サブカル太郎のヤックデカルチャー‼︎

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まぁ
このブログ読んでる友達居ないと思うんだけどw


先月の頭に
両親が離婚しました。

ええ、苗字が変わるかもしれませぬ。

そして
オカンが新しい彼氏と一緒に住んでいるようです。
新しい彼氏はゴロリのような人でした。
アトピーの薬が僕と同じでした。
肌荒れ仲間です。

親父は結構ショックだったらしく
しょんぼりしています。

オカンはスッキリしたと
第二の人生を早速歩始めています。

23歳で僕を産んだオカンは
きっと本当はもっと遊んだりしたかったんやと思います。
16個も歳の離れた親父と話も噛み合わず、
趣味や観るテレビも合わず。

25年間悶々としながら
子育てしてきてくれたんやと思います。

親父も子供2人生まれて
家買って頑張ろうって矢先に
リストラされて
新しい仕事は驚く程安月給で
幼少期に親父が家に居るのは殆ど
見た事がありませんでした。

多分きっと死に物狂いで働いていたんだと
思います。
自分の事は全てかなぐり捨てて
家族を養う為に労働マシーンなっていたんだと思います。

おかげで
兄弟共に何不自由なく生活する事が出来ました。
家族旅行や豪華なクリスマスなんてものは
無かったですし、オンボロの車で市民公園に出掛けたり、ちょっと遠くだと小豆島行ったりしたくらいだった。

周りの家族が羨ましい事もあったけど、
高校入ってからはバイトもしてたし
極貧だとは思わなかった。
プレステと64も買ってもらったし
逆にどうやってお金を工面してるのか
不思議なくらいだった。

まぁ
そんな家族の形も
終わりを迎えた訳ですが、
今後どうするのかはまだ詳しくは聞いてないです。

ただ、オカンの部屋がスッカラカンになっていて
生命保険の受け取り書類みたいなのを
渡されました。

「私が死んだら
とりあえずホンマにちょっとだけじゃけど、
お金出るから弟と分けてな」とオカンが言っておりました。

僕は独り身なので
弟に全部譲ろうと思いますが、
何だかとても寂しく感じました。

今実家には
親父しか住んでいないのだけど、
山の上の住宅街で地域との交流も殆どしていない親父はボケてしまわないか心配である。

自分が仕事辞めて
地元で再就職すれば
万事収まるのは分かっているんだけど
今帰ると冗談抜きで大金叩いて通った専門学校も
働いてきたこの五年間も無駄になってしまう。

どうしたものか、、、。

何より
今後家族で飯食ったり
喋ったり、テレビ観たりする事は
もうないのだと知ってしまった事が
やはりショックである。

弟は応援すると言っていたが
いつの間にしっかりした男になったのだろうと
関心してしまった。

兄は
こうやって心の内をグダグダのブログに書いているのにw

ふぅー、、、。

とりあえずそんなところかな?

それでは。