どーも、野口です。


このブログ実はエッセイも兼ねてるんです。
前から書いてみたかったので設立しました。

若干変えたり盛ったりしてる所もありますがご愛嬌。

ほんじゃ、すたーと。

0〜12歳の野口

神の付く都道府県に産まれた野口。
最初は泣かず、医者に尻をぶっ叩かれたのち延々と泣き続けていた0歳。
病院では泣きの野口と有名だったそうな。
 
1歳〜4歳までは耳についたCMで気に入ったフレーズを繰り返し言葉にしていたそうな(母談)
特に印象に残っているのは企業のロゴを模写するのにハマっていた記憶がある。

あとこれは間違いなく偶然なのだが当時、
野口父は野球観戦にハマっており
テレビで野球観戦をしていた時。
私がテレビに向かってイチローだかゴジラ松井だかに手を振ったら手を振り返してくれたという奇跡に狂喜し呆れられた事もあった。

そんな事絶対ありえないのに今思うと馬鹿な奴めと思う。

5歳〜8歳はわんぱくでコケまくったり色々な物(鉛筆とか)を口に入れたり暴れたりラジバンダリしていたため学区内中から総スカンを喰らいいじめの末孤立。
(この頃、発達障害と診断される)

だがしかし(アニメじゃないよ)
発達障害の度合いが軽度な為、理解は薄かった。

9歳〜10歳は保健室登校したりクラスが移動になったりとバタバタ。
この頃は落ち着いてきつつも、まだ暴れん坊将軍だった。

10歳〜11歳
某精神科に入院。
入院中…野口母、倒れる。
1年と少し入院したのち小学校卒業。
母、復活。タフ。
この頃の野口はだいぶ落ち着いていたがキレやすさは健在。
(この間、精神科内の小学校に通っていた)

12歳
中学生に。
総スカン喰らっていた為学区外へと逃げたくなり学区外の中学へと進学。

幼稚園〜小学生の時の野口はモンスターでした。
今当時の人と話す機会があるならめちゃくちゃ頭下げるんだろうなあ…。。
本当、申し訳ない。

発達障害の度合いは今では分かる人には分かる位のレベル。
ただ苦手な事はとことん苦手なのでそこに特色が表れているのだろう(特に金銭管理)

私があえて障害の事を表記したのは、
障害者を理解してほしいからとかではなくただ単に経過話をする上で外せないキーワードで、その上で事実を淡々と述べているだけの事なのでそこは勘違いしないでほしい。

私が言いたいのは、十人十色。
色んな価値観があるんだな、こんな生き方もあるんだな、こんな思考を持ってるんだな。
じゃあそれを皆尊重してあげようやってことが言いたい。

障害の有無関係無く障害を理解しろと言うのは理解出来る人と理解出来ない人とで分けられると思ってるから、
理解が出来ないなら尊重はしてあげようやっていう事が言いたい。

だって同じ人間じゃない?
100人いれば100通りの考えがある訳で、
それならその考えの範疇で理解は出来なくても意思を尊重する事なら出来るんじゃないか?と、言いたい。

そんだけー。

野口らしくない深〜い話をしてみた。

へにゃ。v(^-^)v