波紋


さざなみ


うねり


渦。






心は水面。


感情は波模様だ。



凪のように

揺れ動かず

平静な状態。


ぽつんっと

小石が投げ込まれて

小さな波紋が

輪になって連続する。


少し

気分に変化が現れる。


さざなみ。


しばらく

ゆらゆらと波が立つ。


「そのこと」が

頭から離れない。


ざわざわざわざわ。


さざなみが


止まらない


止まらない


止まらない。



うねり始める。


波が高くなる。


一度走り始めた波は


止められない。


心の中が激しく揺さぶられ

もう、どうにもできない



ごうごうごう。


強い感情

止められない。


自分は

どうなってしまうんだろう


もう、

ダメだ・・・



渦。


何も見えなくなった。


ここにあるのは

何の感情かも

わからない。


ただ、

泡だらけの水中に

引き込まれていく。



苦しまぎれに

見えた水面は

嘘だと思えるほど


平らだった。



記憶はそこで

終わる。



目が覚めると、

鏡のような

凪。


さっきのあれは

何だったのか。



ぽつんっ


小石がふたたび

投げ込まれる。


波紋が広がる。



------------------------------------





心は水面。


感情は波模様。


人間も自然の一部。


それなら

感情もまた自然と同調する。


ゆらゆらと

絶えず姿を変える、水面。


驚くほど繊細で


ほんの小さな小石でも

波紋は起こる。




そこに

善も悪もない。


ただ、

現象として起こるだけ。


さざなみで終わる日もあれば

うねり高まる波の日もある。


渦に飲み込まれる日もある。


凪でしかない日もある。


それは自然現象である。


ただの

自然現象である。


善も悪もない。




この現象は

私が引き起こしたもの。


自分の人生で起こることは

100%自分の責任

自分に原因がある、と考えた時



えーーーーーーー!

いやだーーーーーー!!!


あんなヤツを私の人生に

登場させてしまったということがもう


私は自分に申し訳ない。。。。。


一体なんなんだアイツは。。。。。




振り返ってみる。


アイツに対して私はどう思ったのか。。。


え。怖っ

関わりたくねえ

なんでそんなに怒るの

なんで初対面の客の私に

そんな失礼な態度とれるん?


ありえへん。。。。。


私を無知だとののしり

時間の無駄をさせて不愉快だという態度。

「え?今までどうやってたんですか?」という侮蔑的な声色。

そしてあの見た目がもう、ダメだった。。。

言っちゃなんだけど100%漫画に出てくる感じやめてくれ。。あんな100%な人初めて見た。




あの時サッと帰ればよかったな。。。

ダメージを小さくしようと

がんばって「すいません」を連呼して

1ミリでも好かれようとした自分が嫌になった


でも


確かに私は。。。。

自分にたいして


役立たず。

もの知らず。

使えないやつ。

ダメなやつ。

こんなこともできないなんて

こんなことも知らないなんて

こんなに時間がかかるなんて


ダメだなあ。


って確かに

ここ最近、思ったことがある。自分に対して。



それが現象化した。



あと。


あの場で瞬時に「じゃあ結構です。帰ります」という強さが欲しかった。持ちたいって思った。



NO!と言える強さが欲しい。

自分が自分に言っている。



弱ぶって

いい人ぶって

無害な人ぶって



やめなよ、もう。と。




嫌だ!!!!!!って

思った。あの瞬間。


あんなに嫌だと思った人はなかなかいない。


すごい体験したな。


嫌悪感しかない。


スタンプカードとか作られたけど、

家で破り捨てた。燃えるゴミの日に持って行ってもらった。


もう永遠に会うことはないだろう。



ただ。。。。

なんであんな人間が

うっかり私の人生に入り込んでしまったのか。

と、


自分を内観して

この出来事を引き起こした何かが

私の中にあるはずだ、と


これをできたことは大きい。



そんな自分を責めない。

ぜったい責めない!

責めてしまっても、そんな自分を許すのだ!



