今回は長くなりそうです。







今日は、

同じゲストハウスに泊まっている方数名と、
オーナーさんとお話しをさせていただきました。










まず、私たちが何者か。について



何者かというと大げさな話ですが
どういう経緯で、今ここにいるのか、
どんな考えを持っているのか、ということです。










本当に正直な話、


「なぜ世界一周をしているのか。」

「どうして今なのか。」


という問いをもらったとき、




簡潔には答えられないし、

私たちの未熟な知識では
到底敵わないことがたくさんあることを
分かっているし、

その上で、批判的な意見をもらったとき
自分の考えが揺るがされるんじゃないか、

自分が真剣だと思っていたことは
浅はかだったと思わされるんじゃないか、

と怖気づいて





「話すと長くなるんです。」



と逃げてしまうことが何度もありました。










ですが、今日お話しさせていただいて

その恐怖が全くなくなったと言えば嘘になりますが

やはり、どんな意見も
自分を見つめ直すきっかけになる
貴重なものであり

伝えられる範囲で
自分が思っていることを話してみることは
とても大切なことだと思わされました。












前置きが長くなりましたが

今日のお話で私がいま考えていることを、ここに書き残しておこうと思います。



ごちゃごちゃしていますが、
読んでいただけたら嬉しいです。







まず前提として
私が世界一周をしたいと思ったのはなぜか。



関連しているであろうことを長々と挙げるとこんな感じです。






小学生になる前から、
私は英会話スクールに通っていました。

そこで私は


金髪で、目の色が青で、鼻が高くて
喋っている言葉が違くて、

そんな人と通じ合えるなんて


英語っていうのは魔法みたいに素晴らしいものなんだと感動しました。






実際はこんなに綺麗な言葉で表せるほどではないですが、
小さい頃の私なりに、そんな風に思いました。




そして、自分の世界を広げてくれた英語がとても好きになりました。



それから、中学生になり
進路について考えるようになったとき、

「英語に関わる仕事がしたい!」と思いました。


中学生の私が考えられた仕事は
一番身近だった、英語の教師でした。



そこから、私の夢は英語教師になりました。





それまでは、姉や友達の真似をして
パティシエや、看護師などと言っていたけど

自分の夢を持てたことが嬉しくて
私がなりたいのは絶対に英語教師だ、と思うようになりました。




そして、中学3年のとき
初めての海外、カンボジアに行きました。



そこで、体感した環境は
私が今までに経験したことのないものばかりでした。



ひとつ例をあげると、

貧しい街にボランティアに行ったとき、
綺麗な服を着ている人はいませんでした。

ましてや、服を着ていない人、
靴を履いていない人、
おそらくあまり洗っていないであろう体で過ごしている人。



その姿を目の当たりにしたとき、

「自分はこんなに良い環境で生きているのに、可哀想だ。」なんてことは思ってはいけない、
と思いました。


ですが、そう思っている時点で、
既にわたしは、その人たちを見て
そんな感情を抱いていたのでしょう。


そのときは何も違和感がありませんでした。



しかし、
元気に走り回ったり、とびっきりの笑顔で抱きついてきたり、といった様子を見て


ここに居る人たちは、この環境が当たり前で
普通に幸せに暮らしているんだ。ということを実感させられたとき、


可哀想と思ってしまったことに
憤りを感じました。


こんな感情を抱いたのは初めてでした。







これを文章化するのはなかなか出来ませんでしたが、
今日お話をしたことで、
あの感情はこういうことだったんだ、
ということが自分の中ではっきりしました。









そして、何も英語だけじゃない、

私と違う場所で、文化で、生活している人との
関わり方は沢山あるんだ、

ということに気がつきました。







海外に対してかなり興味を持つようになったのは
おそらく、そこが第一のきっかけだったと思います。









しかし、そのときのわたしは

高校に進学して、良い大学に入って… と、

いわゆる賢い人が進む道に行くことに
ステータスを感じていたので

成績以外の考えはありませんでした。









そして、高校生になり
