大久保嘉人。


高校の時からずば抜けて旨かった。

点も取れるしゲームも作れる。

足も早くドリブルも上手い。

オシムがストライカー向きのエゴイストと称した性格も、日本人としては異質。

しかしプロ入りしてからはこの器用さが仇となり、才能はあるが決め手に欠ける選手になった。必死で何かを伸ばすことはなく、様々なポジションを任された結果、全てが中途半端なままとなった。

またジーコ時代の無断外出キャバクラ事件からもわかる通り、チームのために身を捧げる選手でもなかった。

それが、最終メンバーに選ばれてから変わった。


肺と肝臓に大病を患うお父さんのこともあるのかもしれないが、持てる力を常に100%以上出しきるようになった。

韓国戦からずっと気を吐いてきたのは紛れもなく大久保だった。

長い遠回りを経て、才能ある選手が『本気』になったのである。

スイス合宿に旅立つ直前、彼は福岡で闘病中の父を見舞った。


病床の父に誓ったのは「九州男児として日本のために戦ってくる」。父は一言だけ「後悔のないように頑張ってこいよ」。


合宿中に彼は語った。


「批判は怖くない。結果を見て、言いたい人がいれば言えばいい。オレは日本の名誉のため、全身全霊をかけて戦う。これ以上の力は出ないというくらいまで走る。倒れるまで走る。日本サッカーをバカにされたくない。


オレはオトンのためにW杯でゴールを取るって決めているから。いろんな人がオレを支えてくれている。日本中を興奮させたい。それがW杯に出る選手、オレの使命だと思っている。」


決戦の地ブルームフォンテーンに入った12日夜には興奮からか、居てもたってもいられなくなった。福岡県内の病院で闘病生活を送る父克博さんへ手紙を書いた。


中学から親元を離れ、プロ入り直後に父が肺と肝臓に病を抱えたため、男2人で酒を飲む夢は実現していない。


「オレがW杯でゴールを決めて、おとんの病気が一時的にでも回復して、1度でいいから酒を飲みたい」-。


20日は父の59歳の誕生日。酸素吸入器を付け、歩行も難しくなった父を少しでも喜ばせたい。一途な思いだった。


『おとんへ。

いよいよオレのW杯が始まるな。カメルーン戦にオレが持っている力のすべてを出すよ。約束します。

試合会場に移動してきて、1人で色々と考えた。


初めてW杯に出たいって思ったのは、おとんとテレビで見た94年の米国大会やったと思う。あれから何年もたって、本当にW杯に出られるようになった。おとんがオレを育ててくれたから、今オレはこんなに大きな舞台に立つことができる。心からそう思います。

スイス合宿に出発する前に、久しぶりにおとんのお見舞いに行ったよね。あの時は、あんまり話ができんかったけど、オレはおとんのために頑張る。面と向かって、顔を見て言うのは恥ずかしいけん。今、こうやって手紙を書きました。

オレは早くおとんに元気になってほしい。本当は南アフリカにも来てもらって、オレのプレーを見てもらいたかったけど、テレビで応援してな。

小学生のころ、おとんはオレに口癖のように言っていたよね。
「行って、行って、行きまくれ!!!」って。
オレはやるよ。日本のためにやる。

戦いに行ってきます。


嘉人』