こういう風に思考を追求すると、

矢印がその人ではなく

自分に向く。


結局、

現実世界で起こることは

全て、

自分の内面が現象化されているだけなんだ。


自分が自分に厳しく冷たい態度を取れば、

現実世界で

私に厳しく冷たい態度の人が現れる。


そのことで

私は気づく。


ああ、

私、自分に対して

厳しく冷たくしてたのか!


そういえば。。。

そういう風に思ってたなぁ、ここ最近。


と、気がつく。



気がつくだけで良い。

とにかく気がつけば良い。



無理に治そうとしたって

なかなかすぐにできるもんじゃないし


とりあえず、

気がついたことが100点満点!!!!!


以上、マル。だ。





それにしても。。。

ほんとにぶっ飛んだ人だったな。

私の人生にしては、かなり強烈キャラだった。

普通に生活してて、あんな猛烈に嫌な態度してくる人いなかったよ。。。





この体験に

ありがとう、と言える未来へ。


この体験を

笑って話せる日が来ますように。





鎌田 聖子



シャンプーとリンスとボディソープを

ひとつのシャンプーでまかなってます。


って聞いたら


ええっ???


ってなるだろう。


私ならなる、確実に。




今は毎日、本当に

シャンプーとリンスとボディソープを

ひとつのシャンプーでまかなってます。


概念外しというか。


いいんだよ、別々じゃなくて。


誰が決めたの?

シャンプーとリンスとボディソープは

別々じゃないといけないって。


誰が決めたんだ???


知らない。


ほんまに知らん。



ただ。。。

「当たり前を疑う」っていうのが

本来の自分に戻る上で

とても大事だと感じてる。


本来の自分に戻るって

なに???


っていうと、

私自身が学生時代から

「周りからの評価」を

ものすごく気にしていて


周りからどう思われるかを基準に

あらゆる言動を

やっていた。


どれだけ評価されるか。

勉強だったり運動だったり、

おしゃれだったり、

イヤな顔せず優しい人だったり、

謙虚だったり、

仕事できる風だったり、

明るい性格?

がんばりやさん?


とにかく何でも「上」をめざして

がんばっていた。


それが、

ガラーーンと崩れ落ちる出来事が

何度かあって、


その

外向きの仮面を外さない限り


本当の幸せは感じられないんだなって

体感した。


本来の自分に戻るって、

仮面を外した状態になることです。


それが幸せの

最初の扉。



もし、「人の目」がなかったとしたら。


私って一体、

なにが好きなんだっけ?

どんな人なんだっけ?

どんな時に嬉しくて

どんな時に腹が立って

どんな時に悲しくて


なにしてる時が幸せなんだっけ?


・・・


ほんとにわからなかった。




仕事を盲目的にがんばっていた時は

(もちろん、評価のため)

家に帰った後も

仕事のことばかり考えていて


明日の会議は大丈夫だろうか。。。

来週の資料は大丈夫だろうか。。。

来月の出張は大丈夫だろうか。。。


休日もそんなことばかり考えて

ぜんぜん休んだ気がしない。


日曜の夜なんてもう、

「明日が仕事」と思うだけでツラすぎて


なんでこんなにしんどいこと

やってんだろう?と思いつつ


自分で決めた仕事だから

がんばるしかないんだ!と


肌もニキビでボロボロになりながら

心はもちろんズーンと暗く重い。


もちろん、それが

好きな内容だったら充実した日々なんだろうけど


私は

やりがいとか

好きとか

楽しいとか

よりも


ツラい

しんどい

重い

の方が強くて


だから

ボロボロになってった。


でも、そんなことを考える間も無く

走り続けた。


結果、

病気をして休職して、

最終的に退職した。




上を目指すというか。。。

単に、下になりたくなかっただけ。


ダメなやつって思われたくなかった。


ダメなやつって思われたら

文句言われたり

なめられたり

見捨てられたり

いじめられたりする。


もしもそうなったら、

その時に感じるであろう

敗北感、

無価値感、

孤独感、

が恐くて仕方なかったのだ。


仲間はずれになった時の

悲しい気持ちを

よーく知っているから。。。


だから何とかして

ダメなやつにならないように

がんばっていた。


でも、本当は


もうこれ以上、がんばれない。

と知っていた。


体も心も壊れてしまうって

なんとなく気が付いていた。


それでも、

「みんなそんなもん」と思って

他人よりがんばらなきゃ

私はできる人じゃなきゃダメなんだ!と


走っていた。



あなたの体と心を
ないがしろにしてまで、
やらなきゃいけないことなんて、
ない。

なんか
変だな?
しんどいな?
苦しいな?

