に多いため、
毎日の入坑時には入念なボディチェックが行われます。
タバコはともかく、ライターの坑内持ち込みを防ぐためです。

わたしもかなりのヘビースモーカーですが、
その頃には部下を200人抱える係長になっていましたし、
その危険性も分かっていたため自分の部下には
絶対許さないと常々言い渡していました。

ところがです。
そんな自分がある日、 ボディチェックの時、何気なく胸ポケットに手をやると、
そこにタバコとライターがしっかり入っているではありませんか。

思わず血の気が引き、全身に冷や汗がドッと吹き出てきました。
朝、家から作業着を着たまま出勤してきたため、取り出し忘れたのです。

  係員が胸ポケットのところで手を止め、
怪訝そうな顔でわたしを見つめていなければうっかり持ち込んでしまうところでした。
作業が終われば、出坑時にボディチェックなどないのですが、
たまらない罪悪感と申し訳なさ、自分への恥ずかしさ・・・
今でも思い出すと冷や汗の出るような、恥ずかしい思い出です。


 ┏炭鉱用語解説※┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯
 ┠ 
  ┠ 仕繰り(しくり)  
 ┠>>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#1
  ┠
┠ 坑道(こうどう)
  ┠>>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#2
┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷

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いかがでしたか?
 まさに目からウロコの落ちるような炭鉱マンたちの裏話
 次回はどなたがお話してくれるでしょう・・・
 どうぞお楽しみに!

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■ メルマガスタッフ: 新谷 祥子 ・ 西村 貞広
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この記事は2005/6/30に発行されたものです。

「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~ 第2回

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第8号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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                  2005.5.30 発行(毎月15日・30日発行)


  炉ばた「でれっき」には
 炭鉱マンのお客様がよくお見えになります。
 炉ばた=でれっき=番外編では、
 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~と題して
 炭鉱マンだけが知っている、坑内のおもしろ裏話をお届けしています。

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~
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 先月からスタートした「くしろ炭鉱マン物語」
  第2回目は、太平洋炭鉱が「釧路コールマイン」に生まれ変わったばかりの2002年、
  勤続35年のベテラン電気課長として、54歳で早期退職された高橋弘美さんから
  色々なお話をうかがいました。


 ”炭鉱マン同士にしか分からない面白話はたくさんあるけど、一般の人にも面白
  い話なんてあるかな”といいながら、
  ”ところで、坑内で急にトイレに行きたくなったら一体どうすると思う?”と
  いたずらっぽく笑う高橋さん。
 
 しっかりあるじゃないですか!
  それです、それ!
  そういう話が聞きたかったんですってば!
  出し惜しみせずに全部教えてくださいよ。
  お願いしますから!!

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◎第2回 釧路コールマイン 元電気課長 高橋さん(57)


   ┏………………………………………………┓  
   ┃  電気担当は、「縁の下の力持ち」 
   ┗………………………………………………┛

わたしが工業高校の電気科を卒業して「太平洋炭鉱」に入社したのは昭和41年。
 釧路地方でも弱小炭鉱の閉山が始まり、自社でも合理化のための機械化が始まる
  直前のことでした。

  高校が電気科だったため、最初から電気に配属されましたが、
  はっきり言ってあまり好きな部署ではありませんでした。
  なぜなら坑内の機械類はすべてが電気で動くのですが、最初に現場まで   
  機械や配線を運ぶのは、人力に頼らなくてはならないからです。

  よく採炭の様子などでドリルを持った炭鉱夫の姿や、まるで戦車のような大型の
  採炭機械の写真を見ますが、あれらの背後にある太い電源ケーブルや、それらを
  保守する電気担当の人間が写っている写真を見たことはありません。
  よく「縁の下の力持ち」といいますが、まさに電気は決して脚光を浴びることの
  ない地味な部門と言えるでしょう。


  ┏………………………………………………┓  
   ┃ 特殊な環境による、笑えない失敗も 
   ┗………………………………………………┛

  そこの職場でしか通用しない特殊な単語というのは、どんな業種や職場でもある
  でしょうが、特に炭鉱は他の職場では使われない道具や用語が多いので、新人の
  うちは慣れるまでにかなり苦労します。
  ビニールテープを「一巻(かん)取ってくれ」と言われて、近くのオイルを一缶
  渡したり、補強のためのクサビを押さえている人に「(クサビの)頭をたたけ」
  と言われたため、金槌でヘルメットの頭をたたくといった、まるでギャグのよう
  な失敗談は、それは山ほどもありました。

  最初に話したトイレの話でも、当時の採炭現場は入り口から片道で一時間半もか
  かるほど奥深くにありましたので、たとえ休憩時間であってもトイレのある坑口
  まで戻るわけにはいきません。
  現場を離れることができる場合は物陰に隠れてすることもできますが、グループ
  作業などでどうにもできない時は、まさに「垂れ流し」です。
  そんな姿のまま落盤などで事故死でもしたら、まさに「フン死」だなどと笑い合っ
  たものですが、それほど厳しい環境の作業でもあったわけです。

