我々が作業したところは既に自衛隊が大きめの漂流物を撤去し終わっていたが、やはり海水が引いたときの塩や小さな瓦礫は多数存在していた。今日の我々の作業は小さな瓦礫の撤去であった。土を掘り返して瓦礫を探して…それの連続。百人ほどで作業したのにも関わらず、そこそこの大きさの畑の瓦礫撤去が最後まで終わらなかった。これは一緒に同行した篤樹とも話していたが、自分の無力さというか、今日の成果ってこれだけ??という焦りや困惑すらも感じた。
だが、自分の無力さに失望しながらも継続的に復興に向けて一人一人が努力して行かなければならない。私は頑張ろう日本やら絆とやらのフレーズに、あまり好感を持っていなかったが、今日、被災地を見て、瓦礫を撤去したことで意識が変わった。自分の無力さを自覚しながらも、多くの人々が力を合わせなければ復興できないのだと。先程の私の震災復興のフレーズへの嫌悪感は、フレーズの連呼によって、自分が被災地に同情することを可能にするからである。もちろん、被災地を思うのは大切ではあるが、本当にそう思うのなら実行に移すべき。一度、自分で見て感じて欲しい。
瓦礫撤去の後は、震災から一年ということもあり、黙祷と追悼式に参加させて頂いた。綺麗事を言うようであるが亡くなった多くの方々の分まで、生きなくてはならないと感じた。さっきから本当に熱いこと、綺麗事を並べている。恐らく物事を斜めから切るのが好きな人々は偽善者だとか、被害を何も受けていない者が何を言ってるんだとか、言うかもしれない。でも、これは率直に私が思ったことだ。未来の自分に宛てたメッセージでもあり、一人でも多くの人に読んで欲しいメッセージでもある。そんな気持ちで書いた。
そういえば、バスで撤退するときに瓦礫撤去した畑の農家の方が苺をくれた。震災後の恵まれない土壌で育てられたためか、正直、特別美味いというわけでもなかった。だが、その苺は復興に向かって生き生きとしているようで、我々が逆に元気を貰うような澄んだ真っ直ぐな味がした。
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