せきせつは大田邦良になりたい。

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その日を境に世界は変わってしまった

 

ワグナイター、最高に楽しいイベントでした。

 

翌日に、発表されるであろうツアーの詳細情報がわぐらぶからメールで届くのを心待ちにしててさ。

LINEのワグナーグループで、すごい衝撃を受けてるのは間違いないけど何が起こったかわからないメッセージが飛んできた。

とんでもなく嫌な予感がして、メール見に行って、そこで声優ユニットのWUGが解散するという情報を初めて目にした。

 

私はすごい楽しいイベントのあとってすごいウツになるんです。

ドーパミンの前借りとか色々あるんだろうけどさ…

ワグナイター、鬼のように楽しいしかなくて、初めてその後も最高の気分だったんだよ。ウツっぽいのが来なかった。

ただ、なんとなく違和感はあった。WUGちゃんみんなが影がある感じ。もうちょっと元気じゃなかったっけ?って。

 

そこで来た解散の発表。

 

全部そういうことだったんだな、と。

あんまりまゆしぃがこっち見てくれなかったけど、それはこれから解散発表を聞くワグナーを見れなかったんじゃないかなと。

(途中から吹っ切れたのか結構バイバーシート見てくれてたけど)

 

やっぱり、心臓を掴まれるような思いだった。体温が一気に下がっていく感覚だった。

覚悟はしてたよ。

いや、してたつもりだった。

結局こういう瞬間が来るってわかってはいたけど、何となくそれはいつか遠い将来のことだと思っていた。

道半ば、という言葉でしか表現できない。

 

彼女たちが決めたことなら、と思って納得したつもりになりもしたよ。

関係者のツイートがいっぱい出てきて、ありがとうとか、思い出がいっぱいで、こんなにも沢山の人に愛されてたんだってのが嬉しかった。

 

 

でも、その後に出てきた動画見て、納得いかなかった。

あの表情で納得するのは無理だった。

悔しい感情をどうしても受け取ってしまう。

 

どんな事情があっても彼女たちは自分たちが決めたことだと言わなければならない立場にある。

そこに大人のくだらない話があったとか、契約が更新されなかっただとか、色々考えることはできるけど結局私達は真実にたどり着けない。

 

それはオタクと声優なりオタクとアイドルなりって関係である以上、当事者でしか知りえないことってあるんで、どうにもならない。

当たり前のことだけど。

 

事情を詮索して、自分なりのあっているかもわからない答えを出して落ち着くことはできるけど、それ以上のものにはならない。

それに気がついたから少し落ち着いたつもりだった。

 

 

 

 

 

でもやっぱり駄目だった。

 

 

 

 

 

 

自分に何が出来ただろう。

 

 

 

バスツアーも事情があって結局わぐらぶ1年目から入ってたのに行けなかった。

だから5周年ライブも見れなかった。

 

円盤も大量に買えず、アニュータやSpotifyで聴いたりしてた。

 

ライブにも行けないことが何度もあった。

 

悔しかったし、お金もなかったけど、もうちょっとやりようはあったんじゃないか。

 

 

 

 

 

 

だったら、今から何かしらやろう。きっと何かできる。何か恩返しをしたい。

色んな人がいろんな企画を立てている。その中で自分も企画を考えたりもした。

 

でもその企画たちを見て、どうしてかこんなことを考えてしまう。

 

 

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自分はやっぱり何もできない。出来たとして、それは自己満足でしかないんじゃないかって。

あの子達に何をできるだろうか。たぶんなーんもできない。…なんにも伝えることが出来ない。

きっと自分たちを喜ばせることしかできないのではないか。

 

 

 

 

 

 

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そんなすごく無力な気持ちになってしまった。

今まで積み上げてきた根拠のない自信みたいなものが崩れていく感覚。

正直これって自己否定でしかない。過去の自分、ひいては今の自分の否定だ。

 

 

 

こんな私に何が出来るだろう。

 

 

この状態に耐えきれなくて、ワグナーと話すことにした。

一晩中酒飲みながら話して、少し打ちのめされて、それよりもうちょっと救われた。足し引きでプラスにはなった。

 

 

結局覚悟出来てなかったこととか、結局受け入れられないこととか、結局納得行かないこととか。

今置かれている状況を理解できた。

ワグナーと話せて本当に良かったし、この仲間たちとここまで来れたのは幸いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

消化できない思いはある。

結局納得はいかない。出来ることはなくはない。

 

でもどうにもならないこともある。解散そのものをやめることは難しいだろう。

解散をやめさせることができたとして、彼女たち、そして関係者の人生という責任を取らなければならない。

責任を取りますと口で言うのではなく、お金を稼いで来なければならない。

それができなければもっとひどい終わりになるだろう。

結局会社なんてお金で動いているので、お金がなければどうにもならない。

 

だとしたら、時間はその1点に向かって流れていくだけだ。

 

何かを作ったり、想いを伝えるために行うそれぞれの過ごし方があるだろうけど、

どうにもならないその時までをどう過ごすか。

 

ただそれだけのシンプルな話なのだと思う。

 

 

 

それを理解する途中で気づいたこともある。

 

 

私の中で大きすぎるWUGの存在は、私にとって必要なもので、

その状態はWUGがあり続けることを前提としていること。

 

ツアーファイナルとなるpart3のタイトル「KADODE」。

これはWUGの門出でもあると同時に、

こんな私みたいな人が行う人生の門出でもあるんじゃないかということ。

あの子達に救われた人がこの先、WUGがなくなっても生きていけるようにするための機会なのではないかということ。

 

WUGがなくなるということを受け入れる場所になる。

来年3月に来るKADODEまでに、独り立ちする準備を整える必要がある。それはまるで人生の宿題のように感じた。


私なりにやれること、やりたいことを探しているけど、ちょっとやってみたいことはある。

 

いまの状態にたどり着くまでに何度も自己否定をしてきたことが、ほんとうに辛かった。

私はワグナーと話ができてなんとか持ちこたえたが、そう簡単に話す相手がいない人もいるだろう。

 

もし私が話を聞くことで、当人が吐き出せない想いの中から鍵を見つけられるなら、いま辛い誰かの話を聞いてあげたい。

 

WUGに出会って自分を幸せにすること、助けることが少し出来るようになったと思う。

 

今度は誰かを幸せにする準備をしていきたい。

 

これからに向けて。