 
  ┏………………………………………………………………┓  
   ┃レスキュー隊は体力が勝負! 焼肉登山も訓練のうち 
   ┗………………………………………………………………┛

 入社して3年目、わたしは救護隊のメンバーに選ばれました。
  消防でいうレスキュー隊のようなもので、万が一の事故や災害の時に現場へ向か
  い、消火や救護活動を行うことから、経験3年以上の職員の中から体力・知力に優
  れた者だけが選ばれるということでした。
 後から聞くと、「酒が飲めて、付き合いのいい奴を選んだんだ」と言われました
  が、それもチームワークの大切さからということでしょう。

  普通の作業と異なり、救護活動では防火服や酸素ボンベなど20kg以上もの装備を
  身に付けて坑内に入っていくわけですから、訓練や体力作りも欠かせません。
  ある時など、訓練と称して大量の肉や炭、コンロを背に山登りをし、山頂で
  焼き肉パーティをしたこともあったほどです。


 ┏炭鉱用語解説※┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯
 ┠
┠救護隊(きゅうごたい)
 ┠ >>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-moreindex.shtml#1
 ┠
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この記事は2005.5.30に発行されたものです

「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~第1回

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第6号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬     http://www.946sekitan.com
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                   2005.4.30 発行(毎月15日30日発行)


 炉ばた「でれっき」には
 炭鉱マンのお客様がよくお見えになります。
 炉ばた=でれっき=番外編では、
 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~と題して
 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話をお届けします。

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~
┗┻┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 記念すべき第1回目の登場は
 釧路コールマイン事業グループ 事業担当班長 高橋さん
 ”お恥ずかしい話ですが、高校生になるまで同じ釧路市内に炭鉱があるという
 ことすら知りませんでした。”
 とおっしゃる高橋さん。
 
 今では事業担当班長として、もっぱら机に向う事が多く
 坑内に入って作業する事もなくなったそうですが
 7年間の坑内作業を振り返って 懐かしそうにお話してくれました。

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◎第1回 釧路コールマイン事業グループ 事業担当班長 高橋さん(38)
 
┏…………………………………………………………┓  
┃「辛く厳しい職場も、今では懐かしい思い出」      ┃
┗…………………………………………………………┛


 わたしが釧路コールマインの前身である「太平洋炭鉱」に入社したのは、
 今からちょうど20年前、昭和60年4月のことでした。
 最初は坑内の最奥部で採炭機械の保守や管理の仕事を3年間、
 つづいて「掘進」と呼ばれる、採炭現場(切羽・きりは)までの坑道を
 掘り進める作業を4年間ほど行いました。

 全身がそれこそ石炭のように真っ黒けに汚れる職場ではありますが、
 炭鉱の世界では危険で汚れる、いわゆる「3K」部署の方が花形であり
 給料も高いことから、配属を希望する職員も少なくはありませんでした。
 わたしは坑内作業はこの7年間だけで、平成3年からは事務所での
 地上勤務になってしまいました。


┏………………………………………………┓  
┃ドイツ製の大きな掘削機械          ┃
┗………………………………………………┛


 掘進係の作業内容はというと、コンティニアスマイナーという
 ドイツ製の大きな掘削機械を使って新しい切羽の現場までの坑道
(つまり通路)を、周囲が崩れないように鉄骨や木材を組みながら
掘り進むというものです。
作業は常に5人1組で行ない、先山(さきやま)と呼ばれるリーダーを中心に、
中山、後山(あとやま)の4人が協力して枠を組みながら、
 坑道を作って行きます。

 入社4年目とはいえ、まだまだ新米の若僧だった自分が
 それほど重要な役目を任されるはずもなく、
 もっぱらコンティニアスマイナーの保守・管理や、掘削した土砂を
 地上へ送るベルトコンベアーの点検・整備に追われていました。


 ┏炭鉱用語解説※┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯
 ┠
 ┠切羽(きりは)
 ┠ >>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-more.shtml#1
 ┠掘進(くっしん)
┠ >>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-more.shtml#2
 ┠コンティニアスマイナー
┠ >>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-more.shtml#3
 ┠先山(さきやま)
┠ >>>こちら http://946sekitan.com/tankou/mm-more.shtml#4
 ┠
 ┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷

 
 当時わたしは、釧路市内でも東端にあった太平洋炭鉱の反対側、
 およそ20キロあまりも離れた西部の昭和地区に住んでいたこともあって、
 お恥ずかしい話ですが、高校生になるまで同じ釧路市内に炭鉱があると
 いうことすら知りませんでした。
 考えてみれば、そんな自分が炭鉱のお世話になり、20年も経った現在まで
 関わり続けているということも不思議な話ですよね。



2005.4.30 発行されたものです。