自分の進路に向けて大事な受験勉強をしてきました。


一番は自分の将来の為の受験ですが、

良い大学に行って、周りから高く評価されたい

という気持ちは少なからずありました。



というか、私はプライドが高いので
大学のネームバリューはかなり気にしていました


ほんとにちっぽけだな、と思います。














そんな考えの中、
高3の夏休みの東南アジア旅行。



3年ぶりの東南アジアで

あのときより、少し知識が増えた状態で
また違う方向で考えることがありました。



地理の資料集で見た
藁の家や、首長族の村を実際に見て


この環境だから、こうなってるのか。とか

どんなことを考えながら、この人たちは生活しているんだろう。

毎日、こういう生活をしているのか。


とか、色々な思考が頭を駆け巡りました。




タイで出会った仏教徒のおじさんの話を聞いたときも、そんな考えを持って生きている人もいるのか。


など、日本に居ても知ろうと思えばいくらでも出てくる情報も、

実際に自分が見てみないと、聞いてみないと
ちゃんと考えようとしないことが沢山ありました。







そして私は、
実際に行って得てきた知識や経験ほど
こんなに考えさせられるものはないな、と
強く思いました。





だから、
もっと他のものを自分の身体で感じて、考えてみたいと思ったのです。



それがこの世界一周に繋がりました。







この目的のことを、わたしは
「視野を広げる。知見を広げる。」
といった言葉で表現しました。










そして今日言われたこと。

世界を知りたいのはわかる。
だけど、まだ日本すら見ていないじゃないか。

日本に居て、これから色々な経験をしても
視野は広がる。今である必要があるのか。

君の言っている、視野を広げるとは何のことなのかがわからない。








これはかなり刺さりました。

今まで、「視野を広げる。」とか「知見を広げる。」とか綺麗に作られた言葉に頼って

うまく言えないところを濁して
まとまった考えかのように話していたことに気付かされ

かなりお粗末だったなと思いました。








欠陥部分の補強シールを
ペリッとめくられたような気分でした。








自分自身が感じている足りないところ。
それを見つけられてしまうのが怖かった。

そのことで
私が行きたい道を閉ざされてしまうのが嫌だった。








ですが、人生の先輩方は
私の未熟な経験からの考えを
真っ向から否定するようなことはしませんでした。



私が考えていること、やろうと思っていること

それは意志だけじゃ
浅いものになってしまう可能性がある。

私自身が思い描いているものと大きなギャップが生まれる可能性がある。

それもあって、
私たちに色々な意見をくださっているのでした。










自分の意見を伝えたとき、
逆方向の意見が返ってくると
どうしてもネガティブな印象になってしまいます。
それはどうしようもないことだと思います。





ですが、


「そういった考えを受け取った上で、
どのように昇華していくのかが大切なのではないか。」


という言葉をいただいて

全くその通りだと思いました。












自分の考えを人に伝えるのは
本当に勇気がいります。


でも、今日
自分の思いを口にしたことで
自分自身の中で、明確になったものもあったし

改めて考えさせられる意見をいただくこともできました。




お話をして良かったと思いました。













まだまだ
自分の中で納得できていない部分もありますが、
全部が全部完璧じゃなくても

これから色々なことを経験して
色々な人に出会って、色々な意見を聞いて

それをどう活かすか、どう考えるかという力も身につけていこうと思います。









「責任は背負いすぎないでいい。自由でいい。」

そんな言葉もかけていただきました。


多少の責任感は要りますが
それが全てになってしまっては勿体無い。と



私自身の考えと、感じたことをそのまま伝えたらいいんだと思いました。










今日みたいに、
自分と向き合って真剣に考えることができる機会は、とても有り難いものだと思います。



お話してくださった方
本当にありがとうございました。











最後まで、
読んでくださってありがとうございます。
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