世の中の人間は全員「我慢」してる。



とんでもなく些細なことから巨大なことまで、直接的だろうが間接的だろうが、どんなことでも必ず利害が両立しない部分が衝突して、我慢してる。


この世界には、我慢という名の消えないカードがバラ撒かれていて、人類は、自分がそのカードを持つ枚数をいかに少なくするか、とどのつまり、いかに自分以外の人間にそのカードを所持してもらうかのデスゲームをしてる。







自分のQOLを下げる要因を全て排除する方法は、自分以外の人間に全ての我慢カードを肩代わりさせて、自分の我慢カードの所持数を0にすることだ。



無意識に全人類が少なからずそういう風に立ち回っている気がする。いかに自分だけ我慢しないでいられるようにするか。意識的か無意識的かは置いといて、上手くいくかも置いといて、それが善のためか悪のためかも置いといて、常に人類がそうしようとしているせいで、人は傷つくんだ。



人が何かを我慢カードを持たされた時、大体はそのカードの出所が誰か分かってる。そいつが我慢カードを持たなくていい代わりに自分がその我慢カードを持っているのだ。



世界から我慢ガードを消すことはできない。それは覆りようのないこと。人間は簡単に共存できると信じて疑わないのはお花畑かもしれない。



仮に我慢カードを持っていない状態が生まれたとしても、平穏なんて訪れないのかもしれない。なぜなら自分が持っていた我慢カードを肩代わりした誰かに永遠に恨まれているから。



全人類は必ず利害が両立しない、我慢カードは世界からなくならないっていう前提があっても、それでも共生できる相手がいるのならそれは素晴らしいことだ。



ただ、共生できる相手がいるっていう素晴らしい状態が出来上がっても世界の本質は変わらない。



共生した二者が互いに我慢カードを持っていないということは、その分の我慢カードがどこかに振り分けられたってことだ。



二者が互いに我慢カードを持たずに共生できている場合も変わらない。平穏なんて訪れないのかもしれない。例えその二者が幸せであるとしても、その我慢カードを肩代わりした人間の目は、その二者を狙っているよ