Budgerigar's Blog

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こんにちは、肋屋虚無平と申します。鳥類、主にセキセイインコや雀を好んでおります。

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COVID-19、なかなか収束しませんね。

私が暮らすアメリカのある地域では、マスク着用の義務も特になく、スーパーでは少し前まで皆マスクをしていたのに、昨日買い物に行った時にはほとんど全てのお客さんがマスク非着用になっていました。

しかし店員さんは確実にマスクを着用しています。

上司や同僚、友人が罹患したという知らせは後を絶ちません。

しかし彼らはワクチンは接種済で、軽症で済んでいるという状況です。

そんな状況の中、皆平気で出歩いているし、レストランもバーも夜までやってるし、もはや開き直っている感が強い。

そのことの是非は、私には判断できません。

さて、今日の話は、陰謀論(?)を信じる人たちについてです。

私の知人にも、トンデモ話への免疫がないまま陰謀論を摂取してしまったらしい人がいて、「コロナウィルスは存在しない」だの「ワクチンを接種すると不妊になったり二年以内に死んだりする」だの「著名人の守護霊や本人の霊と対話した」と宣うスピリチュアル芸人に心酔し、その記事をシェアするだのと、熱心なブログを発信している人がいます。

これはもう宗教の違いであり、私は何かを指摘するつもりも戦うつもりもありません。

宗教戦争など御免です。

ただ、彼が抱える認識のバグについて記録しておこうと思ったのです。

最初に断っておきますが、私は「ワクチンを接種しない」という決断を非難するつもりは全くありません。

実際、副反応の度合いはインフルエンザの予防接種よりもずっと高いし、死亡率も無視できないからです。

風の谷のナウシカで未成熟のまま発動させられた巨神兵よろしく、検証が不十分なのではないかという点は否めません。

それでも皆、抗体無しCOVIDに感染・発症した時のリスクとワクチン接種のリスクを天秤にかけて、各々の決断を下しているわけです。それは個人の決断です。

意味不明のカルト的思想を根拠にワクチンを接種しない人たちを、気持ち悪いと思っているだけです。

しかし、その手の信仰を持つ人というのは、何故かインターネットを通じて自分を含む一部の人間だけが“真実”に辿り着いたと錯覚してしまうようです。

彼らは自らを“光の戦士”と名乗り、無知蒙昧の“闇の勢力”と日夜戦う勇ましさを発揮するなど、香ばしい傾向が観測されています。

本題です。

彼は「コロナウィルスは存在しない」と信じています。政府もしくは何か巨大な力の陰謀で、存在しないウィルスがでっち上げられているというのが彼の信仰のようです。ワクチンを打つと遺伝子が変異したり5Gに接続してしまったりするので、ワクチンも接種していません。

そんな彼は最近、一家全員で高熱を出し、休養を余儀なくされるという憂き目に遭いました。

幸い、全員無事に回復したのですが、友人の一人が、彼に尋ねました。

「なかなか大変な目に遭ったね。コロナじゃなかった?」

彼の信仰を知りながらこのように尋ねる友人もなかなか豪胆ですが、問題は彼の返答にありました。

「コロナ検査をされたくないからPCRテストは受けてないんだ。でもイベルメクチンを飲んだら症状がだいぶ楽になったよ」
 

へえ、そうだったんですね。

無事だったのは何よりなのですが、彼の回答で不可解なのはここです。

”イベルメクチンを飲んだら症状がだいぶ楽になったよ”

いやイベルメクチン飲んだのかよ。

COVID-19の特効薬として注目されていますが、これは本来COVID-19用の薬ではなく、COVID-19罹患者への安全性・有効性についての議論は現在も続いています。実際、COVID-19当然、普通の風邪やインフルエンザに対して服用するものではありません。

この状況で、何故彼はイベルメクチンを服用したのか?

・COVID-19ウィルスは存在しないと信じている。

・COVID-19の特効薬として注目されているイベルメクチンを服用することにした。

これが両立する精神というのは、いったいどういう構造なのか。

彼はCOVID-19ウィルスの存在を信じているのか、それとも信じていないのか。

世間は陰謀に満ちているので、“PCRテストを受けたらコロナと判断される”という自覚はあったらしい点も可愛らしい。

 

人間の心の仕組みというのは、何とも深く、不思議が多いものです。


佐藤友哉「1000年後に生き残るための青春小説講座」を読んだ。じっくり読もうと思って今日買ってきて、岩盤浴しながら汗だくで読んだりして、気が付けばじっくり、どころか読み終わってしまった。
まあそんなに分量あるわけでもないんだけど。

自分の信念を持って生きているように見せかけて、実は他人の言葉をすぐに鵜呑みにし、すぐに他人に影響される私が、まためんどくせー本読んじゃったなぁ…。と思っています。

結局何が言いたい本だったの?
正直分からん。正直分からんけど、あー佐藤友哉って死にたくないんだ、必死なんだ、ということを切実に感じた。
でも実際はそれすらも彼の言う物書きとしての自己演出に過ぎないのかもしれないし、まあそれが真実であれ演出であれ、どっちでもいい話ではあります。

帯の紹介文で円城塔が、「佐藤友哉が伝えるものは、伝えられないものでできている」と書いているだけのことはあって、それはもう、伝わらなかったし理解できなかった自信がある。
まだ一回しか読んでないし、わざわざ二回目読むどうかも分からん。

私はもう27歳で今年28歳になるというのに未だ作家志望、とか何とか言っていて、30歳になったから青春を終了します、大人の小説を書きます、と表明している佐藤友哉が羨ましい。

地獄の青春時代なんてものは私には全く縁がなく、少しひねくれただけで平和に順調にやってこれてしまった私は、一体どうすればいいの?
3.11の震災だって蚊帳の外で、それについて語りたい言葉も持たない私は、佐藤友哉式論法で言ったら何を書けばいいの?
何かを書く資格はあるの?小説という世界の害悪にしかなりえないんじゃないの?

そもそも、俺に書けるものなんてないんじゃねーの?

とはいえ私は私の書いたものを好きな女の子に読んでほしいし友達に読んでほしいし知らない人に読んでほしい。たくさんの人に読んでほしい。
それって性的欲求って誰かが言ってたけど、それならそれでいいです。
でも別に、1000年後に残っててほしいとは思わない。どうせその頃には死んでいる私には、それを確認する術がないから。

でも私の言葉が作った世界で、知人や他人を溺れさせてみたい。そういう欲望はこれ、結構切実なんですよ。

だからというかだったらというか、結局、これからも死に物狂いで書くしかないんですよね。
順調な人生を送り、挫折も絶望もしたことがない私でも、挫折や絶望は描ける。
だって言葉そのものは私のものではなく、言葉そのものに価値があるから。
私には言葉が使えるのだから、そういう言葉を好きに紡いでいいのだ。

佐藤友哉が30歳で大人宣言をしようと、こちらの精神年齢は未だ17歳。
30歳を迎えてようやく成人式ですよ。
関係ない。私は30になろうと、高校生が主人公のアクションファンタジーみたいなやつを、どんどん書いてやるんだからな。

と、そんなことに気付かせてくれたという点で、これはとてつもなく良い本でありました。
ごちそうさまです。

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