居候始め翌朝、

私はまだソワソワしていた。



これからどうするのかって、そんな事決まりきっていた。



仕事を探すんだ。



でも私の心は、始め数日は落ち着かなかった。



どこからか居場所がバレて追ってこられるかもしれないという恐怖と、



断腸の思いで家族を捨ててきたという寂しさと、



あと数日で母の誕生日だっていうのに心配と心労をかけて申し訳ない、という気持ちがあったのは本心だった。




ママ、ごめん。




でも、

そっちは家族4人いるんだから、

私という一人の家族を失くした寂しさ、喪失感、空虚感、胸の痛みは、

4分の1で済むでしょ。




私は一人で4人と1匹分の喪失感を抱えて胸の痛みと闘ってるんだよ。



一人で4人と1匹分の別れを一度に経験するのは、トラウマ級に私の心を圧迫した。



それでも生きながら心を殺されていた実家にいた頃よりはマシで、

京都に来てから初めて、

心の底から笑えた。






その日の夜、

同居人はピーマンの肉詰めを作ってくれた。もの凄い美味しくて、



泣きながら、食べた。




翌日、私は早速バイトを探しにタウンワークをめくった。



パッと目に入ったスターバックスの求人にすぐに電話し、面接に行く事にした。



面接担当者は、

25歳の男のフリーター店長だった。




「なんで京都に来たの?」



『家の事情です』



「あなたは一体何がしたいわけ?」




今振り返って思っても

たかだかバイトの世間知らずの25歳が世間知ったように偉そうに

19歳の女の子を苛めて、


笑っちゃう程

不躾な野郎だった。




生きるか死ぬかで家出してきたこっちの事情も知らない癖に‥!!!❗❗





あんたなんかに私の何がわかる❗❗❗❗❗




心底そう思い、



面接の帰り、

外で待っててくれた同居人に面接の様子を話した。




『たかだか20代のフリーターが偉そうやな。気にすんな。』




悔しさと憤りのあまり泣いている私の横で、

同居人はいたって冷静で笑って励ましてくれた。



実際、このスタバの若造フリーターみたいな性格の悪い人間達には、この後も何人か出会った。



「なんで京都来たの?19歳で、家はどうしてるの?」



FRIDAYのスクープリポーターみたいに、

興味だけでこう聞いてきた中年のオッサンもおった。




だが私は決まって、不躾に対してはぶっきらぼうで返してやっていた。



そんな悔しい面接をいくつか落とされ潜り抜けた後、はじめに雇ってくれたのは、



居酒屋スーパー銭湯だった。



これが店長や学生バイトの人、

皆んないい人達ばかりで、



ここで、

京都きて初の友達が何人かできた。




特にスーパー銭湯では同い年年子学生友達ができて、彼女達には家出の事を普通に打ち明けていた。




このバイト先で過ごした半年間で既に、

心から笑えるようになって、

胸の痛みも消えて、



相変わらず寝ている間はうなされるけれど




毎日、今こうして生きていることを心底楽しいと思えるようになった。




生まれてはじめて、

居場所を与えられたと感じた。



そのスーパー銭湯でのバイト時期は丁度、

市橋が指名手配されている頃だった。




『市橋が風呂入りに来たらすぐ俺を呼んでね懸賞金もらえるから👍

(スーパー銭湯の店長の台詞)




約半年のバイトが終わる頃、

時期は秋に突入していた。



あと数ヶ月で私は二十歳になる。




そうしたら晴れて自由の身だ。




京都御苑の銀杏並木黄色い絨毯の中、

うきうきした気持ちで同居人に写真を撮ってもらい、拾ったもみじを額縁に挟み、

裏に日付を書いた写真と共に飾った。




時効成立を待ちわびる犯罪者の心境と似たりよったりな心境のであった。




つづく