って感覚は
正しい。

そのまま続けていれば
どこかのタイミングで
病気なり
ケガなり
何かしらの強制終了が起こるだろう。

そこで初めて気がつく。

私、
どれだけ体に負担をかけてたんだろう。
どれだけ心をないがしろにしてたんだろう。

この人生って
誰のための人生だっけ?

私を評価してくれる
「誰か」のための
人生だっけ?

違う。

違う。

違う。

この人生は、
私のための人生だ。

私以外の誰のものでもない。
私が主人公の人生だ。

あの上司だって
あの先輩だって
親だって
家族だって
あのステキな人だって
全員、
私の人生にとっては
脇役なのだ。

もちろん脇役だって
私の人生を彩る大切な役割ではあるけれど

主人公が1番大切に決まってる。



私が私を大切にしないで、
誰が私を大切にすると言うの?

強制終了する前に気が付いていれば。。。
違った景色が見えたのかなあ。



あれからもう
3年以上経つ。

病気をして
仕事も失って

フラフラだった私は、

自分自身に向き合うことを始めた。

それが本来の自分に還る旅、だ。



ゆっくりと環境が変わって行って
今は、

家族と一緒に
のほほんとお気楽に暮らして
おいしいねって笑いながら夕食を食べて
楽しいねって旅行を満喫して
かわいいねってネコをかわいがる。

健康状態も何も心配なくて
お肌も綺麗になって
髪の毛もツヤツヤしてきて
なぜか適度に痩せて
服とかメイクも楽しくて
ピアノが上達してきて

好きな時間に寝て食べて。
好きな動画見て
好きな漫画見て

季節のお花を買って来て生けて
鉢植えの植物たちの変化を楽しんで

こんな生活に
憧れてた。。。。。
っていう暮らしが叶ってた。

もうひとつ言うと、
「料理」を始めた。

一人暮らしの時は
全く料理をしなくって、
とにかく作る時間がもったいないと思ってた。
考えるのも面倒だった。

だからコンビニやスーパーで
お惣菜やレトルトを買って来て
毎日それを食べていた。

だから余計にボロボロに拍車が
かかっていたのかもしれない。

でも、今は家族のためという理由もできて
「私が好きな」料理を
時間をかけて毎日作るようになった。

最初は不慣れすぎて
カレーと炒め物くらいしか作れなかったけど

毎日味噌汁を作ったりしているうちに
だんだん家族の健康を思うようになって来て

野菜とお肉と魚のバランスを考えたり

副菜をつけるようにしたりと


一人暮らし時代には想像もつかないほど、

料理をやっている。


それが

たまらなく美味しい。


どんなお惣菜よりも

手料理がいちばん美味しいって知った。


私って料理やればできるんだな。。。

という驚きとともに、


家族と一緒に笑いながら過ごす夕食時間が

一番好きだな。これが幸せってやつ、だったのかあ。

って感じている。 



私が毎日料理をするようになったというのが

いちばんの概念外し、かもしれない。




冒頭の

シャンプーとリンスとボディソープを

ひとつのシャンプーでまかなってます。って話、


この記事を参考に載せておきます。

https://ameblo.jp/seizm-blog/entry-12770098361.html




ボロボロだった時期の私(2016年。28歳)




本来の自分を取り戻し始めた私(2023年1月。34歳)



髪の状態がこんなに良くなっていることに

改めてびっくりしました。


ほんと!すっぴんパワーシャンプーとハッピーつやこスプレーはおすすめです。




鎌田 聖子